キ上の空論

小説もどきや日常などの雑文・覚え書きです。

感情は認識を改竄しますよ

2021年03月23日 | 日常
 いち名前マニアとしては、名前と犯罪は切り分けてほしいなあと思った某記事。「と」は止め字と見做して、最初の二音+止め字の「と」という構成だと普通にわかる名前を名前の専門家が顕名で最初の一音+それ以降で区切って名前として不適切って言っててねえ。古語を使ったネーミングならパーフェクトヒューマンて意味の名前でしょ。しらんけど。「と」は元々止め字としては人の字を充ててたのが音だけ残ったものだし。
 記事を書いた人に押されたのか犯罪行為への怒りが認識を歪めたのか、感情は認識を変えるし色々記憶も変えてしまうから困る。
 今時の音からの名付けは、身内は音だけで認識していればだいたいこと足りるからじゃないかと思う。地縁団体との関わりもかなり薄いし、堂々と人様の子に「変な名前!」って言う「しつけのなっていない人」も減ったし。そこへ画数やら字面やらで漢字を当てはめてそう読ませるって手法は、良い意味の名前を音から文字からも充てられると錯覚するんだな。画数って、気にすると終わりがないやつだし、昔の価値観を引っ張ってる部分もあって、気にしすぎるのもよくないと思うのよ。
 庶民が昔の文字を使わないひとびとの名付けに戻ったってわけではない、はず。
 ただ、画数の多い名前はテストや何らかの応募書類で書くのがいちいち大変だから、あんまり画数が多いのは、子につけないで自分のペンネームにしとけって思う。
 ちなみに私が読めない名前といって最初に思い出すのは内藤濯先生。それは置いといて、小学生には初見では島崎藤村も難易度が高くて、フジムラになったりする。平櫛田中はどっちが名字なのかわかるかなー。ほぼ日のヨメナ語は面白いコンテンツでしたねえ。あれといいまつがいが好きでした。机屋はいまでも90度を見ると思い出します。
 また、画数の多い名前というと、魔人学園の蓬萊寺くんと醍醐くんを思い出します。テストのたびに名字に時間をとられていそうで、気の毒だったなあ。蓬萊寺くんは名前の画数が少なめなのは良いバランスだなと思いました。

 本日のアストロダイス
 7室双子座海王星だったけど冥王星。マウス動かしたら当たって出目が変わったんだ。
 相方がハイスピードで変わり果て 辻褄合わぬ話をするね
 都合に合わせて記憶を改竄していくと、話の初めに言ってたことと真っ向からぶつかることを、問題ないと思って言ってることがある人がいる。自分もそうならないように気をつけたい。メンタル弱いし影響されやすいし。

 今日の歩数は三桁。歩く暇がなかったので。無情。
コメント
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