そんな酷い事言ったのに、浅岡さんは。
分かってるよ
それだけで終わっちゃって。そんな寂しさを紛らわす関係がスタートしちゃったんだけど。その頃の私は、ホントに、何かに憑かれたように寂しさに襲われてて。どうしようもなかった。他人に愛されてることで、安心感を得ようとしてたのかな。。。。
私たちは、平日休日問わず、夜中までずっと一緒にいた。家に帰るのはお互い3時とか4時。睡眠時間は一日3時間を余裕で切ってた。
そんな生活を1ヶ月続けた頃。
当たり前だけど(苦笑)ちょっとだけ特殊な病気になってしまいました。。。。
熱が下がらなくなり、風邪薬を飲んでも直らず、病院をいくつも回りました。
結局、血液検査の結果、ウイルス性の病気であることが判明。
2ヶ月は熱が下がらないけど、長くても2ヶ月だから良くなると言われました。
免疫力が極端に落ちて、ウイルスが増殖。その後、それを倒すために白血球等が増加。
が、しかし。増加した白血球がその他の組織もその勢いのまま破壊してしまうそうな(笑)
だから、直接ウイルスのせいではないから、解熱剤で耐えるしかないとのことでした。
ひどいときは、40度まで上がって。チアノーゼ出てて。。。。死ぬかと思いました。
寝たきりみたいな一週間も過ごし、38度の熱出したまま、解熱剤で一週間会社通ったり。
あとは、微熱でふらふら。
血小板やら赤血球やらも破壊され不足。
貧血気味かつ血が止まらない。注射したあと、何分たってもずっと血が出てて・・・・
死にそうな顔をしてたらしい(笑)
浅岡さんと私は、一緒にいたいって気持ちがそれでもあって。
病気が治った頃から、私は浅岡さんのお家にお泊りするようになりました。
それだけ浅岡さんとの時間が大切でも、それより大切なものが私にはありました。
それが、先生のこと。
いつも私から連絡して、1ヶ月の間に何度も連絡して。それでやっと約束してご飯食べに行ってた私たち。だけど、約束すっぽかされたりもして。やっぱり、先生にとって私って何でもなくて。大切でもなくて。連絡来なきゃどうでもいい、そんな存在なんだよなって思ってた。
病気になって、心細くて。ホントは先生に一番会いたかった。
先生に連絡しないまま、2ヶ月が過ぎてた。そんなこと今迄一度もなかったのに。
そんな折だった。
最近話してないけど、元気にしてる?
そんな、他愛のないメール。
先生からだった。私から連絡してないのに。もう卒業してから一年以上たった私に、ちゃんと連絡をくれた。
また、泣きました。
何度も何度も、先生は私のこと迷惑に思ってるんじゃないかって。そればっかり心配になって。どうしようもなく不安で。
いつも先生に連絡するのが怖かった。だけど、私が連絡しないと気になるくらい。先生にとって私と会うことは日常になってたんだなって。
嫌なことでもなんでもなかったんだなって。嬉しくて、安心して。
病み上がりの分際で、即効会いに行きました(笑)
そのときの私は、先生曰く、ホントに死にそうな顔をしていたらしい(笑)
それからしばらく、先生はいっつも私の体調を気にしてました。ご飯はすずめの涙くらいしか食べないとかからかいながら、私のこといつも心配そうに見ててくれた。
病み上がりで会ったせいで、その後、またすぐ体調崩したから余計心配かけたけど。
先生に会えたから、精神的にはすごく安定したと思う。
その時のメールをきっかけに、私の精神は少しずつ安定していった。
先生への気持ちも適度な距離を自分の中で作って付き合っていけるようになり始めた。
先生を本当に愛してた。ま、今もだけども(笑)
分かってるよ
それだけで終わっちゃって。そんな寂しさを紛らわす関係がスタートしちゃったんだけど。その頃の私は、ホントに、何かに憑かれたように寂しさに襲われてて。どうしようもなかった。他人に愛されてることで、安心感を得ようとしてたのかな。。。。
私たちは、平日休日問わず、夜中までずっと一緒にいた。家に帰るのはお互い3時とか4時。睡眠時間は一日3時間を余裕で切ってた。
そんな生活を1ヶ月続けた頃。
当たり前だけど(苦笑)ちょっとだけ特殊な病気になってしまいました。。。。
熱が下がらなくなり、風邪薬を飲んでも直らず、病院をいくつも回りました。
結局、血液検査の結果、ウイルス性の病気であることが判明。
2ヶ月は熱が下がらないけど、長くても2ヶ月だから良くなると言われました。
免疫力が極端に落ちて、ウイルスが増殖。その後、それを倒すために白血球等が増加。
が、しかし。増加した白血球がその他の組織もその勢いのまま破壊してしまうそうな(笑)
だから、直接ウイルスのせいではないから、解熱剤で耐えるしかないとのことでした。
ひどいときは、40度まで上がって。チアノーゼ出てて。。。。死ぬかと思いました。
寝たきりみたいな一週間も過ごし、38度の熱出したまま、解熱剤で一週間会社通ったり。
あとは、微熱でふらふら。
血小板やら赤血球やらも破壊され不足。
貧血気味かつ血が止まらない。注射したあと、何分たってもずっと血が出てて・・・・
死にそうな顔をしてたらしい(笑)
浅岡さんと私は、一緒にいたいって気持ちがそれでもあって。
病気が治った頃から、私は浅岡さんのお家にお泊りするようになりました。
それだけ浅岡さんとの時間が大切でも、それより大切なものが私にはありました。
それが、先生のこと。
いつも私から連絡して、1ヶ月の間に何度も連絡して。それでやっと約束してご飯食べに行ってた私たち。だけど、約束すっぽかされたりもして。やっぱり、先生にとって私って何でもなくて。大切でもなくて。連絡来なきゃどうでもいい、そんな存在なんだよなって思ってた。
病気になって、心細くて。ホントは先生に一番会いたかった。
先生に連絡しないまま、2ヶ月が過ぎてた。そんなこと今迄一度もなかったのに。
そんな折だった。
最近話してないけど、元気にしてる?
そんな、他愛のないメール。
先生からだった。私から連絡してないのに。もう卒業してから一年以上たった私に、ちゃんと連絡をくれた。
また、泣きました。
何度も何度も、先生は私のこと迷惑に思ってるんじゃないかって。そればっかり心配になって。どうしようもなく不安で。
いつも先生に連絡するのが怖かった。だけど、私が連絡しないと気になるくらい。先生にとって私と会うことは日常になってたんだなって。
嫌なことでもなんでもなかったんだなって。嬉しくて、安心して。
病み上がりの分際で、即効会いに行きました(笑)
そのときの私は、先生曰く、ホントに死にそうな顔をしていたらしい(笑)
それからしばらく、先生はいっつも私の体調を気にしてました。ご飯はすずめの涙くらいしか食べないとかからかいながら、私のこといつも心配そうに見ててくれた。
病み上がりで会ったせいで、その後、またすぐ体調崩したから余計心配かけたけど。
先生に会えたから、精神的にはすごく安定したと思う。
その時のメールをきっかけに、私の精神は少しずつ安定していった。
先生への気持ちも適度な距離を自分の中で作って付き合っていけるようになり始めた。
先生を本当に愛してた。ま、今もだけども(笑)