ブンブン爺のひとり言

気の向いたときに自己満足で綴ってみようと思います。

法 事

2012-01-30 21:53:27 | Weblog
 両親の1年目の法事を行いました。 母が一昨年の12月、父が昨年の5月だったのでその中間の頃にと考え、子供たちの勤めの都合を配慮して、この寒い時期になりました。 孫たちの分も含めて玉ぐしを準備していたのですが、我々が祝詞をあげている時、いつの間にか孫たちはその場からいなくなっていました。
 実は、虫の大好きな孫2が拾った来た “へびの抜け殻” や “榊の小枝” を使って葬式ごっこをしていたようです。 大人のやっていることを見たとたん、それが子供たちの遊びの材料にもなるんだな! と感心させられました。

昔の話を もうひとつ・・・

2012-01-16 22:49:23 | Weblog
 私の曽祖父には、2男3女があったようです。 但し長男は生れて3日後に亡くなったため墓はなく、次男の墓に「長男」と記されています。 この次男(善)の名は、前述の子弟連名簿の中にも見られますが、何らかの訳があって鉄砲で自らの命を絶っています。 そしてその直前には父母にあてた遺書を残していました。
 『現世に永らへおりて 善が 父母に苦労を かける悲しさ』 の自詠に始まり、自身をはかなむ部分や父母へのお詫びが綴られていますが具体的な理由などは判りません。
 このように冷静な思いを残しながらも果てていった心情とはどんなものであったのだろうか・・・? 私も後世の人に何らかのメッセージを残しておきたいものと思います。
 【注】 古文書の中には曽祖父の射的の許可証も残っています。

力 信 流

2012-01-15 15:25:01 | Weblog
 私が子供の頃には、我家には “稽古場” があり、細かく割った竹を皮の袋で覆った大小の竹刀や樫の棒や道着などがあり、曽祖父が柔術の道場を持っていたのだと聞いていました。
 昨年までに父母が亡くなり、3~4代前の人たちの残した古文書などを見ていると、その中に力信流に関する免許状や中目録や近郷からの153名の子弟連名簿などがありました。
 力信流とはかつて主に岡山藩内にあった流派で後には静岡方面にも伝承されているようです。 私の曽祖父は慶応元年~昭和14年(1865~1939)の人で、墓石や真影でしか面したことがありませんが、どのような気風の人だったのかは興味のあるところです。

這えば立て、立てば歩めの爺心

2012-01-14 21:24:33 | Weblog
 孫4がちょうど1歳2か月の日、母さんたちが買い物に行くと言うので1日あずかりました。 少し前からつかまり立ちするようになり、数秒間ならどこにもつかまらなくても立っていられるようになりました。 爺の手をつかんでヨタヨタヨタ・・・はできますが、意識した一歩はまだです。
 爺と婆の家で1日過ごしても泣くことはなく、眠たくなって少しぐずりかけても抱っこしてトントンしてやると2・3分で寝てしまいました。
 今日は姉ちゃんからの妨害を気にする必要もなく、安心できたのかな?

黒澤 明 『羅生門』 ・・・みたいな話

2012-01-11 18:01:47 | Weblog
【これは前回の後日談ですが・・・】
 孫たち3人が集まって 「わーわー きゃーきゃー」 と、私の部屋の中で遊んでいます。 様子を見たくて私が中へ入ろうとすると、「入ったらダメ!」 と入れてくれません。 私の部屋には色々なものが(整然と?)置いてあったりぶらさげてあったりするので、それらを取り出して遊んでいるようなんです。 後で入ってみると、成程!、畳の上には色んなものが散乱していました。

 孫1が言うには、『自分が見ていたら、孫2と孫3が爺の部屋むちゃくちゃにしていたで!』。 また後日孫3は、『この前、孫1と孫2が爺の部屋むちゃくちゃにしていたなあ!』 と言っていました。 なお孫2はいつもながら特に何も言いませんでしたが・・・。
 とにかくその実態は “藪の中” なんです。

雪あそび

2012-01-07 20:47:00 | Weblog
 小学校が始まる前、孫たち3人がやってきました。 あいにく孫4は中耳炎で来られませんでした。 3日間も家の中に居るわけにもいかず、1日 雪を見に京都の美山(みやま=かやぶきの里)へ行きました。
 着いたのが昼頃、さっそくごはんも忘れて雪の中に飛び出して遊んでいました。 すぐに靴やズボンもビショビショにしてしまい、帰る時にははだしで車に乗り、途中のトイレ休憩などもだっこして移動しなければなりませんでした。
 爺のつぶやき・・・『2人来ると “やれ!やれ!”、3人来ると “やれ!やれ!やれ!”』。

よろこんだり、よわったり !

2012-01-03 20:07:08 | Weblog
 新年早々、「都合があるので孫4(1才1ヶ月)を一日あずかって欲しい」 との連絡がありました。
 実は前回やって来た時、こたつの上に乗って、テレビやその下にあるCDデッキやテープデッキのスイッチ類をさわりまくって遊ぶのが大好きなようで、そこから遠ざけようとするものなら 『ギャーギャー』 と抵抗をして大わらわでした。
 今回はその対策として、機器の前にバリヤを設置して着々と対策を整えて迎える準備をしていました。 でもその前日になって 「鼻がひどく出るので予定を見合わせる」 との連絡がありました。
 爺としては、ほっとするやら、残念がるやら・・・。

今年もよろしくお願いします-平成24年1月1日

2012-01-01 07:24:49 | Weblog
 ここ2年続けて “喪中はがき情況” が続きました。 退職後6年が過ぎ、孫たちも育ちざかり。 これまで正月は必ず田舎に帰って過ごしていましたがその必要もなくなり、今年は暮れのうちに田舎での墓掃除などを済ませて、大晦日には大阪に戻ってきました。 ここ40数年間でこちらで新年を迎えるのは初めてです。
 本来なら定年退職の半年後には田舎に帰ろうと考えていましたが、退職の事情・地域の役員・孫たちの誕生などがあり、これからもまだ少しはこちらでの私の存在感を発揮すべく、今後も当分はこちらに落ち着くことになりそうです。