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沖縄,桜の城は・・・今帰仁城

2020-02-17 | おでかけ
沖縄、「日本100名城」スタンプ集めの旅・・・
沖縄の城(グスク)・レポ第3弾w

本日は、今帰仁城(ナキジンジョウ)です。

13世紀に築城、10の曲輪から成る連郭式山城、
土地の高低差を巧みに生かした、巨大なグスクです。
こちらも「世界遺産」。



今帰仁城といえば、琉球寒緋桜の桜祭りが知られています♫
今年は暖かったせいか、桜祭り前だというのに、木によっては満開でした。
訪ねた城の中で、一番、混雑していました。(1月末)

桜の城としてのイメージですが、
実際に見てみると、なんだか、荒々しい雰囲気・・・?
ゴツゴツしているというか・・・



たぶん、今帰仁城の城壁に使われている石は、古期石灰岩だからでしょう。
他のグスクが、加工しているのは、琉球石灰岩。↑
比べれば、古期石灰岩の方が、固いのだとか・・・

今帰仁城は標高100mの山に築かれています。
この高い土地で、あの石がとれたので、城も建てちゃったわけです。(合理的!)
レンタカーで、さんざん登りが続いたのも納得でした。




・・・ということで、アタクシのグスク・きゅんきゅんポイントの
波打った石垣の城壁が、しっかりあります♫

沖縄の古謡を集めた「おもろそうし」に「百曲り(モモマガリ)」と謳われ、
優美な城壁の様子が讃えられているそうです。

このカーブした城壁には、理由がありました。

曲がっていることで、城壁の外側に一定の間隔で突出部を設け、
攻めてくる敵を、横、斜めから攻撃できるようにできるのだとか。
グスクが軍事的施設でもあったことを考えれば、納得でした。



そして、海が見える!
ちょうど午後の日盛りのせいか、青い海がいっそう鮮やかでした。

琉球が、北山・中山・南山の三つの勢力に分かれていた時代、
今帰仁城は北山の拠点の城・・・
軍事的にも、見晴らしは大事、優れた城であったことが、わかります。


(今も参拝されている火神)


そして祭祀の場であること。

北山の王は、明王朝と交流し、東南アジアともつながり
栄華を極めていました。

ところが、中山王に攻められ、1416年、北山王は自害。
琉球を統一した中山王は、後に、この城に北山監守を置き、
北部統治に目を光らせたそうです。

それから200年後の1609年、
薩摩の侵攻により、今帰仁城は、壊滅的な打撃を受けました。
実際、17世紀以後の陶磁器の出土は、ほとんど無いそうです。


(正門から入り、今は本文一番上の桜の咲く道を歩くが、当時は、この道。
平行して今も残る)


今帰仁城のある、今泊集落では、
主のいなくなったグスクの御嶽をずっと守り継いできたのだとか。

グスク内には、今も、質素な祠に、自然石を祀っただけのものから、
立派な御嶽(ウタキ)まで、拝所が、たくさん残っていました。

今泊では、現在も古式にならい、ノロ(女性祭祀)と共に、旧暦に合わせ
グスクと周りの拝所を参拝。
集落の安全と豊穣を願う祈りを捧げているそうです。



沖縄を初めて訪ねた観光客としては
ガジュマルの木を見るだけで、神秘的な気持になります。
(精霊・キジムナーが、いかにも現れそうでドキドキw・・・)

この旅で、グスクと共に、御嶽(ウタキ)にも惹かれました。
実は、グスクの前に、斎場御嶽(セーファウタキ)を歩き、
すっかり、御嶽に魅せられていたのです。

そのあたりは、またいずれ・・・
お付き合いいただけると、嬉しいです。

◆参考
上里隆史・山元正昭『沖縄の名城を歩く』 吉川弘文館
沖縄県「琉球歴史 ロマン探訪~9つの世界遺産めぐり」パンフレット

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お読みいただき、どうもありがとうございました。
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