ことば咀嚼日記

日々読んだ活字を自分の頭でムシャクシャ、時にはゴックン、時には、サクサク咀嚼する日記

横浜の思い出  冬の小鳥

2011-01-02 | 日記
横浜J&Bで、見逃した映画を見ることができました。

「冬の小鳥」という韓国映画です。
この映画は十字架と復活がベースになっていると思いました。

父親に養護施設に預けられた小さな女の子が、もう父親は迎えには来ることはないという事実を受け入れるまでの話です。
預けられたその日から、女の子は ハンスト、逃亡未遂、もらった人形の首をもいでめちゃくちゃにする、泣き喚く、かん黙などの行為をもって、事実から抵抗します。

その過程を周りの大人たちや、同じ境遇にある子供たちは、特に慰めることもしません。こんな慰めようのないほどの重い事実に際しては、誰にもどうすることもできないのです。しかし、女の子の心が落ち着くまで、放っておくという形で、好きにさせています。悲しいときにはそのまま悲しむように、また逃亡するために女の子が施設の塀に登って、今にも飛び降りそうな時には、門の鍵を開けてどこで行けるようにし、ひとりでいたいときには一人でいさせます。とても厳しいようですが、自分の人生の方向を自分で選ばせる自由をちゃんと与えています。

女の子は施設の院長に、懇願します。どうしても父親の元に帰りたいと。父親と住んでいた住所もちゃんと言えると。彼女のあまりの悲嘆ぶりと死に物狂いの懇願に負けた男性の施院長が、女の子の語った父親の住所を訪ねてみましたが、もう父親の一家は引っ越した後で、父親と新しい母親と赤ちゃんの消息はわかりませんでした。

人間として本当にこれ以上の屈辱と悲嘆はあるでしょうか。女の子は父親を深く愛していたのです。父親と別れる時に、自分がその施設に捨てられるとは知らずに、最後の食事の場で、嬉しそうに彼女が歌った歌が時々流れて、胸が痛くなります。
こんなにもあなたのことを愛していることをあなたは知っているの・・・という歌詞でした。

キリスト教の養護施設なので、礼拝場面が出てきます。イエスの「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜ私をお見捨てになるのですか」という詩篇22編を取り上げた神父さんの説教場面が印象的です。
女の子が施設で隠れて友達と飼っていた小鳥が、死んでしまい、土を掘って埋葬する場面。そして父親に置き去りにされたことをどうしても認めざるを得ない事態に陥って、たった一人で彼女は自身が横たわるための穴を掘って、そこに身を横たえます。
砂や枯葉や枯れ木を体に、そして最後には顔まですっぽりかける場面では、このまま死んでしまうのだろうか、とドキドキしました。

しかしこの映画には、復活も用意されているのです。女の子は、自らを横たえた墓から土を取り除けて起き上がると、顔の土を払い去り、建物の中にもどります、目を背けたくなるような事実を受け入れ、一度自らを死に葬むった後に新たな道が用意されていたのでした。

生きることは現実を受け入れること、そのためには自分が一度死ぬ必要があること、その事実を受け入れる過程を胸が痛くなりながらもつぶさに見て、わたしの心の奥底にひそむ小さな勇気が奮いたてられました。