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みさきめぐり 山梨・アナウンサー・フリーアナウンサー・司会・移住・子育て・スローライフ・田舎暮らし・自給自足・家庭菜園

山梨のフリーアナウンサー・司会者
邑田みさき.のブログ。
子育てと、初めての田舎暮らしを愉しむ日々をお届けします。

ブログ引越しのお知らせ

2013-07-24 14:48:05 | みさきめぐり
ブログをお引っ越ししました。

新しいブログの使い方にはまだ慣れなくて
手探り状態ですが、
マイペースに更新していきます。

新しいブログはこちらです

  ↓↓↓↓↓

http://muratamisaki.blog.fc2.com


引き続き、どうぞよろしくお願いします


2013年7月

邑田みさき


震災から一年。いま、思うこと。

2012-03-11 23:40:58 | みさきめぐり
東日本大震災から、きょうで一年が経ちました。









きょう一日、色々なことを考えましたが、
何を言葉にしてもきれいごとになってしまう気がして
自分の中で言葉が浮かんでは消えて行く、
それをひたすら繰り前していました。




でも、いま、気持ちが溢れてとどめておけそうにないので、
いまの正直な気持ちを書きます。









さっき、出張から旦那さんが帰って来ました。
そして、出張の帰りのバスの中でたまたま読んだという、
津波でご家族を亡くされた方の話をしてくれました。









奥さんを亡くされた男性の、




「どうして津波の前の夜、妻の料理に文句を言ってしまったのか」




という後悔。









わたしはそれを聞いて、涙が止まらなくなってしまいました。
しばらく上を向いて、必死に涙をとどめようとしましたが、
とめどなく涙が溢れてきて・・・。









日常のなにげない場面では、
つい口にしてしまうような言葉の数々。




でも、それが二人の間の、最後の会話になるとしたら・・・。









いま、わたしが生きている中で、
大切な人たちに、本当に後悔のない態度で接していられているのでしょうか。









一年前の震災では、わたしたち家族も怖い思いをしました。




でも、幸いにも、わたしたちは、いまここに生きています。




生きているわたしたちは、
後悔のないように生きること。
後悔のない言葉を口にすること。
後悔のない態度で人に接すること。




一年前、無念の思いで亡くなっていったはずの
たくさんの人たちのためにも、
いま命を与えられているわたしは、精一杯生きようと思います。









震災をうけ、いまなお、苦しんでいる方々が大勢いらっしゃいます。




微力でも、わたしに何ができるのか改めて考え、
行動に移していくことも、わたしが精一杯生きることのひとつだと思っています。









震災で亡くなられたすべての方々、
被災されたすべての方々に、
改めて、心からのお祈りとお見舞いを申し上げます。












2012年3月11日
邑田 みさき.

