本日のアストロダイス
8室魚座水星。受け継いで総合的に理解する 師匠の数は 星の数ほど
ときメモの鏡さんについて、コメンタリーで中の人が魅羅ちゃんと呼んでいらして、その影響で鏡さんかわいいとか言いだしたくらいは影響を受けやすいので、フォロワーは割と真面目に選んでおります。フォローボタン押す前にこの方の作品や文章を毎日浴びても大丈夫かどうかは三回くらいは考えています。
俳句も先生の句が好きでなかったらそもそも通ってないし、先生の新作を拝むために句作していると言っても言いすぎてはいないと思う。ほかにも刺さりやすい句を作られる方が何人かいらして……句会に行きたい。
作風とかは影響受けにくくてがっかり。師系を辿って句集を読んだり、初心者向けの参考文献を教えていただいたり(廃版になっているものもありますね)、そこら辺を伝えられるようになっていければ、句が作れるようになるより私にとっては良いことなのかも。
にわかや盛り上がりたての新規さんが、声がでかくて上から物を言ってしまうことがあるのは、自分の持っている世界はまだ狭いのに、向こう側にあるやたら深い沼を本能的に察しているからということもあるかな。ネットは公共の場で、SNSの向こう側にいるのはほぼ初対面ですらない他人で、不躾なのは不快だということさえ学べなかった人が、文章読みたいところの入り口に来たところだったら、知らない単語はステルスのハードルにも見えたかもね。お呼びじゃないのよって言われた気がしたのかも。自意識過剰なお年頃なのか、自意識が肥大化しているのかは、まあ置いておいて。
そして人様に不快という理由だけで暴言を吐いたら、他人に届いた分だけ、その不躾さから感じた不快へのお返しが来るかもしれないところですよ。SNSって。怖いわね。
半可通ほど物を言いたがると昔どこかで読んだけど、出典が思い出せなくて困っているから、若さにまかせて高をくくるのよくないわ。わかるつもり、覚えていられるつもり、そうでもないことはたくさんあります。
知らないことに逆ギレするならまだマシで、「そのくらい知ってる(ただしそれまでの言動で知らなかったと既にバレている)」とか「そんなことも知らないの」をたたき付けるように言うのが劣等コンプレックスをこじらせた人にありがちなやつです。そこまでこじれると人間になれなくなるかもしれない。必死に誰かを否定したって、自分が足りなくなかったことにはならないのですが、こじれてる人はスイッチ入っちゃうと残念な言動が自動で出るので。
自分にとって快適でしかない文章は、突き詰めて言うと自分で書くしかないし、書けるようになるかもわからないし、他人に求めるものでもないのよ本来は。だから人様の作品がありがたいわけでねえ。
それはともかく、割と最近の言い方だと思うのですが、「におった」ってことばをにおいを嗅いだと言う意味で話す人が気になります。においを嗅ぐというのはある意味重複表現ですが(比喩表現でもなければ嗅ぐのはにおいなので)、嗅ぐじゃなくてにおいを動詞にするのねえ、と。「におう」という動詞はにおいを放つ、あるいは発生させる意味の言葉ですが、その過去形を嗅ぐという意味で使うのか。
推しも作品名に使われるくらいには定着しましたが、推すと言えばだいたい推測する意で使われる言葉なわけで、何でプッシュの意味がわかりやすい押し表記じゃないのかもわからずじまいでした。慣れてしまうと普通に使うようになりましたけれども。オタ語と文章表記と崩し語と。わからないものはわからない姿形で存在するものですわ。
8室魚座水星。受け継いで総合的に理解する 師匠の数は 星の数ほど
ときメモの鏡さんについて、コメンタリーで中の人が魅羅ちゃんと呼んでいらして、その影響で鏡さんかわいいとか言いだしたくらいは影響を受けやすいので、フォロワーは割と真面目に選んでおります。フォローボタン押す前にこの方の作品や文章を毎日浴びても大丈夫かどうかは三回くらいは考えています。
俳句も先生の句が好きでなかったらそもそも通ってないし、先生の新作を拝むために句作していると言っても言いすぎてはいないと思う。ほかにも刺さりやすい句を作られる方が何人かいらして……句会に行きたい。
作風とかは影響受けにくくてがっかり。師系を辿って句集を読んだり、初心者向けの参考文献を教えていただいたり(廃版になっているものもありますね)、そこら辺を伝えられるようになっていければ、句が作れるようになるより私にとっては良いことなのかも。
にわかや盛り上がりたての新規さんが、声がでかくて上から物を言ってしまうことがあるのは、自分の持っている世界はまだ狭いのに、向こう側にあるやたら深い沼を本能的に察しているからということもあるかな。ネットは公共の場で、SNSの向こう側にいるのはほぼ初対面ですらない他人で、不躾なのは不快だということさえ学べなかった人が、文章読みたいところの入り口に来たところだったら、知らない単語はステルスのハードルにも見えたかもね。お呼びじゃないのよって言われた気がしたのかも。自意識過剰なお年頃なのか、自意識が肥大化しているのかは、まあ置いておいて。
そして人様に不快という理由だけで暴言を吐いたら、他人に届いた分だけ、その不躾さから感じた不快へのお返しが来るかもしれないところですよ。SNSって。怖いわね。
半可通ほど物を言いたがると昔どこかで読んだけど、出典が思い出せなくて困っているから、若さにまかせて高をくくるのよくないわ。わかるつもり、覚えていられるつもり、そうでもないことはたくさんあります。
知らないことに逆ギレするならまだマシで、「そのくらい知ってる(ただしそれまでの言動で知らなかったと既にバレている)」とか「そんなことも知らないの」をたたき付けるように言うのが劣等コンプレックスをこじらせた人にありがちなやつです。そこまでこじれると人間になれなくなるかもしれない。必死に誰かを否定したって、自分が足りなくなかったことにはならないのですが、こじれてる人はスイッチ入っちゃうと残念な言動が自動で出るので。
自分にとって快適でしかない文章は、突き詰めて言うと自分で書くしかないし、書けるようになるかもわからないし、他人に求めるものでもないのよ本来は。だから人様の作品がありがたいわけでねえ。
それはともかく、割と最近の言い方だと思うのですが、「におった」ってことばをにおいを嗅いだと言う意味で話す人が気になります。においを嗅ぐというのはある意味重複表現ですが(比喩表現でもなければ嗅ぐのはにおいなので)、嗅ぐじゃなくてにおいを動詞にするのねえ、と。「におう」という動詞はにおいを放つ、あるいは発生させる意味の言葉ですが、その過去形を嗅ぐという意味で使うのか。
推しも作品名に使われるくらいには定着しましたが、推すと言えばだいたい推測する意で使われる言葉なわけで、何でプッシュの意味がわかりやすい押し表記じゃないのかもわからずじまいでした。慣れてしまうと普通に使うようになりましたけれども。オタ語と文章表記と崩し語と。わからないものはわからない姿形で存在するものですわ。