もめん亭の部屋

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伊達家・・・発祥の話

2009-02-10 23:08:08 | Weblog

今日、桑折町のお友達が飲みに寄ってくれました。
NHKの大河ドラマ「天地人」・・・の話から

マエダケイジ前田慶次なる人
  (前田利益まえだとします)のいた事を知りました。

 滝川益重の子(戦国一の傾奇者)で前田利家の兄(利久)の養子となる。
  槍を使えば天下無双、風雅の道にも造詣深かった。
  関ヶ原合戦では上杉家に属して戦った。
 

この話から・・・話題が広がり、
伊達氏の発祥の地は自分の住んでいる桑折町だったと。


・・・と言うので
チョイと気になり、どう言ったいわれがあるのか??と

すると・・・
鎌倉幕府の公式記録ともいえる「吾妻鏡吾妻鏡(あづまかがみ 東鑑)」による
ものである事が分かりました。

独眼流の異名で知られる伊達政宗。 
政宗を生んだ伊達氏の歴史は常陸入道念西の子息

伊佐為宗が「欧州合戦」で功をあげ

念西一族が奥州伊達郡を賜った事に始まる

・・・と記されていました。

そもそも、文治5年(1189年)源頼朝が藤原泰衡追討の為
奥州合戦(奥州征伐)を行った折、この合戦に常陸入道念西(ひたちにゅうどうねんさい)の子息である
常陸冠者為宗(ひたちのかじゃためむね)、同じく念西・子息の次郎為重(じろうためしげ)
三郎資綱(さぶろうすけつな)、四郎為家(しろうためいえ)が従軍した。

頼朝率いる鎌倉軍は・・・
阿津賀志山(あつかしやま・現・福島県伊達郡国見町)の麓に到着

この奥州合戦で
佐藤庄司(佐藤基治・・・源義経の忠臣である佐藤継信(さとうつぐのぶ)
忠信(ただのぶ)兄弟の父で、平泉の名門)など敵を倒した功績で伊達郡を拝領。


頼朝から伊達郡を賜った念西一族の一部の人たちが、後に伊達郡へと居を移した。

伊達郡に下った者たちは以後、伊達を名乗るようになったと思われる。
即ち、後に独眼竜政宗を生むことになる仙台藩伊達氏の始まりである・・・と


ちなみに、吾妻鏡の記述の中より

 ・文治2年(1186年)常陸介藤時長の女・大進局が、頼朝の子・若公(貞暁)を生む
 ・文治5年(1189年)常陸入道念西の子息・常陸冠者為宗兄弟が奥州合戦で戦功
 ・建久2年(1191年)伊達常陸入道念西の息女は、女房大進局

上記を推察まとめると・・・
常陸介藤時長(藤原時長)と常陸入道念西(伊達常陸入道念西)は同一人物で、
時長が剃髪・入道して念西となり、奥州合戦を経て「伊達」を名乗ったと解釈できる・・・とあります。

阿津賀志山は国見町ですが
桑折町はそのすぐ隣・・・
麓の場所によっては、桑折町の説は・・・納得・・・した次第です。



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