東方のあかり

東アジア(日、韓、中+その他)のまとまりを願ってこのタイトルにしました。韓国在住の日本人です。主に韓国発信の内容です。

家内とわたし

2022-05-06 11:06:03 | 韓国物

 韓国のコミュニティ掲示板にあったものを、翻訳してお届けします。

 
わたしと家内はほんとにちがっている。
わたしは右利きで家内は左利きだ。
それで習慣づいているためスジョ(韓国式の箸とスプーン)を左側におく。
なんでもないようなことだけど、結構神経にさわる。
そしてさらに、わたしはひばりスタイルだ。
朝早く起きて動き出す。
遅くまで寝ているのはなまけものと考える。
一方わが妻は、フクロウスタイルだ。
夜通し「ホー」「ホー」と鳴いて暁の頃に寝に入る。
だいたいが、一致するところがない。
わたしは一杯の水を飲んでも、飲んだコップはすぐに洗う。
誰かがしなければならないことであり、
いつするとしても、必ずせねばならないことであり、
わたしがまたすぐ手をつけるかもしれないじゃないか。
(だからすぐにきれいにしておく)
ところで妻はそれができない。
食器棚から取り出しては使い、使える食器がなくなるまで使ってから
全部一絡げにして洗い、筋肉痛になる。
わたしは前もって準備しておくスタイルだ。
そんな自分とは違い、妻は出発の時間になると化粧をはじめ
近づいてみると、実にものすごい。
化粧品の蓋という蓋は全部開けてある。
わたしはそんなことががまんできない。
我知らずかっとなって腹を立てる。
「おいおい、こんなにしておいて外出から家に帰ったら
香りは全部飛んで行ってしまうじゃないか。
なんのため、高い金を出して買う必要があるのだ。
いっそのこと、ただの水を塗ってはどう?」
そのうえわたしは約束時間に遅れたことはほぼない。
あとになると、とうとう我慢しきれず、
聖書までも突き付けた。
「ねえ、きみ、イエス様は復活だけやればOKだろ。
なのになんであの忙しいなかに
セマポ???とタオルをきちんと折りたたんで出てこられたのかい?
君のように整理整頓のできない人に
整理整頓がいかに大切なことかを教えたかったんだよ。
それが復活の最初のメッセージなんだ。
君は復活を信じるの? え?どうなんだい?」
このように家内を問い詰め窮地に追いやったとき
天の声を聞いた。
「おい、こやつ、ちゃんとできるお前がやりなさい!
ちゃんとできないからお前ごときを旦那にしたんじゃないか」
 
人々が気になってることがある。
わたしの恩賜(ギフト)は何だろうか?
 
しかし意外にもあまりにも簡単にその恩賜が何なのかわかる。
自分の中から生じる不平・不満、
まさにそれこそが自分の「恩賜」なのだ。
 
こういうことだ。わたしの妻は紙くずが散らばっているのに
それが目に入らない。
だから不平はない。むしろ明るく振舞う。
ところでわたしは、すぐに不平不満がいっぱいになり
腹が立って爆発しそうになる。
これは、わたしが妻より整理整頓に関して
卓越した恩賜があるという証拠だ。
 
神がこの恩賜を与えてくれた目的は、相手の気持ちを
がりがりひっかいて心に傷を負わせることに使用するためではない。
恩賜とは、愛するひとを大切にもてなせという意味でくださったギフトだ。
 
その瞬間わたしが気づいたことがある。
わたしの妻にはフタを開ける恩賜があり、
わたしにはフタを閉める恩賜があるんだという事実。
 
それ以来、妻に対するわたしの態度は変化した。
妻が化粧をするため座っているとき、わたしが近づいて問うた。
 
「これ、もう使ったんだよね。だったらこれのフタ、閉めてもいいよね。
これは? そう、ならこれも閉めとくよ」
 
今はわたしがフタを全部閉めるのだ。
 
ところで驚くべきことが起こった。
あんなに腹を立てていたときには全く聞く耳を持たなかった妻が、
少しずつ変わっていったのだ。
 
きちんと閉める程度ではなく、いかほど強く閉めるのか、
最近はわたしにフタを開けてっていうほどだ。
 
自分が変わったら妻もかわった。
 
そのように分別をわきまえるようになったわたしが
好きな祈りがある。
 
「わたしが若いころは、世の中を変えれるだけの力をくださいと祈祷しました。
中年となったときには、わたしの友達とその家族が変化するようにしてくださ
いと祈祷しました。ところで老年となった今、わたしはわたし自身を変化させ
てくださいと祈祷します。もしも初めからこの祈祷を捧げていたならば、
おそらくわたしの人生は全くもってちがったものとなっていたことでしょう。」
 
これは、韓国で家庭使役者として広く知られた
ソン・ギルウォン教授(ハイファミリー代表・牧師)の文章だ。
コント形式で構成され、我知らず微笑がこぼれる一方、
心に響くところは少なくない。
 
よく言われるように、夫婦は近くて遠い存在だ。
向かい合って横になれば世の中で一番近い存在だけれども、
互いに背を向けて寝れば、夫婦の間は10万里にもなる。
地球を一回りしないと出会えないからだ(21773マイル)。
 
コロナ余波で、夫婦がいっしょに過ごす時間が前よりずっと多くなった。
また、前はひとつ屋根の下にいても、「神秘のベール」に包まれていた
子どもたちの生きざまの一挙手一投足がより近く見れるようになった。
 
来年の春くらいには、父母は父母なりに、子どもたちは子どもたちなりに
もう一度日常の生活に戻ることになるはずだけれど、
そんな日が来る前に、今現在のこの黄金のような機会をうまく使って
夫婦間にあったどうしても縮めることのできなかった性格の差や気質の
差の問題を「恩賜」の観点からながめ、
詰まった塀が崩れ、曲がったところがまっすぐに広がり、
谷間が埋まって平地になる、奇跡のような証しが
湧き水のように湧き出ることを、お祈りしてやみません。
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