「久しぶり!」の「間隔」。

2011-07-30 22:51:30 | みさきめぐり
人から

「久しぶり!」

と言われて戸惑ってしまうことが

最近よくある。




例えば、

「お久しぶりです!」

「(え?一週間前に一緒に遊んだばかりなのに?)」

といった具合。




ひどい時だと、

「久しぶり!」

「(え?3日前に一緒に食事したばかりじゃない?)」

ということさえある。









考えてみれば、

「久しぶり」

という言葉を使ってもよい

時間の空き方というのには

明確な定義はないわけで、

わたしが

「最近会ったばかり」

と感じていても、

それを

「久しぶり」

と感じてしまう

相手の感覚を否定することはできないのだけれど。




でも、3日前に会った人に

「久しぶり」と声を掛ける感覚には、

さすがに違和感を感じてしまう。









わたしの中で

「久しぶり」

といったら、

そうだなぁ・・・

最低でも半年、いや、

1年くらいは間が空いていないといけないような

気がする。









「久しぶり」

の間隔が短い人に共通しているのが

いま20代半ば以下の年齢だということ。









決して、

「感覚がブッ飛んだギャル」みたいな感じではなくて

あくまで地に足が着いた感じの

きちんとした彼女たち。




それでも明らかにわたしとは

「久しぶり観」

が違う彼女たちと、

わたしとの間に横たわる

時間感覚、もとい

時間「間隔」の

ボーダーライン。









そこに何があるのかを

考えていて

思い当たったのが

ケイタイの存在。









いま25歳前後の人たちが

高校生の頃というのは

たぶん

ちょうど、

高校生がケイタイを持っているのが

当たり前になった時代。




わたしが高校生の時は

ケイタイを持っている子は

クラスに一人くらいしか居なかったけれど

その後の数年で

ケイタイは一気に

「一人一台」時代に突入したのだ。









ケイタイを持っていれば

友達との電話も

メールもいつでもし放題。

希望すればいつでも他人とつながれる。




きっと、人とのコミュニケーションが

そういう意味で密な彼女たち。









四六時中メールなどで人とつながっているから

3日会わなかった(その間、メールも電話もしなかった)相手なんか、

完全に

「久しぶり」

な相手になってしまうのではないか?









上記の見解は

あくまでわたしの憶測に過ぎないけれど、

あながち間違ってもいないような気がする。









「久しぶり」

と声を掛けられて

特に困ることは起きないので

きっとこれからも

わたしは

心の中で違和感を感じながらも

彼女たちの

「久しぶり!」

を受け流してしまうのだろうけれど、

この

「久しぶり観」のズレが

ボディーブローのように効いて

だんだんわたしは

「最近の若い人は・・・」と

口に出すようになるような気がしている。




わたしもそんな年になったか。









ふと思いついて、

「久しぶり」

という言葉を広辞苑で調べてみると

「前の経験から長い時を経て、

再びすること。

別れてから長い時を隔てていること。」

とあった。




「長い時」・・・・・・。




果たして3日が、

「長い時」に当たるのだろうか・・・。









あなたにとって

「久しぶり」

は、どれくらいの時を隔てると

成立する感覚ですか?




わたしの

「久しぶり観」は

間隔が空きすぎているのでしょうか?

いっこく堂さん

2011-07-06 23:51:15 | みさきめぐり
いっこく堂さんのライブに行ってきました!






いつもはテレビで見ているスーパー腹話術。

初めて生で見られるとあって、とっても楽しみにしていました。




いっこく堂さんとは

家族ぐるみでのお付き合いをさせて頂いていて、

とてもよくして頂いています。









きょうは、

テレビでおなじみの芸のほかに

初めて見る芸がいくつかありました。




明日からも別の会場で公演があるので

くわしく言えないのが残念ですが、

本当にスゴイ演目があってビックリ!




アナウンサーとしては、

口をしっかり動かしても言いづらい(というか、たぶん言えない(^^;))

言葉を、全く口を動かさずにじゃんじゃか言えてしまうのです。

不思議すぎる!

スゴイ技術でした。









会場は超満員。



やっぱり人気ですね!





いっこく堂さん、ありがとうございました!









帰りに久しぶりに食べた

あぶらー麺



も美味しかったです♪









口を動かしてもいいから、

「あの」芸、練習してみようかなぁ。

山梨。

2011-07-03 23:00:40 | みさきめぐり
無事に山梨に帰って参りました(^O^)




でも……




どういうわけか、ネットが無事ではありません。




インターネットが繋がらず、苦戦。

パソコンの不調!?




明日以降、復旧し次第ちゃんとブログ更新します。




山梨、思ったよりも暑いです(ι´О`ゞ)

寝苦しい夜になりそうです。

荷物…。

2011-06-28 23:34:19 | みさきめぐり
今日届くはずだった荷物が

届きません……。




今日の昼過ぎに那覇に到着。

気温は30度。

風景が白っぽく見えるくらいの快晴と

沖縄らしい暑さに、

体は発汗モードに。




こうなると、夜は一日の疲れを

洗い流す意味でも、

シャワーが楽しみです。









でも、シャワーを浴びようとして気付きました。

あ……。

着替えは全部、遅れている荷物の中だ……。









せっかくシャワーを浴びても、

その後に、今日一日

暑い中で着ていた服を着るのは、

できれば避けたいところです。









結局、義母が昔から

タンスに入れっ放しにしていたという

若い頃の下着類を譲ってもらって、

いま着ています^_^;




要らないけれど、

もったいなくて捨てられなかった

というだけあって、

実は絹だったりします。

おお…高級w(゜o゜)w




お母さん、すみません。

ありがとうございます。









荷物が届かない関係で、

パソコンも手元に無く……(ーー;)




珍しく、ケイタイからブログ更新中。




明日は荷物が届きますように。

思い出の宿は、いま・・・・・・。(後篇)

2011-06-21 20:16:44 | みさきめぐり
宮城県東松島市の津波被害が甚大だったと

報道で耳にする度、

胸が痛みました。




あの宿のご主人は?

