東方のあかり

東アジア(日、韓、中+その他)のまとまりを願ってこのタイトルにしました。韓国在住の日本人です。主に韓国発信の内容です。

お坊さんの呪文

2024-09-09 11:33:34 | 韓国物


「子どもの頃は、考えがありませんでした。27年前にここの慈蔵庵(チャジャンアム)で
お布施箱を盗んで山に行き、箱からお金を取っていきました。約3万ウォンくらいだったと
記憶しています。」

最近、慶尚南道梁山市通度寺(トンドサ)の慈藏庵(チャジャンアム)のお布施箱から、
手紙一通とともに5万ウォン札で現金200万ウォンが入った封筒が見つかり、
仏教界に静かな話題となっている。

     

名前も残していない手紙の主人公は27年前、自分が慈蔵庵のお布施箱から3万ウォンを
盗んだ事実を告白し、「まもなく赤ちゃんが生まれる予定ですが、赤ちゃんに堂々として
立派な父親になりたいです。感謝し、申し訳ない。」として200万ウォンを同封した。

27年前は1997年、韓国社会全体がIMF金融危機で大きな苦痛を経験した時期だった。
手紙はさらに続く。「そして数日後、またお金を盗みに行きましたが、ある僧侶が私の肩
をつかんで、何も言わずに目を閉じて、首を左右に振りました。その日は何事もなく、
そのまま家に帰ってきました。」
その時、手紙の主人公の肩を持った僧侶は、通度寺の住職を歴任し、今も慈藏庵に住んで
いる監院(寺の財産管理を任された僧侶)職にあった玄文(ヒョンムン)僧侶だ。

            
             玄文(ヒョンムン)僧侶
  
ヒョンムン僧侶は8日、朝鮮日報との通話で「その少年の顔は覚えていないが、
その日のことははっきりと覚えている」として
「IMFが爆発したその頃にお布施箱がよくやられることもあった」と話した。

CCTVもなかった時代、小さなお布施箱を丸ごと持って山に入り、目覚めた後にお金だけ持っていく
ことがたまにあったということです。 そのため、僧侶はお布施箱の表面に「箱は割らないでください」と
書いて貼ったりもしたという。
問題のその日も、僧侶は庵で何か怪しい動きを感じたようだ。
夕方に庵に一人で来るには似合わない幼い少年だった。
お布施箱の周りを徘徊する少年の肩を静かにつかみ、何も言わずに首を横に振って制止すると、
少年はびっくりしたが、反抗はしなかったという。

「何の仕業だ」と叱ったり、お金を盗もうとした理由を尋ねたりもせず、これ以上の事情は僧侶も
知らなかった。またそれが二度目の試み(?)だとも知らなかった。

僧侶は少年の肩を撫でながら門の外に見送り、少年は静かに帰り、それで終わりだったという。
僧侶は「当時、似たような盗難事故を何度も体験し、IMFで人々がとても大変なことが分かって
いたので少年を送った後、そのこともそのまま忘れてしまった」と話した。
しかし、その日の「事件」は少年の人生に大きな影響を及ぼしたようだった。
僧侶と対話が交わされたことはないが「何も言わずに目を閉じて、首を左右に振った」行動を
通じて無言の大きな教えが少年の心に刻まれ、彼の人生を変えたと手紙に書いた。

手紙の主人公は「その日以来、今まで一度も他人のものを欲しがったことがありません。
仕事も頑張って元気に暮らしています。今考えてみると、あの日お坊さんが呪文をかけてくれて
自分が聞き分けのいい子供になったようです。

いままで来れなくて申し訳ありません」と書いた。続けて「しばらく借りたと思っていただけれ
ば幸いです。もうすぐ赤ちゃんが生まれそうですが、赤ちゃんに堂々として立派で素敵なお父さん
になりたいです。あの日のお坊さん、本当にありがとうございました」として
「もう一度申し訳ありません」と締めくくった。
ヒョンムン僧侶は「その手紙を見ながら『世の中にこんな人がいるんだ』と思って感動した」
として「特に『まもなく子供が生まれる』という部分で胸が熱くなった」と話した。

3万ウォンを盗んだ少年がなぜ66倍の金額である200万ウォンを封筒に入れたのかは分からないが、
おそらく感謝の気持ちと自分が表示できる真心を最大限に込めた金額ではないかと思うと語った。

僧侶は続けて「その少年がそのことを契機に正しい心で生きてきたということがどれほど偉いか」
として「赤ちゃんが元気に生まれ、その方も堂々として素敵な父親として生きていくことを願う」
と話した。[朝鮮日報参照]
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