ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

2月の研修会レポート 第2弾です!

2022-03-13 10:21:08 | 対話型鑑賞

オンラインみるみる 2月研修会

レポート:Art Communication in Shimane みるみるの会 房野伸枝

 

日時:2月5日(土)13:00~Zoom接続確認  13:30~16:30鑑賞会・研修

講師:京都芸術大学 アートコミュニケーション研究センター 研究員 春日美由紀 

参加者:みるみる会員6名 一般の方 3名 計9名

ファシリテーター:房野

 

<鑑賞の流れ> 【 】鑑賞者が語った内容・要素  (ファ)ファシリテーターのコメント

 

【季節】・五月初夏 

【場所】・日本の田舎の村・里山

【描かれているモチーフ】・子供・大人・乗り物・道・建物・田圃・製材所

(ディスクリプション概ね発言される)

               ↓

(ファ)『線路や道沿いについて・人について見てみましょう』(フォーカシング)

               ↓

【時代背景に関するディスクリプション】・舗装されていない道他

【人の営みに関するディスクリプション】・天秤棒で何かを運んでいる人・ポスト(通信)・製材所・酒蔵・井戸など

(二つのディスクリプションとそれに付随する感想が交互に繰り返される)

               ↓

(ファ)『芽吹いている春の様子、田植え・鯉のぼりの勢いよく泳ぐ様子・木材を列車で運び出す様子など、勢いがある・活気づいていると言う印象を言ってもらいました。(小まとめ)             ↓

(ファ)『少し昔の風景と言うことでしたが、今の私たちの生活と比べて何か感じられることがありますか?(話題の転換とフォーカシング)』

          ↓

「丁寧な生活の営み」という解釈

「鳥の目で記録が残されている」という解釈

「郷愁の意図」という解釈

 (ファ)途中で様々なスピードで移動する乗り物と時代の変化という解釈を言及する

               ↓

(ファ)『今にない風景をここにとどめる、郷愁の気持ちを込めて俯瞰して里山の様子を記録として残している。(解釈のまとめ)

(ファ)『メインストリートは線路の向こうにも道が続いていますが、そこについてはどうですか?』(発言が少なかった画面上部の山林について見ることを促す)

               ↓

・木の描かれ方から人工林という解釈。そこから、山から切り出した木を運び出す林業の道と商売をする道が交差しているようだ。 

               ↓

(ファ)「里山に暮らす日人々の生活」「道沿いに見えるいろいろなテクノロジーの発展」さらに「そういう当時の様子をとどめたいという作者の思いもあったのかな」5月の爽やかな勢いのある絵を皆さんと鑑賞することができました。ありがとうございました。

 

<ファシリテーターの振り返り>

前半たくさんのモチーフをしっかり出してもらってそれをつなげていこうとしたのだが、散らばってしまい、つなげることができなかった。強引に文明のテクノロジーの速さの変化などに持っていこうとしたのが反省点です。

 

<鑑賞者から>

・「線路や道をみましょう」「人をみましょう」と視点を絞ったのはなぜか?

(ファ)道沿いに様々なモチーフが見て取れることと、道はどこへつながって人や物を運ぶのか、ということに気づいてほしかった。

人に注目させたのは、人の移動の速さの変化に注目してほしかったが、自分で言ってしまって、まずかったな、と思った。

もう一つ強引だったのは山を切り開いて線路を作ったのは、自然破壊などにもつながる、と考えていたことから、明るい、活気のある面ばかりではなく、別の視点も出るといいと思ったから。多角的な視点の種を蒔いたつもりが、回収できずに終わってしまった。

・当時の人々の生活を読み取るという点で、社会の授業でも取り入れられそうな題材だと思った。

・「今の生活と比べてみましょう」という投げかけで、さらによく見ることにつながったのが良かった。

(ファ)「郷愁」というキーワードが(鑑賞者から)出たのが嬉しかった。また、「こいのぼり」という今も変わらないものと、今は失われたものについて時代を比べてみたいと思ったが、うまくつなげられなかった。。

 

<春日さんの講評>

〇今回はフォーカシングが多かった。流れの中で自然にフォーカスしたところと、フォーカスに必然がなく、なぜ、今ここ?という場面も多々あった。フォーカスする前にはその時の話題の小まとめをしてから、「こんなことが出ていましたね、じゃ、ここを見てみましょうか。」という流れでいくとよい。サマライズ(小まとめ)してからフォーカスしたほうが整理される。コンセプトを聞いた後には、ファシリが投げかけたものの理由がわかったが、鑑賞中にはファシリが自分のコンセプトに寄って行こうとしていたことに違和感があった。ファシリが自分のコンセプトにつなげていきたい気持ちが強すぎた。鑑賞者に耳を傾けて、今、鑑賞者が見たいところはどこか、と考えていたかどうか。鑑賞者の誰も語っていないことをファシリが出してしまうのはよくない。

〇ファシリも鑑賞者の一人なので、見解を述べるのはいいが、「皆さんの話を聞いていると、私もこう見えてきました」という言い方のほうがよい。鑑賞者の意見をファシリが気づいてほしいことにすり替えていなかったか。「移動の速さの変化」に気付いてほしいなら「歩いている人、自転車に乗っている人、荷車を引いている人、列車も走っていますね。これから気づくことはありますか?」という投げかけで「速さが違う」と、鑑賞者から出るならよい。「察しの良いわからずや」になるべき。

〇ファシリが「水彩画であるという意見に対してどう返したらよいか迷った」といったことに対して「ペン画でとても細かく描いていること、水彩画で描かれていることの意味」など、発言者に聞き返してもよいのでは。

〇たくさんいい意見が出ていたから、全部をディスクリプションしていなくても、コンセプトにたどりつけたのでは。ファシリが全部、要素を回収したくて、最後にまた最初の道の話をしたりして、もったいなかった。そうではなくて、クライマックスはもっと盛り上げて、概観してこの作品から何を受けとれるのかを考えるべき。終末をみんなで盛り上げて「それはどういうことなのか」を考えていくほうがよい。

〇「郷愁」「絵の具が新しそうだから最近書いたのでは」「鳥の目線で描ける?そうまでして描いたのはなぜ?」など、後半で語られると、ただの記録ではないということにつながった。

〇「昔の出来事を今、思い出して描いている」ことを考えてもらうほうが「今は失われたもの」「あの頃はよかった」「もう戻れない。悔やんでも取り戻せない。」「人間の哀しさ。」「文明に走ってしまった。」などにつなげられたのでは。ファシリが最後どう終わるかイメージを持てていたかが大切。

 

<ファシリテーターの今後の課題>

この作品は、実際に本物を展示室で数人で見るには小さいですが、デバイス上で各自が拡大してじっくり細部まで鑑賞できるというオンライン向きの作品でもあることがわかりました。また、子どもから大人まで、幅広い世代で鑑賞でき、たくさんの発見やそれから導ける解釈にも深いものが引き出せる本当に素敵な作品だと思います。今回はつい、欲張って「あれもこれも」とファシリが自分本位に進めようとしてしまったのが最大の反省点です。鑑賞者本位で進めることを忘れずに、コンセプトは胸に秘めながらも常に鑑賞者に公平でありたいと思います。

 

春日さんのレクチャーを聞いてからの鑑賞会でしたので、ディスクリプションやコンセプトの大切さを意識しながら進めることができました。その上で自分のファシリの癖も露見し、恥ずかしながらも次への目標が見えてきたのは大きな収穫です。ご協力いただいた皆さん、本当にありがとうございました。


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