「凍ばれる」
昔の北海道の冬の生活は、寒さの中での我慢の生活でした。
水ガメの水は厚く凍り、柄杓(ひしゃく)の柄で割り、水を使うのです。
子供はカメの中にある割氷を口に入れて溶かしながら、冬を味わう(?)のです。
冬の夜は「湯たんぽ」や石を暖めた「石たんぽ(?)」は欠かせれませんでした。
湯たんぽのお湯は、朝の洗面に欠かせませんでした。
凍てつく朝は、「凍ばれる」の言葉にぴったりでした。特に寒い朝は「凍ばれる」の言葉になって口から自然に出てきます。
「凍ばれる」と「寒い」の温度の境は指定されていませんが、体感で感じたままで言葉として発せられるものです。
しばれるをパソコンで検索すると漢字に変換されません。「凍ばれる」は北海道の方言だからなのでしょう。
札幌は寒い日でも零下10度前後なので、凍ばれるの言葉をあまり聞かれません。
道内の寒い所では零下20度を越していますので、さぞや凍ばれる毎朝なのです。
凍てつく朝は雪道を歩くと「キュッ・キュッ」と雪鳴りがします。この時は「凍ばれる」という言葉になります。