おかみさんは?

スタッフのみなさんは?




みなさん、ご無事なのでしょうか?




宿は本当に海の近くで、

それが素晴らしかったのに・・・・・・。









ご主人も、おかみさんも、

いち客に過ぎなかったわたしたちを覚えているわけもないでしょうし、

積極的に連絡を取るのは気が引けました。




ですが、先日、何も情報がアップされていないかもしれないのは

承知の上で、思い切って宿のホームページを探してみると・・・・・・




あったのです。

ホームページが。




それも、震災後に書かれた、新しいメッセージ付きで。









漁師の宿 民宿桜荘









宿が高台にあるために、幸い、津波被害は免れ、

地震のみの被害で済んだそうです。

復旧し次第、宿の営業も再開予定とのこと。









このホームページを見つけて、

ふっと、肩の力が抜けました。









良かった。




無事だったんだ。









もちろん、地震の被害だけでも、十分苦しい思いをされたでしょうし、

もしかしたら津波を間近に見てしまって、

耐えられないほどの恐怖を味わわれたのかもしれません。




それでも、命が無事で良かった。









一度泊めて頂いたきりのご縁ですが、

自分が直にかかわった方々の無事を遠くから知って、

胸のつかえがひとつ取れました。









一日も早く、また笑顔で

美味しい自慢の魚介類をお客さんたちに提供できる日が来ることを

陰ながらお祈りしています。

思い出の宿は、いま・・・・・・。

2011-06-20 21:07:46 | みさきめぐり


蒸し牡蠣。











牡蠣フライ。











ボイル牡蠣。









全部、1年半ほど前に訪れた

民宿での写真です。




義母も誘っての家族旅行で、

「美味しい物を食べられる宿がいいね」と選んだ、

とある民宿。




「漁師の宿」ということで、

漁師である宿のご主人が毎朝海から獲ってくる

新鮮そのものの海産物が、食べきれないほど食卓に上がります。




このときは牡蠣のシーズンだったので、

夜の食卓は牡蠣づくしでした。




もう、「一生分」と言っても大げさではないくらい、

牡蠣を食べ尽くして、

「贅沢だね」

「美味しいね」

「来て良かったね」

と、家族みんなで和やかな時間を過しました。




宿のスタッフのみなさんも気さくで、親切で、

小さな子連れだったわたしたちも

気兼ねなく心地よく過ごさせて頂いたのを

覚えています。









それから1年半。









突如日本に襲いかかったのが、

未曾有の大震災と、大津波。









わたしは報道を見るたびに胸が痛んで、

心配で、

気が気ではない日々を過ごしてきました。









だって・・・・・・

わたしたちがあの日訪れた

牡蠣づくしの思い出の民宿は、

津波被害が大きかった

宮城県東松島市にあったのですから・・・・・・。









つづく。

言葉にならない気持ちを言葉にしてみます

2011-06-05 18:04:16 | みさきめぐり
長い間、ご無沙汰してしまいました。

最後にブログを書いたのは大震災の少し前。

あのときと、いまとでは、

日本の状況は大きく変わってしまいました。

あまりにのんびりとした最後の更新が

わたしに色々なことを考えさせます。




きっと、あの日、震災に遭う直前まで、

多くの被災者の方も、こうしていつも通りの日常を、

当たり前に明日が来るような、そんな日常を過ごしていたのだと思います。




震災の時刻、わたしは家族と東京の街中にいました。

ぐらっと揺れた瞬間には、それほど大きな地震だとは思わなくて、

同じ店の前にいたお兄さんが、「あれ?地震じゃねぇ?」と

のんびりタバコをくゆらせながらつぶやいていたのを覚えています。




でも、その直後、体験したことの無いような大きな揺れに襲われて、

いま目の前にいたお兄さんも「ヤバイ!逃げろ!」と走り出し、

一瞬にして姿が見えなくなってしまいました。




周辺のビルから、どんどん人が逃げ出してきて、

大都会では、もはや安全な場所がどこなのかも分からず、

わたしたちも家族でがっちりと固まりながら

交通が完全にストップした大通りの真ん中で

ひたすら揺れに耐えました。






まだ2歳と0歳。(当時)

