津駅東口、ホテルサンルートの南にある真言宗の寺院で
「馬宝山蓮光院初馬寺」です。
正式には「初馬寺」ですが、3月の「初午(はつうま)」の行事で有名なので
蓮光院と呼ぶよりも「初午さん」として親しまれています。
(境内の入口)
元々は津の四天王寺の塔頭のひとつだったようですが、
後に独立したようです。
院号があるお寺は、格式が高い寺院ということです。
(本堂)
ご本尊は「馬頭観音」で、聖徳太子が42歳の厄除けに自ら刻んだとされています。
聖徳太子は西暦574年生まれとされていますので、7世紀初頭の頃ですね。
ちなみに太子は、48歳で亡くなっています。
この故事から、蓮光院は男性の42歳の厄除け参りのお寺として参拝されています。
本堂の「初馬寺」の扁額、津藩3代藩主・藤堂高久公が寄進したものです。
本尊の馬頭観音像の他に、
重要文化財の、大日如来坐像、阿弥陀如来坐像が祀られています。
(境内に立つ、寺の縁起の説明板)
聖徳太子が津四天王寺建立のためこの地に来られ、馬頭観音像を彫られた、
というお話は上記の通りですが、
後半の高麗(朝鮮半島)から来た僧に、大日如来坐像、阿弥陀如来坐像を彫らせた、
というところが興味深いです。
恵慈法師は、推古3年(595)に高句麗から来日して、聖徳太子の師となり、
百済から来日した慧聡法師と共に「三宝の棟梁」と称されました。
聖徳太子が仏教を根幹とした統治を行うにあたって、
朝鮮半島から高名な僧を呼び寄せ、自分のブレーンとしていた様子がわかります。
境内にある、彩色鮮やかな地蔵堂、
こちらには津では珍しい「魚籃観音像(ぎょらんかんのん)」が祀られています。
魚籃観音の横には、平成24年から始まった「津の七福神めぐり」の
「恵比須天」の石像があります。
魚籃観音も恵比須さんも「魚を持っている」ところが共通しています。
七福神の誰をどこに配置するか決めたときに、
そういう共通項に気付いて決めたとのだとしたら、これは洒落ていますね。
「津の七福神めぐり」の案内板、
四天王寺はここから歩いていける範囲なので、是非見にいってください。
(栄町公園側の看板)
土田御前の墓(津四天王寺)
津藤堂藩の天狗騒動(前編)
津まつり、夕刻の津観音