あまりに悲しい、今朝の目覚めでした。
作品や、人そのもの、生きざま、すべてが大好きだった川柳作家の時実新子先生が78才で旅立たれたのです。
新子先生に最初に魅かれたのは12年ほど前。テレビの中で、燃える情念を静かに淡々と話されるお姿に、この先生に近づいてみたい!作品を生み出される新子フィルターを見てみたい!と言う気持ちが溢れました。
仕事関連の人を介せば、すぐに会わせていただくこともできたのですが、それよりも、新聞の川柳投稿欄に毎月応募し、選ばれることで近づく道を踏み出しました。特選に選ばれることは叶いませんでしたが、掲載された新聞のファイルも分厚くなり、月曜の朝刊を待ち望む日を重ねました。夜中、仕事を終えて、今月のお題を考えながら眠りに着く時が至福の時でした。
そうそう、何にどう刺激を受けたのか、聡甫も投稿しだした途端から選ばれるようになり、良きライバルも誕生しました。
そんな先生と、ヒョンなことからお電話でお話するチャンスが巡ってきて、お互い、表現者としての生みの苦しさ、楽しさから始まり、挙句にお互いの身の上話まで、1時間近い、宝のような時をいただけたのです!
あの時は、富士山にヘリコプターからヒョイっと降りるのではなく、下から一歩一歩登ってきてほんとによかったなぁと、感激もひとしおでした。今でも、あの柔らかくお優しい響きは、耳の奥にちゃ~んと残ってます。
形のある宝物がもう一つ。
私が押絵の本を出版して、お送りした時にいただいた一葉のお葉書。
「超多忙の中で、川柳がお心のオアシス的役目を果たしているなら、とてもうれしいことです」という、身に余るお言葉。いつか、先生の川柳と、私の押絵で2人展がしたい・・・と夢見ていましたが、ほんとの夢になってしまいました。
いつも全速力で駆け抜けられた新子先生、じっくりゆっくりお体をお安めになってくださいね。そちらでまた、教えていただける日まで、もう少しこちらでがんばろうと思います。でも・・・胸の真ん中がスースーしてます・・・淋しいですね・・・