涙と笑いのHIV奮闘記

自分とは無関係と思っていた病気と思いがけなく向かい合い、闘病を続けるオヤジの日記。
仕事に趣味に彼氏との生活に奮闘中。

大阪歴史博物館:「なにわの薬屋さん」

2012年06月08日 | 外出・旅行

今、大阪歴史博物館で開催されているのは
特集展示「なにわの薬屋さん」と、特別展「ザ・タワー~都市と塔の物語~」
です。

まずは特集展示を観るために常設展へ。
エレベーターで10階に上がり、そこから階を降りてゆきます。
10階が「古代:難波宮の時代」
9階が「中世:大坂本願寺の時代 ・近世:天下の台所の時代」
8階が「特集展示・歴史を彫る・ 近代・現代:大大阪の時代」
7階が「近代・現代:大大阪の時代」

やじはこの9階がお気に入りなのです。
9階へのエスカレーターを降りて展示会場に足を踏み入れると、
すごい規模のジオラマ。
当時の水都の大阪を廻ってゆきます。

  
  

こんな御座船も展示されています。

1/20大の街のジオラマもあります。

その中には道頓堀の芝居小屋のジオラマも。
これは「仮名手本忠臣蔵」の「二つ玉の段」ですね。

蓑を纏った早野勘平と、勘平の義理の親の与一兵衛を殺して金の入った財布を奪った斧定九郎。
この後、勘平は、猪と誤って定九郎を火縄銃で撃ち殺してしまうのですが・・・

の場面ですね。
観客の表情まで細かく再現されていますねえ。

照明がなかったので、花道の両脇、そして舞台の前にロウソクがともされています。

 

さて、8階へ降りて「特集展示」へ。

  
  

 江戸時代以来、大阪は薬の町として知られています。それは、薬の原料となる薬種(やくしゅ)を取り扱う商人が集まっていたことのほかに、薬種から人びとが服用する合薬(あわせぐすり)を製造・販売する合薬屋(薬種屋ともいう)もたくさん存在したからです。薬種を取り扱う商人については、船場の道修町(どしょうまち)にいた薬種中買仲間の文書(「道修町文書」)が残され、また彼らは明治になると西洋薬の製薬業に転換し、現在まで存続している企業も多いことから、その業態はよく知られているところです。一方、明治以降、西洋薬がもたらされると、合薬屋は次第に姿を消していったので、道修町の製薬会社ほどには、あまりよく知られていません。

近年当館では、合薬屋に関する資料の寄贈を受けました。これを機に、これまでの館蔵資料も含めて、江戸時代から明治時代にかけての大阪の薬屋に関する資料を展示して、かつて大阪の産業で重要な役割を果たした「薬屋さん」に対する理解を深めていただこうというものです。

(パンフレットより引用)

なかなか興味深い展示でした。

それにしても、「ひぜん湯薬」(ひぜん=疥癬というダニによる皮膚病)という薬を廻る話が面白かったですね。
疥癬は今でもある病気のようで、どうもゲイの××××場で今でもよくみられるとか。
皮膚病の中で一番痒みの強い疾患らしいです。
現代においても治療は困難だとか。

8階から7階の展示の一部を観ることができます。
歌舞伎小屋。

7階に降りてみます。

 

その前では白黒の「勧進帳」の舞台の動画。

義経を初代中村鴈治郎が演じているというのですが、弁慶と富樫しかわからない・・・

同じ階に初代中村鴈治郎の絵。
どの絵がどの芝居のどの役かわかりますか?

  
  



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