状況がまったく飲み込めていない子どもたちの

頭を守ることに必死でした。




こんな状況が現実に起こることなど、想像もしていませんでした。






わたしたちが居たのは食器の問屋街だったので、

食器が割れてしまったのか、お店は一瞬にして、軒並み閉店。






大きな揺れが収まった後も、ここから動いていいのか、

車に乗っても構わないのか、

もう、何がベストなのか分かりませんでした。






数日後、余震に怯えながらも、

意を決して高速道路に乗り、

山梨に戻ると、

今度は静岡・山梨の震度5強の地震に遭遇。



アトリエも被害に遭いました。




いつ襲ってくるのか分からない余震。

連日繰り返される、東北地方の被災地からの悲惨なニュース。

心が痛んで、悲しくて、怖くて、

もう、何を語っていいのかも分からなくなってしまいました。




自分も地震が怖いけれど、

いまこのときも、自分の比ではなく苦しんでいる方々がいる・・・。

何を言葉にするのも不謹慎に思えて・・・。




言葉を伝える仕事を今まで続けて来ながら、

それでも伝え続ける度胸が、自分には足りませんでした。






葛藤を抱えながら、ただ義援金の募金に協力したり、

被害に遭われた方にお見舞いを送る方法を考えたりする日々。

そして、自分たちもいつでも逃げ出せるよう、

夜中も全員ジャンパーを着たまま、家族で固まって居間で仮眠をとりました。





それからは、

仕事があった関係で、子どもたちを連れて沖縄へ。





沖縄の親戚、いままで沖縄でお世話になってきた所属事務所社長、

沖縄の友だち、みんなが口々に、

「これは、沖縄に帰って来いってことだよ」

「沖縄でまたアナウンサーをすればいいよ」

「空いている部屋があるから住んだら?」

「お帰りなさい!」

「ちょうど○○局が契約アナウンサーを募集しているよ」

と声を掛けてくれたのです。





ありがたくて、ありがたくて、涙が出そうでした。





こんな言葉をかけて頂けるとは、

思っていませんでした。






やむを得ない事情があったとはいえ、

4年弱で沖縄を離れることになってしまったわたしに、

こんなに温かい言葉を掛けてくださる方がいたなんて・・・。




「お帰り」と迎えてくれる人がいたなんて・・・。




沖縄を自分の故郷のように大切に思ってきた気持ちは、

少なくとも、この人たちの前では、

一方通行じゃなかった・・・。





北海道で見守ってくれたきた方からも

心配の声を頂きました。





東京で生まれ育ったわたしが、

不思議な縁で北海道・沖縄に住んで生きてきましたが、

それは、自分の故郷を、心の家族を、増やしてくれる

かけがえの無い時間だったのだと、

改めて気づかされました。






心に思うことは、「感謝」の一言しかありませんでした。






いまは山梨に家族の居場所があって、

北海道にも沖縄にも住むことはできないけれど・・・。




遠い土地から応援してくださっている、

見守ってくださっている

心の家族に、

喜んでもらえるように、

安心してもらえるように、

自分がみんなの

チアリーダーになれるように、

心を込めた言葉を紡いで生きていきます。





もっと、この人生の一瞬一瞬を大切に。

目の前のことを漫然と見ずに、

もっと全身で感じながら。

もっと愛を込めて生きようと思います。




「和顔愛語」




わたしがアナウンサーとしてずっと大切にしてきた言葉です。




この言葉の意味を、もっと骨身に刻んで語っていこうと思います。








意気地がなくて、

度胸がなくて、

こんなに時間がかかってしまったけれど・・・

震災で被害に遭われた方々に、

心の底からのお見舞いを申し上げます。

言葉にするのが遅くなってしまって本当にごめんなさい。

愛を込めて。






                   邑田みさき.