3月11日(火)
14年前、神戸に一週間の予定で戻っていた。
予定より一日早いこの日、田舎へ向け出発した。
天気が悪くなる前にと思ったからかどうか、覚えてない。少なくとも神戸は晴れていた。
一番身体の疲れないBMW1100RS。
米子道に入っても順調に走っていたのだが、時折り雪がちらつき始める。
と言っても3月。積もるようなことはあるまいと思いながら、「でも、ちょっと寒いよな」とも思いながら走り続ける。
進むにつれて酷くなる。前方が少し見えにくくなる。速度を落とす。
「冬用タイヤを装着している車以外通行禁止」の表示が目に入った。
冬用タイヤって・・・。バイクにはないぞ?
そして規制にあたっている職員によって自動車道から追放される。
「一日早く出てきてよかった」。そう思ったが、さて、こんなところで降ろされてどうする?とにかく宿泊場所を探さなくては。
中国山地のど真ん中だ、辺りには何もない。
しかし、こういう時はガソリンスタンド。給油がてら宿泊場所の紹介を頼む。
何もないと思っていたが、下ろされたところは湯原温泉という温泉地で、そこのホテルに連絡を取ってくれた。
やれやれと思いながらも、いざという時のために所持金を少し余分に持って出ていたことで一安心。早速風呂に入りすっかり気を緩めて夕食を摂ろうと食堂に行ったら仲居さんが大地震と津波のことを教えてくれた。
部屋に戻り、テレビを点ける。真っ黒い水に家々が流される同じようなシーンを何度も流された。実感はなくともこれだけ何度も流されると受け入れざるを得ない。
翌日、通行禁止の解除された米子道出口近く、自動車道専用の駐車スペースには、明らかにこれから東北へ向かうと思われる消防車、救急車等の緊急車両が数多く集まり、全てが赤色の回転灯を点けていた。
間違いなくこれから、この鳥取から東北へ向かうのだ。不意に涙がこぼれそうになった。神戸で地震に遭った時、街中には色んな県ナンバーのパトカーが信号機のつかない道路で、交通整理にあたってくれていた。それを思い出したからだろうか。
あれから15年目に入るらしい。被災地の復興はまだ半ば。
阪神・淡路大震災だって復興が成ったわけではない。神戸だって昔の賑わいが取り戻せてはいない。熊本だって、更に能登半島に至ってはまだ一年少々、特に困難な状況にある。
復興は途半ば。でも、「復興成る!」時はいつ来るのか、なんて誰にも分からない。
できることはこれまでと同じく営々と努力を積み重ねることだけだ。失われた命も時間も決して戻っては来ないんだから。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます