広島市中区にある平和公園の土の中には 焦げたしゃもじや写真建て 熱戦でぐにゃぐにゃに曲がった瓶などが
原爆資料館本館の周りで進む発掘で、原爆の被爆当時の遺構と共に、暮らしの品々が 出土しているのだそうです。
平和記念公園の下には 原爆で破壊された町並み跡が、今も残されていることがほぼ確実となったそうです。
黒く焦げたがれきや遺品が地中に埋もれた地層は 71年前の被爆のむごさを物語るものです。
原爆平和記念館を作るとき、建設をそぐことが急務だったのでしょうね~
1999年の国立原爆死没者追悼平和祈念館が建設される債に地中にそういった物件がある事は
わかっていたそうですが、この被ばく遺産を 残す考えはなかったようです。
多くの観光客や修学旅行生が訪れる平和公園は 今まで訪れた人は以前から 公園であったかのように思われているようです。
あの広い公園内の地層には 文化財として評価される原爆投下当時の生活が 今でも埋まって位rのです。
残念なことに今回の発掘現場を保存できないようです。
資料館の基礎部分に 地震に対する免震ゴムを取り付けられるためだそうです。
出土した一部は保存されるのですが、被爆で黒く焦げた地層はすべて失われてしまうのだそうです。
建物の方が大事だという早急な結論のようで、建物を他に移して 現状の地層を残すという方法も
あったのではないかと思う者です。
国を動かす人は 地域の人の目線で 考えて欲しいと思います。
「巫女さんのくせに」と言う 上から目線の個会議委員さんもおられるようですが、
国会議員こそ 上からでもなく 下からでもなく、同じ目線で 物事に対処してほしいものです。
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