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美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

栄楽(えいらく)・津新町駅前 その2

2016-07-29 21:15:11 | グルメ


近鉄津新町駅前、新町通りに向かって
「うまいお酒 えいらく」の暖簾を掛けている、食堂・栄楽です。

栄楽
津市新町1-12-13
津新町駅出口から徒歩約2分
TEL 059-228-5457
夜 22:00まで

栄楽(えいらく)・津新町駅前



この日は男性ばかりのグループ2組が
お酒で盛り上がっていました。



とんかつ  450円
冷や奴   250円
ご飯    100円

お酒は飲まずに、食事だけで済ませました。
本当は飲みたいんですよ、私も。

夜ごはん・居酒屋(津)過去記事リスト

天ぷら さか本(津新町)その2

や台ずし 津新町店

京都編13/上京区役所(今出川新町交差点)

2016-07-29 14:15:24 | 日記


京都編12/晴明神社(上京区晴明町)の続きです。

晴明神社から、堀川今出川の交差点へ戻ってきました。
ここから400m東の、
上京区役所(今出川新町交差点付近)に移動しました。



こちらが上京区役所です。
反対側(交差点の西)には、商業ビルが並んでいます。

室町時代の1486年、伊勢国・長野家当主の長野政高が、
ここにあった公家・三条公治宅で殺害されるという事件がありました。

長野政高、京都で横死する

三条公治(さんじょうきんはる)は、
正親町三条家の10代当主、
この三条家は分家ではあるが、権大納言を輩出する家柄で
五摂家に次ぐ名家です、

その邸宅があったのが
「武者小路今出川」の三条公治宅だというのです。

しかし、武者小路も今出川も、東西方向の道路なので
本来はこういう呼び方はしません。
百歩譲って「武者小路に近い今出川通」と解釈すると
上京区役所付近となるわけです。



幕末の時点で、正親町三条家の住まいがあったのが、
京都御所の東隣り(現在は梨木神社となっている)で、
こちらは武者小路でも今出川でもありません。

そもそもの「武者小路今出川の三条公治宅」という
記述が誤っている可能性もあります。



公家と武家の力関係が逆転していた時代とはいえ、
守護大名でもない、国人領主の長野氏が、
高貴な三条家へ出入りし、泊めてもらっていた経緯についても
よくわかりません。

京都編14/室町通りに続く。

京都編12/晴明神社(上京区晴明町)

2016-07-29 13:15:51 | 日記


京都編11/北野商店街~西陣京極の続きです。

仁和寺・妙心寺から、一条通と中立売通を東に向かって、
約4km歩いて、ようやく堀川通まで来ました。

時刻は午後1時30分頃でした。



堀川今出川の交差点に立っていた案内板、
目の前の道路(堀川通)の向きに合わせて作られているため、
東が地図の上になっていました。

ここからまだ東(室町方面)へ行く予定でしたが
先に、南の晴明神社へ行くことにしました。



堀川今出川の交差点から南へ220m、
晴明神社です。
陰陽師・安倍晴明を祀る神社です。

清明神社
京都市上京区晴明町806(堀川通一条上ル)
社務所 075-441-6460
参拝時間 9:00〜18:00(無休)
参拝料 なし

一の鳥居を潜ると、
「一条戻橋」の遺構と、式神の像があります。

平安京で最強と言われた晴明は、自宅で式神を飼っていましたが、
妻が式神を気味悪がったので、一条の橋の下に式神を封じ込めた、
という伝承に基づくものです。


(二の鳥居と本殿)

境内には多数の参拝客が訪れていました。
今回、私が見て回ったなかで、最も賑わっていたのがこちらです。
小説や映画などで陰陽師が紹介され、
最近は「京都有数のパワースポット」として
観光ガイドブックにも載るようになりました。

また先日、テレビで放送された番組で紹介されたことも
参拝客が多かった理由でしょうね。



境内にある、御札の授与所です。
若い女性が「晴明グッズ」を求めて行列を作っていました。

他の観光スポットと離れているので、
コースに入れにくいかもしれませんが、
御所や二条城を訪れるなら、是非こちらも加えてみられてはいかが。

京都編13/上京区役所(今出川新町交差点)へ続く。

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