水川青話 by Yuko Kato

時事ネタやエンタテインメントなどの話題を。タイトルは勝海舟の「氷川清話」のもじりです。

・Sea Wallの舞台を観て……(ツイート編)

2013-08-04 01:32:11 | Andrew Scott

8月1日と2日、ロンドンはThe National Theatreの仮設小劇場The Shedで、Simon Stephens作、Andrew Scott主演の一人芝居「Sea Wall」を観ました。

 

Sea Wallについては、(1) オンラインの映画版を観て、あまりに深い部分を揺さぶられたため、しばらくほかの何も手に着かず、英語で書き散らかした感想がこちら。(2)Sea Wallについてアンドリューとサイモンがとても面白い対談をネット公開していたので、それを日本語で紹介したのがこちら。(3)そしてついに、矢も楯もたまらずこの作品を日本語で紹介したくて、映画のプロデューサーに連絡をとり、「商業用ではなくあくまでも日本の人たちに知ってもらうためだけにブログに載せる」という条件で翻訳を許可してもらったのが、こちらです。

(6日追記:こちらいずれも直しました→ ちなみに舞台再演を機に訳の間違い2カ所に気づきました。sliding doorは「自動ドア」であるはずがなく、おかしいなと自分でも思っていただけに、アンドリューの1日の演技を観て絶対に違うと確信。そしてもうひとつ「南グルジア」と訳してしまったSouth Georgiaは、1982年にアルゼンチンとイギリスが戦ったSouth Georgia島侵攻、つまりフォークランド紛争2日目の出来事だったのではないかと、@picolin1さんに教えていただきました。時系列的に絶対にそっちの方が正しい!「南ジョージア島」に直しました)

いずれにしろ、ただでさえ『シャーロック』のモリアーティで「こっ、この人は北島マヤだ!」と確信して動揺していたアンドリュー・スコットなのに、そこに加えてこの映画版Sea Wallの演技を観て、「こっ、こんな役者がいるんだ! 役者という生き物が大好きな私の、理想がここにいる!」とジタバタしてしまったのでした。さらに、Sea Wallの戯曲があまりにも精緻で、あまりに多重的で、悲しくて、そして美しくて、「こっ、これだけの内容がなぜ30分で描けるんだっ!」と自分の深い部分が揺さぶられてしまったのでした。子供の頃からずいぶんたくさんの芝居を観てきましたが、これほど揺さぶられる作品はそうそうあるものじゃないというくらいの状態になったSea Wall。そのSea Wallが「え? 再演!?」と知ったときの、かなり異様な自分の状態は、こちらで記録しておきました。「お前、おかしいから」と自分への苦言として。

 

そして1日と2日(前楽と千秋楽)を観たわけですが、まともな感想が今後書けるか分からないので、直後のツイートをペタペタ貼ります。

 

ロンドンNational Theatre The Shedにて、アンドリュー・スコットの一人芝居「Sea Wall」観劇。私の理想とする演劇(何もない黒い空間に役者がただひとり。その身体と言葉だけで表現する世界)が。225人しか入らない小さい空間でただ黒く平たいだけの床を三方、客席が囲み、その真ん中で最高の演技をする役者。最前列にいた私とアンドリューの距離は3メートルあるかないか。その距離感で、最高の戯曲を最高の演技で。至高の演劇体験をしました。

客入れが始まるとアンドリューはもう役に入って、板の上に立ってる。その横を客が「あ!」という驚きを押し殺した表情で通りすぎて、それぞれ席に着く。その間、客入れにかかる約20分かそこら、アンドリューはずっとそこにいる。ゆらゆらと。物語をすでに知っている私は、どういう表情でその姿を見つめていいのかも分からず、ひたすら心拍数が上がっていく。

映画Sea Wallを見てしばらく何も手に着かなくなるほど深く揺さぶられて書いたように  これほど自然に見える演技をこんなに高い技術で緻密に作れるなんて! →

→ しかもこの一人芝居は決してやりやすい作品じゃないと思う。それをアンドリュー・スコットは完全に自分の中にとりこんだ上で、外へ見せる演劇として完成させている。高い技術を緻密に組み立て、海そのもののような自然さを作り出している。最高の演劇の形だ。

 

音響なし、照明の変化も(おそらく)なし。ただただ、華奢な男がひとり何もない小さな黒い空間にぽつんといて、ヨレッとしたポロシャツにジーンズというそれだけの姿でひとり淡々と語る。それだけで観客を笑わせ、悲しみで一つにし、静かな感動を作り出す。私にとってこれは演劇の究極の形のひとつ。


Saw Andrew Scott's at TheShed tonight. How can an actor be so measured, with full mastery of his craft and yet seem so natural?

As was the , Andrew Scott in SeaWall is devastatingly moving. And this times it happens literally right in front of you.

In @ TheShed, In a very empty space with nought but the genious actor and the beautiful script, something extraordinary happens. This is theatre in one of its highest forms, I think.


表では真面目に書きましたが、Sea Wallの舞台! アンドリューが自分から3mくらいのところで演技! しかも場内に入ったらまっさきに、「ふるん……」という感じでそこに立ってるアンドリューの姿が目の前にあって! 心臓ばくばくばくばくばくばく。

 

野田秀樹の芝居もそうなんだけど、前半は笑いに笑ってた客席が、これは笑い事じゃないんだと気づいてからは「しん……」と静まり返って一体化するあの感じ。映画のそれももちろん素晴らしいけど、目の前で演じられて。ああもう、なんていうか、あああ。

そして実は、最後の本当に本当に素晴らしい感動的な台詞の前に、なんと客席で携帯が鳴ってしまった。若い女の子のその人は「Oh God!」と小さく叫んですぐにそれを消したんだけど……ああ、最後のあの台詞の前に……ともちろん私も思ってしまった。でもそのあとその若い女性は、楽屋口で泣きじゃくっていて。自分だったらと思うと気の毒でたまらずいたら、しばらくして出てきたアンドリューに彼女が「電話鳴ったの私です。本当にごめんなさい。薬を飲む知らせのアラームで……」と。するとアンドリュー、「気にしないで。だってすぐに消してくれたし。すごく申し訳ないって思ってるのがすぐ伝わったし。大丈夫、大丈夫、気にしないで」と穏やかに優しく。素晴らしい。

やーもう、楽屋口に出てきたアンドリュー、ひとりひとりに本当に丁寧に相手してくれて、話を聞いて、握手して、写真を頼まれると「Of course, please」とひとりひとり。しかも何度も。サインを求められれば必ず名前を聞いて。こちらが話しかけることにちゃんと反応してくれて。ああ。

 

私は例によって「わたし、最高、あなた、もう、とてっも。すごくすごく」的なアワアワ状態。

 

例のアンドリュー自画像ピンバッジをおそるおそる「……あの、これ気に障ったらごめんなさい……」と渡したら、「え? あ! これ! あははは! This is great! Thank you, thank you!」と。ああああああ。

 

そうだそれから。楽屋口で待っていたら、ベリル・ヴァーチューさんが出ていらした。客席では気づかなかったのだけど、やはりアンドリューを観にいらしたのか。(楽屋口はNationalの複数の劇場共通なので、他の演目の役者も出てくる)

8月2日。Blythe Houseでアンドリューの"Design for Living" →レスター・スクエアで"The World's End"→ホテルに戻りシャーロック、ライヘンバッハの再放送(今ここ)→アンドリューの"Sea Wall"千秋楽へ

 

Sea Wall千秋楽、昨日の演技よりもさらにメリハリがついていたように思う。映画を何度も観て戯曲を何度も読んでいるのに、なぜ最後の10分間、ずっと涙が止まらないのか。本当にもう。

戯曲の作者サイモン・スティーブンズが客席にいて、何度も再演し映画にもした自作の随所で笑っていた。それくらい「今」を表現するアンドリューの演技の高い鮮度。終わるとアンドリューがサイモンの名前を呼んで客に紹介し、そして二人は固いハグ。ハグしてるアンドリューの表情がよく見える位置にいたので、更にこみ上げた。

開演前、バーにいたサイモンに声をかけて「あの……」と自己紹介し、「ああ、あの!」と言ってもらい、そして「あの! あなたのいろいろな作品がどれも本当にだいしゅきれす! 素晴らしい作品をありがとましゅ!」と伝えた。あたふたしながら。恥ずかしいけど嬉しい。

 

終演後にご一緒したさんがなんとSea Wallの英語戯曲と私の拙訳をメモ帳に手書きしていらして、見せてくださった。終演後もバーにいて友達たちと歓談していたサイモン。1人になったのを見計らって、「これ見てくらしゃい!」と見せたら大層感動して撮影。そして先ほどこのtwを 

 

Sea Wall千秋楽、開演前と終演後のバーで、作者サイモン・スティーブンズと話したよう(T T)。「私が実はあの……」と開演前に自己紹介し、「ああ! 日本語の見てみたいです。URL教えて」と言われる。終演後、実はfree wifiが使えるとさんに教えていただき、iPadに拙訳画面を出して、再度話しかけるチャンスができたサイモンに見せる。愛する戯曲の作者自身が拙訳を見ながら、「ああ、これがShe had us, both of us, absolutely round her fingerなんだね」と読み上げるのを横で聞く幸せ。なんという幸せか。


終演後のバーにはアンドリューもいて! ずっとお友だちたちと楽しそうに話していた(The Hourで共演のドミニク・ウェストがずっといた)。終演から1時間くらいして、ほかに遠巻きにしていたファンたちにサインを始めたので、私たちもそっと近寄る。私はサインではなく、拙訳の画面を見せて経緯を説明。「そうなんだ。嬉しい。本当にありがとう。Thank you for doing that」と肩をたたかれる。うれちいよう。本人を目の前にしてオタオタアワアワしてしまった昨日とそんなに大差ないけど、今日はそれでもまだ、演技のことについてとか、少し会話が成立した気がしてる。ふわふわ~ん。

 

アンドリューはそのあとまた楽屋口へ向かい、待っていたファンひとりひとりに実に丁寧に対応。ハグを求められればハグも。本当に偉いと思う。

 

それにしても、こんなに繰り返し観ている作品をまた観て、最後の10分くらいはひたすら涙が止まらなかった。特にIf this can happen, anything can happenで。わずか30分の作品で、前半であれだけ客を笑わせていた人が、深沈とした海の底へと観客を少しずつ連れて行くかのように、深い悲しみへと導き、そして最後にかすかな希望の兆しをかいま見せる。なんて作品だ!  なんて演技だ!

 戯曲そのものが、そして演技そのものが、きらめきながら姿を変える海のよう。Sea Wallが最後に見せるかすかな希望は、暗い海底の静けさから肩越しに空を見上げた時にキラッと視界をかすめる、光の欠片のような……。