水川青話 by Yuko Kato

時事ネタやエンタテインメントなどの話題を。タイトルは勝海舟の「氷川清話」のもじりです。

・ベネディクト、口は災いの元なので……

2012-08-18 11:29:19 | BBC「SHERLOCK」&Benedict Cumberbatch

"The press will turn, Sherlock. They always turn. And they'll turn on you." John Watson from "The Reichenbach Fall".

「マスコミは必ず叩く側に回るんだよ、シャーロック。いつもそうだ。それでいずれ君を叩きだすぞ」

『シャーロック』第2シリーズ第3話「The Reichenbach Fall」の最初の方で、ジョンがこんなことを言う。そしてそのあと話がどう展開したかは、このブログ記事を読むような方にはおそらくご承知の通り。

それから、正確な文言は覚えていないけれどもその昔、グラナダ版ホームズだったころのジェレミー・ブレットが、「イギリスではちょっと目立つと褒めそやして持ち上げたかと思うと、すぐに叩きのめしにくる」的なことを言っていた。当時まだ子供だった私はその意味がよく分からなかったけど、その後に自分がイギリス留学したり、マスコミの人間になったり、やがてダイアナ妃がパパラッチに追われて事故死するに至って、スキャンダル中心のマスコミや芸能マスコミ、特にイギリスのタブロイド・メディアがどういうものか、少しずつ、げんなりしながら理解するようになった。

持ち上げておいて、とことん叩く。最近で言うなら、たとえばスーザン・ボイルとか、ピッパ・ミドルトンとか。この習性はイギリスのマスコミに限らないけど、タブロイド紙の盗聴行為が政権をも揺るがしかねない大問題に発展するイギリスでは、特に目立つ(そしてその騒ぎの真最中に、The Reichenbach Fallは放送された)。

その一方で、報道される芸能人・有名人の側の話をするなら、「まったくいったいなんだってそんなことを公に言っちゃうのよ!」という言動ばかり繰り返した芸能人様約2人を、私はまあ、多少は知ってる。具体的に言うとスター・トレックのビル・シャトナーと、ビートルズのジョン・レノン。この二人のキャリアをじーっと観察したため(ジョンちゃんの場合は主に没後だけど・涙)、「口に災い」系の芸能人がいかに本業とは関係ないところで大変な思いをするか、これもまたげんなりする感じで知っているつもり。

なので、ベネディクト・カンバーバッチが先日来、そういう「舌禍タレント」扱いされてしまっていて、いやーもう、呆れるやらげんなりするやら。イギリスの芸能マスコミに。そしてそんなの分かり切ってるはずなのに、ツッコミどころ満載のコメントをペラペラ喋ってしまうベネディクトに。

もうね、ジョンちゃん(レノンです)のマスコミとの戦いを知っている目線で見ると、「君がそのポジションに行くのはまだ早いだろ」とも思うし。「まだそれほどの地位、確立してないだろう」とも。ジョンは押しも押されぬビートルズで、それでもマスコミと戦って戦って、挙句はイギリスを離れて二度と戻らなかったんだから(アメリカのマスコミだって彼を叩いて叩いて叩きまくったのに、とは思うが)。

騒ぎの発端となったRadio Times記事でベネディクトは冗談で、「もうアメリカに行こうかって思うよ」って明らかに冗談で言ってるけど(そしてそれをまた英マスコミがとりあげてワーワー騒ぎ立てたけど)、それが冗談じゃなくなっちゃったら、もう馬鹿みたいだから。もう。あなたはシャーロックじゃないんだから。何も自分が演じた物語を地でいくこともないでしょうに。

ベネディクトは自覚しているみたいだけど、ただでさえ言葉が人の3倍くらいの勢いで奔流のようにほとばしる人で、自分でも「何を言っていいか言ったらダメかちゃんと選別(filter)してない」と認めている。売れだした頃はそれは新鮮で人となりがうかがえてとても好ましかったんだけど、今回のこれはダメだろう。人気番組『Downton Abbey』を「fucking atrocious(ほんっとうに最低)」だなんて直球ど真ん中で批判したら。しかもつい数カ月前にやっぱり『Downton Abbey』のことをクサして、ちょっと騒ぎになって、「だからあれは冗談だってば」と苦笑していたにもかかわらず、なんでまた同じことを。

本人は相変わらず冗談のつもりなのかもしれないけど、もはや本人の意図など無関係なのだ。芸能マスコミとはそういうものだから。本人の意図とは無関係に、芸能マスコミのミスリードによってどういうイメージが作られてしまうかを、私を始め多くのファンは心配している。なんなのこのリアルThe Reichenbach Fallは。

本人はいまアメリカ・ロサンゼルスにいるらしい(NY-LA便で「パパの通路挟んで隣の席にベネディクト!」という女性がTumblrで報告。いまLAにいる『シャーロック』のポール・マグイガン監督も「友達のベネディクトと夕飯食べたところ」とツイート)。

なのでこの騒ぎについて何をどう言うか知らないけど、仮に今回のDownton批判もまた「だからあれは冗談だってば」と言うなら、「いやもうその冗談、面白くないから」に尽きる。「だーかーらー、Downton関係者は友人だらけなんだから、本気で悪口言うわけないだろ」とまた言われたとしても、「身内受けの冗談でクスクス笑ってるみたい。『冗談だってわっかんないかなー』的な態度をとってるみたいで、世間をバカにしてるみたいで、ちょっと感じ悪いよ。posh-bashingされても仕方ないんじゃない?」という風に、私でさえ思ってしまった。

なのでこの件、私はすごいげんなり辟易しているし、こうやってブログ記事にするのも気が重かったのだけど、ベネディクトに何かあったの?と心配している人たちもいるみたいだし、自分もモヤモヤしてるので、何があったか簡単にまとめます。

□ マスコミがどういうものか知ってるでしょうに

8月24日からベネディクト主演の新作BBCドラマ『Parade's End』が放送されるので、新番組紹介の集中取材が行われ、14日くらいから関連記事が次々と各媒体に掲載された。『Parade's End』はエドワード朝時代から第一次世界大戦を経て1920年代に至るまで、イギリスの支配階級にとっての世界や価値観が崩れていく時代を描いた作品。舞台となる時代や描く階級が人気ドラマ『Downton Abbey』と重なるため、比較されるのはやむを得ないことなのに、どうも各紙の記事を見ているとベンがそれを受け流さず、「いや、全然違うから」と主張して回ったのが大きく取り上げられてしまったのだ。

けれどもこの『Downton』批判より先にまずベネディクトの発言が攻撃されたのは、14日に発表されたRadio Timesの記事だった。

もともとベネディクトにものすごく好意的なRadio Timesなので、この記事は主に、『シャーロック』でいきなりスターになってしまった戸惑いを本人が苦笑しながら面白おかしく語っている内容だった。要点だけかいつまむと――、

○ インタビュー時に緑茶を飲んでいたので「LA人間になっちゃったの?」とからかわれ、「違うよ! いや、今日はいい子でいるだけ」と(たぶん「シャーロック」撮影開始に向けて減量してるんじゃないかと、これは私の憶測)。

「LAは思われているほど禁欲的じゃなくて、思ってた以上にみんな酒をのむしパーティー三昧だし。要はあそこでは何事も極端なんだ。健康志向も、放蕩三昧も。娯楽としての薬も。天国だよ!」と。

 (ちなみに私は、この記事で問題になるとしたらこの「recreational drug use」発言かと思ったけど、違った。やれやれ)

○『シャーロック』以前から着実にキャリアを重ねて俳優仲間に評価されていたけれども、『シャーロック』で一夜にしてスターになり、家の玄関から出るたびにファンに取り囲まれる羽目になったことについて。

「Twitterを見て本当に怖くなったのを覚えてる。SWATみたいな照明をつけて僕の家にパラシュート降下してくる人がいるんじゃないかって思ったり。『おいおい、世界中がいきなり関心をもっちゃって、関心どころか異様に執着してる感じだ』って。すごく妙だ。いきなり何かが奪われてしまった感じで、すごく変だ」

「金曜の夜にロンドンの真ん中を散歩するなんて、もう進んでやりたいとは思わないよ」

「だって本当におかしいから。友達のジェイムズ・マカヴォイがレスター・スクエアを歩いてたら、こんなデカい奴がいきなり彼のこと抱き上げて、顔をなめたんだって。信じられる? ジェイムズが小さくて舐めやすいからじゃないんだよ。別にぺろぺろキャンディみたいな頭をしてるわけじゃなくて。ただテレビに出てるから、それだけなんだ」

○「フランケンシュタイン」公演中、最前列に毎晩、同じ顔ぶれが座っているのに気づいて。「これは変だよって思った。で、その子たちにそう言ったんだ。そうしたらみんな、ショックを受けてたけど。僕は『でもだってほら、僕もみんなと同じだと思って聞いてよ。僕も前は客席にいたんだよ。僕も何かに夢中になってた。でもこれは理解できない」。
(私は、彼のこのファンとのやりとりが気に入ったので、この記事を最初に読んだときはここをツイートしたんですけどね。やれやれ、英タブロイド各紙は目の付け所が違った)

○ ハンサムと言われることについて。「爆笑ものだと思ってる。鏡を見れば、前からずっとある欠点が相変わらず見えるから。『やあ、ブラッド。今日もハンサムだね』なんて思わないよ」。「ブラッドとかジョージと僕を一列に並べれば、どうせ『素敵ね、はい。ハンサムね、はい。あら変な顔ね』って言われるんだ」。「でもそれでいいんだよ。その方がたぶんキャリアは長続きすると思うし、このあとも癖のある役ができるってことだから。シャーリーズ・セロンの真似して美人のくせにわざとブスをやるんだ、とか言われずに済む」

○ いきなりセックス・シンボルになっちゃったことについて。
「まあ、気分はいいよね。足取りがちょっと軽くなるっていうか。楽しいよ。でもだからって毎晩のように、そこらにいる美人としけこむかっていったら、いいえ」
(ちなみにビートルズの連中は……以下略)


「妙だけど、楽しむべきだと思ってる。今年は自分の本来のレベル以上でいろいろあったけど、それは全部秘密だよ」

 そしてものすごく皮肉っぽくわざとらしいため息をつきながらこうも言ったそうだ。

「そうなんだ、自分がセックスシンボルだなんて、もう最悪だ。自分の美貌と成功が耐えられないよ」と。でも続けて、「いや、もう最高に笑えると思ってるよ。本当に。クスクス笑っちゃうくらい。にっこり笑って全てを受け止めてるよ」って。

「ただし問題なのは、だからといって気楽に遊んだりするとすぐにブログとかツイートとかゴシップ記事に書かれちゃうから。『じゃーん、パーティーしようぜい!』とかできないわけだよ。無名だったころはそんなこと気にしなくて良かったんだけど。でも当時は、にっこり笑って抱えてなきゃならないものなんて、大してなかったから」

○ 大学時代からの恋人、オリヴィア・プーレットと別れたことについて。『シャーロック』でいきなりスターになったことが原因ではないかと憶測されることについて。
「いろんな人が勝手に憶測して、最初の彼女をふるなんていかにもだねとか言うんだけど、そんなわけないだろう、ふざけるな」とベンはここで初めて不機嫌そうな顔をしたと。「でもみんな、情報のきれっぱしだけ手に入れて、それで僕にやたら執着してるから、物語を作っちゃうんだ」。

○ 『Parade's End』について。『シャーロック』のファンは少し驚くかもしれないと。「まったく違う世界に住むまったく違うキャラクターだから」。「(シャーロックみたいな)考えてることを超高速で吐き出すみたいなのは何もない。『シャーロック』とまったく違うのになんでこんなのやりたがるんだろうって思う人もいるだろうけど、まさにだからこそ、やりたかったんだ」。

 

□ そりゃそうだけど、そんなこと言わなくてもいいのに

 このRadio Times記事いわく、ベンは「All the posh-bashing that goes on(ちまたにあふれるposh-bashing)」も不快に思っていると。このコメントが、この記事での「炎上」ポイントだった。

「posh-bashing」とは「上流バッシング」「お上品バッシング」とでも訳すか。「posh」はただの「お金持ち」とは違う、貴族だったりアッパーミドルだったり、成り上がりではなく生まれながらにして一定の生活レベルで暮らす階級の人たちを指す形容詞。ええとこの家やええとこの学校出身やその両方な人たち。ベネディクトの場合、本人がこの記事で言うように「領地や爵位を生まれながらに持ってたわけじゃなく、新興成金でもなく、油井を持ってたわけでもない」のだけれども、名門パブリックスクールのハロウ校に行ったというのが、彼の「posh」イメージを決定づけている。

両親が俳優だったというのはそれだけでは「posh」ではない。けれどもベンは、(奨学金を得て)ハロウに行った。その結果、「poshな役しか回ってこないって文句タラタラな金持ちのパブリックスクール出身のろくでなし、という烙印を押されちゃってる」と本人が言ったらしい。

「本当にありきたりな反応で、本当に内向きで本当に馬鹿みたいだ。アメリカに行きたいって思わせられちゃう」。

私がこれを読んだとき、まあそうだけど、彼よりposhな役者はいくらでもいるし、ていうかマジで貴族階級出身の役者だっているんだし、それでも成功してる人たちもいるし、そういうもんなんだからしょうがないじゃない……というくらいしか思わなかった。そこがもしかしたら私が外国人であるがゆえんかもしれないし、あるいは私が英タブロイド紙の記者ではないゆえんかもしれない。

五輪閉幕後のネタ枯れ時期とも重なったためか、ベネディクトの「posh-bashing」発言はまさにUK芸能マスコミにとっては、飛んで火にいる何とやら状態だった様子。翌日には、テレグラフだのデイリーメールだのなんだのが、「ベネディクト・カンバーバッチは、posh-bashingされてると文句言ってる」、「posh-bashingされてるからイギリスとおさらばしてアメリカに行くらしい」ということで、わーわーわー。タブロイドじゃないはずのガーディアンまで、「彼の言うことに一理あるだろうか」と議論板を立てる始末(なにやってんだよ、ガーディアン!)。

そういう反応を見ながら私はうんざりすると共に、イギリスの階級問題の根深さを改めて痛感。さらに、イートンだの何だののパブリックスクール出身お坊ちゃん仲間で固められているキャメロン政権下、医療保険費や大学学費などの予算がどんどん削られているせいで、要するに「posh」な人たちへの反発が労働党政権時代とは違う次元にまで高まっているのを、改めて感じた。去年のロンドン暴動につながったイギリス社会の格差問題は、(当たり前だけど)その後なにも解決していないので。

ゆえにベネディクトの「posh-bashing」発言を取り上げた記事のコメント欄には、「恵まれたお坊ちゃんがなに愚痴をたれてるんだ」、「イートン出身者は最低だと思ってたけど、ハロウもそうなんだ」、「だったらさっさとアメリカに行けよ」などの、読んでいて辛いコメントがばんばん並んだ。

ベネディクト本人は「自分は別に文句を言ってないのに、文句ばかりのお坊ちゃんと勝手に思われてる」と言っているようなので、実際に文句を言っているわけではない?のかもしれないが、でもそこまでの微妙なニュアンスは、タブロイドに引用された瞬間に消えてしまう。あとに残る雑駁なイメージは、「ハロウ出身で売れっ子のお坊ちゃん芸能人がなに文句たれてるんだよ」だ。好ましいものではない。

ちょっと話を広げると、持てる者と持たざる者の格差というのは、世界史をざっと雑に振り返っただけでも、人間社会のかなり基本的な在り方だとは思う。それがいいと言うのではもちろんなくて。そこに「人間は平等」という価値観が注入されて以来、それまでの封建制度の屋台骨が崩れて、世界史は市民による闘争とか革命が繰り返される展開になったわけだけど、とんでもないことにベネディクトの「posh-bashing」発言が引き起こした英メディア上での小さな騒動は、そういう「人間社会は格差の上に成立しているが人間は平等である」という近代以降の世界史の矛盾から飛び火した、小さな火花のひとつだとも言える。大げさに言うと。

けれども彼のこの「posh-bashing」発言は、私は、そういうタイプキャスティングは現実にあるだろうし、イートン出身のヒュー・ローリーやドミニク・ウエストはそういうことを気にしないアメリカでの方が確かに成功したし、ベンは言わなくてもいいことを言ってるけど、まだ自分のスターダムに慣れていない役者としてまあ、仕方がないかな――くらいにしか思っていなかった。これはこれで、次のニュースサイクルが始まれば忘れられて行くだろうと。

□ Downtonをまた?

