若人よ過去を振り返るな。

「日々前進是在るのみ」が合言葉の停滞気味ブログ

久々に更新…

2011年08月06日 00時50分58秒 | 日常その他
スミマセン。
つまんないことだけ書いてまふ~。

スルー推奨っす。








なんかツイッターはじめてから、すっかりブログ書かなくなっちゃった…。

ツイッターは散文的に適当に短く書き散らせるから便利なんだよね。
おまけに私は器用なタイプじゃないから、色々なものを同時に使いこなすという事ができなひ…orz


ブログは、書きたい事はあるけど、じっくり書かないと…と思うから、気が付くと、逆に放置してしまうという…。

なんだか「お手軽」なものにばかり流れてしまっていけないね。
現代人の良くない傾向だなあ、と思わなくもない。


現代人は他人との距離の取り方を計るのが苦手な人が多いように感じる。
対人関係を気付くのが苦手な私もそう。

ツイッターってお手軽だし、一方的に書き散らして、リツイート(返信)があればそれに応えて…っていう、ある種の受動性主体(もちろん自主的にツイートする主体性は必要だけど)
リツイートがなきゃ独り言を言っている、という認識に認定出来る手軽さがある。

それってつまり、すごく気持ちが楽なんだよね。


ブログは第三者に対して「発する」という行為だから、閲覧者が少ないとがっかりしたり落ち込んだりするかもしれない。
だけどツイッターは必ずしも第三者に向けて発信するというのが曖昧だから気が楽。
つぶやきに対して返信がなきゃ、「独り言だもん」ってちゃんと自己完結しやすい。
いわゆる免罪符ありきなんだよね。


で、何が言いたいかっちゅーと。
ツイッターとかのシステムは免罪符ありきだから現代人に好まれるのかなあ、と。


コミュニケーションとかコミュニティってさ、築こうとすると大変じゃない?
気づかいとかおべんちゃら言ったり。
そういうのって誰もが得意としてるわけじゃない。
それでも昔のコミュニティっいうのは今ほど情報の取捨選択がお手軽じゃなかったから、なんとなく色々なものが誤魔化せた。
だけど今は面倒だからっていう理由で、割りと簡単に色々なものを切って捨ててしまえる世の中になってしまった。
つまり他人を切りやすいんだよね。
ネットなら顔を付き合わせてるわけじゃないからなおさら。


つまり何が言いたいかっちゅーと、お手軽なコミュニティが重宝される一方、手間暇のかかる濃厚な人間関係が敬遠されがちな気がする。

みんな本当は愛だの友情だの欲してるのに、様々な免罪符や言い訳を建前に、最初から敬遠しちゃってるように感じる。
もちろん、色々な考えや立場があるけれども。

少なくともひと昔前より、「他人」を気にかけなくなったのも事実だと思う。
というのか自分とその他に対する境界線がすごくがっつり引かれてるように感じる。
時には家族に対してでさえ、当然のように「他人」のレッテルをはる。
(別に家族とどういう関係性が正しいとか、家族とは濃密な関係であるべき、という事ではなく、コミュニティのひとつとして、家族というのは概ね良かれ悪かれ濃密になりやすいという、一例として)


だからと言って昭和の時代に戻れっていうわけじゃなくて。
ただそう感じるなあと思うという感想というかなんというかorz

すんません。
考えがまとまらない。

ただ、ネット上だろうと顔が直接見えなかろうと、自分の先には誰かがいるという事。
他人だからといって蔑ろにしたり、簡単に切って捨てるとそこには傷ついた人がいるという事。
それはもしかしたら、自分かもしれない。

そういう事だけは極力忘れずにいたいと思う酔っぱらいの独り言でした。
(酔っ払ってるのか!w)


あ~何が言いたいのか分からない!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする