涙と笑いのHIV奮闘記

自分とは無関係と思っていた病気と思いがけなく向かい合い、闘病を続けるオヤジの日記。
仕事に趣味に彼氏との生活に奮闘中。

奈良坂:植村牧場~奈良少年刑務所~奈良市水道計量器室~北山十八間戸~転害門

2013年10月11日 | 自然

般若寺の前には植村牧場。
そこの道路側に、ショップとレストランカフェとがありまして。

  

そしてその裏には牧場。
これは牛舎の外に居た子牛と羊。

  

ショップで牛乳とソフトクリームを買って、店先のベンチでいただきました。
懐かしい瓶入りの牛乳。

銭湯で、そして小学校の給食で良く飲みましたね。

   

奈良坂をブラブラ下ってゆくとなにやら不思議な建物の屋根が見えたので行ってみると、
奈良少年刑務所でした。

なぜこのデザイン?という建物ですね。

  

さらに下ってゆくと工事の音が。
そこにもまたレンガつくりの建物。

何かな?と思ったら奈良市水道計量器室と描かれていました。
現役?それとも要らなくなったから解体するのでしょうか?

  

そのすぐ前に変わった建物がフェンスに囲まれていて、
そこに「史跡北山十八間戸」の石碑。

これが・・・

鎌倉時代に西大寺の忍性によってつくられたつくられたハンセン病などの重病者を保護・救済した福祉施設です。
横に長い建物が18室に区切られているので十八間戸。

周囲を一周してみたのですが、フェンスに囲まれていて中に入ることはできませんでした。

その隙間から覗いてみると、扉に「北山十八間戸」の文字が描かれていました。

   

そうだ、たしか夕日地蔵があるはず、ともう一度この辺りをうろうろすると、
民家の間にありました。

  

さらに坂をどんどん下りてゆくと、遠くに東大寺大仏殿の屋根と、興福寺五重塔と県庁の屋根。

  

奈良奥山ドライブウェイの途中にある和風旅館「奈良 万葉若草の宿 三笠」が見え、
若草山も見えてきます。

  

坂を下りきったところに提灯屋。

 

東大寺の転害門までもどってきました。
奈良時代に創建された東大寺は数々の戦火で炎上し、その姿をとどめている建造物はほとんど無く、
唯一残っている建物がこの転害門(てがいもん)。
ちなみにこの辺りは手貝町といいます。

注連縄が先日新しいものに交換されました。

  
 

は~随分歩いた。
1万8千歩です。



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