けれどもその翌日くらいに各紙が、来週発売のReader's Digestに載る彼の別のインタビューで騒ぎ始めた。いわく、またしても『Parade's End』と『Downton Abbey』を比較して、『Downton』の第2シリーズは「fucking atrocious(くそ最低)」だと言ったと。


あのねえ……。

一つポイントなのは、取材媒体が『サン』とか『メール』とか『ミラー』などのタブロイドではなく、Reader's Digestで、だからそうそうひどい誤引用はしないんじゃないかということ。それを言えば「posh-bashing」発言のRadio Times記事だって、そもそも彼にとても好意的な媒体だから、言ってもいないことをでっちあげたりはしてないだろうと。「I read it in the papers so it must be true, I love newspapers... fairy tales(新聞で読んだんだから本当のはずだよ、新聞大好き……おとぎ話だからね)」というモリアーティ的なエセ報道の産物ではないだろうと。            

そういう信頼感の媒体で、よその番組について「fucking atrocious」と言ったと読んで、私は「なにやってるのーーーー!」と辟易としました。

本気でそう言ったなら「なんでそんなことを公言するんだ」だし、前回みたいに「だからあれは冗談だから」だというなら、「もうそういう誤解されやすい身内ジョークは感じ悪いから止めたら?」だし。

このコメントを取り上げた記事のコメント欄には、「その通りなんじゃない? Downtonの第2シリーズはほんとひどかったし」という意見も多数あるが、やっぱり「プロの俳優がよその番組をけなすなんてみっともない」という意見が多数。

(ただこのテレグラフ記事は、まったくテレグラフ・クオリティで、見出しの" "のつけかたが間違ってるしミスリーディング。ベンは"Downton Abbey is sentimental, cliched and atrocious"とは言ってない。atrociousとは言ったが、sentimentとかclichedは別のセンテンスで使ってる。こういう雑さが、彼が相手にしてるメディアの品質。だから言葉尻をつかまれるような余計なことは言うなと。まったくもう)

ベネディクトは要するに、『Parade's End』はDowntonとは違うと宣伝したいらしいんだけど、どうしてそのために「Downtonは前回のシリーズでかなりメロドラマ的に盛り上げていたけど……でもあのシリーズについて話すのは止めよう。あれはほんっとうに最低だと僕は思ったし」なんて言い方をしてしまうんだ。

「1900年代初頭に憧れる、あるいは懐かしんでる文化的状況が今あるわけだけど」、「(Parade's Endを作ることで)流行の好みに迎合してるんだろうかっていう心配は、確かにあった。でもこれ(Parade's End)ははるかに複雑に洗練されていて、はるかに独特で、ありきたりとは程遠い。この階級の人たちについてこれほど正確で、面白くて、痛烈な作品はめったにない。『お屋敷の(貴族たちが暮らす)上の階と(使用人たちが働く)下の階とでこんなに差があるなんて、なんてひどいんだろう』なんてありきたりなことを言うためにこの作品を作ったんじゃない」というこのコメントが、『Downton』をあてこすったものじゃありませんと言われても、そうは受け止めない人が大多数なわけだ。

「よく言った」と褒めてる人も確かにいるけど、「なんでそんなこと言うんだ、性格悪いな」と受け止める人もたくさんいて、私は「ほんとなんでそんなこと言うのよ」と困惑。ベネディクト本人は、ハリウッドの「big game」で勝負してみたいらしいけど、「同業者や他作品の批判をマスコミに対してくっちゃべる奴」というレッテルをはられた外国人俳優を、ハリウッドが歓迎してくれるものかどうか。

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じゃないとせっかくの作品に変な「色」がついてしまう。『Parade's End』はベネディクトいわく、「支配階級は使用人たちを手ひどく扱っていてひどかったですね」的なありきたりな批判がテーマではなく、「これは階級と愛の物語、死にゆく時代を送る挽歌なんだ。エドワード朝の社会が狂った最後のワルツを踊りながら馬鹿げた戦争ゲームに突入していく様子を描いたものだ」と。

「当時は誰もが自分に与えられた立場に縛られていたけれども、そこには名誉や誇りがあった。上から下まで、自分の役目を大事にするという責務があった。それは今の保守主義が成り下がってしまった、キャメロン流のひどい、愚鈍で無能な保守主義とはまったく別ものだ」とも。

だったらそれだけでいいのに。それだけで十分に面白そうなのに(現に、原作はとても面白い)。俳優がキャメロンをけなしたからって、その俳優を悪く言うのは、一部の保守党支持者しかいないから。なにも別の作品をクサして自分の作品を持ち上げるような言動は不必要ですよ。

□ Downton関係者たちは

ちなみに、これだけ話題になれば『Downton』関係者の反応がないわけはなく。『Downton』を作り出したジュリアン・フェローズ(わたし的には『Gosford Park』の脚本家)は、ベネディクトも言っていたように、彼が生まれた頃から知っていると。そのフェローズ翁は大人の余裕でテレグラフに対して悠然と「本心からそう言ったのではないと思うよ」と。

「ベンのことは彼が小さいころから知っていて、ものすごく大好きだ」。「素晴らしい俳優になった。『Parade's End』はもちろん観ますよ。見事なキャストだし、トム・ストッパードという傑出した作家が脚本なのだし」。

「ベンの発言は文脈から外れて引用されたに違いないし、ベンの本当の気持ちとはまったく違うはずです。Downtonとベンの『シャーロック』がこれほど人気なのは、『Parade's End』もそうなって欲しいが、テレビドラマが盛り上がっていることの証し。それは我々全員にとって朗報のはずです」。

さらに、ベネディクトにDowntonの役をオファーするかと聞かれたフェローズ翁は「ぜひ将来いつか一緒に仕事をしたいと強く思ってますよ」と言ってくれている。

大人の反応に心温まる。だってDownton出演者たち(Dan StevensHugh BonnevilleAllen Leech)は18日現在、3人揃って、ベネディクトが表紙のReader's Digest表紙をアイコンにしてるんだもの(泣)。表紙には「Move over, Downton(ダウントン、そこをどけ)」というコピー。

 

 

ベネディクトにあそこまで言われたからにはと、Downtonの出演者たちがこういう形で彼に「抗議」というか、ベンをからかう気持ちはわかるけど、でも複雑。しかも、しょせんこれも、恵まれた立場のええとこ出身の俳優たちの内輪もめというか内輪受けというかで、外から見ていてあまり気持ちのいいものではない。


ベネディクトが「イギリスで一番親しい友人のひとり」と呼ぶDan Stevensなどは、インディペンデントの副編集長Archie Blandが「結局のところあんたはposhで恵まれてるんだから、文句言うのやめろよ」とベネディクトに「忠告」する論説記事に「Dear Benedict Cumberbatch...」と書き添えて、わざわざリンク。うーん。だけどケンブリッジ出身のダン・スティーブンズだってちょうど一年前、テレグラフに「いや、僕は全然poshじゃないし」(確かに違う)と言い訳していて、それが記事の見出しになっちゃってたじゃないですか。だからダンは、ベンに真っ向からケンカを売っているのではなくて、「おいおい、気持ちは分かるけどさ、いい加減にしろよ」と軽くジャブを送っているのだと思いたい。

そしてダン・スティーブンズがリンクしたArchie Blandの記事は、これはまともだと私は思う。彼も名門私立出身で、ごたいそうな名前のお坊ちゃんなので、「分かるよ、Snozzlebert Mugglewumpみたいな名前をもってると、辛いよね。でもさ、ちょっと待てよ、周りを見ろよ」という調子でベンをからかってる。

そして、「持てる者」は文句言うな、マジで文句言うな、というブランドのこの記事は、まあ正論だとは思う。それに、「ハロウには行ったけど、土地や爵位をもってるわけじゃない」ってベンが言うその「区別」からしてすでに、poshな人間の視点そのものだというブランドの指摘も、当たっている。その区別(つまり貴族など伝統的名家か、そうじゃないかの違い)にこだわるのは、その違いに意味がある集団にベンが属しているからであって、その集団とはそもそも無縁なところにいるnot poshな人にしてみたら、「パブリックスクール出身」でいっしょくただ。そりゃそうだ。

それにベネディクトが労働階級の役とか演じても、(よほどアクセントや声の出し方、体の動かし方をしっかり作り込まない限り)ミスキャストだと思うし。それとも、たとえばダニエル・デイ=ルイスみたいに、自分の「posh-ness」をかなぐり捨てて、そうではない役ばかり次から次へと演じる、そういう役者になるの?(ダニエル・デイ=ルイスはイギリス人の役をそれはもうずっと演じていない。それはもう徹底的に) そういう選択もあるだろうけど、ファンとしてはそれはとても寂しい(ダニエルがイギリス人役をやらないのもとても寂しい)。

なのでファンとしての願いはひとつ。大俳優になってください。マスコミにもみくちゃにされるような言動は止めて、自分を大事にして、芝居だけで勝負する大俳優になってください。それだけがお願いです。

I believe in Benedict Cumberbatchと堂々と言いたいから。お願いします。