関東大震災の復興に日本軍は大活躍し、一気に政治主導権を掌握した。
国難を契機に政治システムが大変革されるのは良くある
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画像引用:https://gendai.ismedia.jp/mwimgs/a/4/640m/img_a4c58f2a6d975d820e2ff69b1cbeb19c97608.jpg



コロナで変わる日本 緊急事態法制で「普通の国」になる

3月5日は日本国内の新規感染者数が36人(変動する可能性がある)と最多になり、ここで防止できないと毎日数百人単位になる。

新型コロナウイルスが認知されたのは20年1月20日だったが、1か月も日本政府は何も対策をせず放置した。

形式的に武漢から入国禁止にしたが、武漢に立ち寄ったかどうかは自己申告なので、2月になっても武漢から日本に入国可能だった。

 
中国政府は中国から外国への団体旅行を禁止したが、個人旅行は可能だったので2月20日ごろまで観光地でかなりの中国人を見かけた。

日本政府は4月の習近平訪日への配慮や、中国政府からの要請で「絶対に中国から入国禁止にしない」という間違った政策をとり現在も続けている。

中国から日本へはビザ(外務省の入国許可)が必要なので、日本政府は替わりにビザの発行を抑えることで入国制限をした。

結果として3月に入ると一般の中国人は日本に入国できなくなったが、この温和な措置のおかげで1か月対策が遅れた。
日本国内での日本人感染者は2月前半には一日1人程度だったが、後半には毎日数人になり、3月には毎日10人以上に増えた。
ライブハウスや屋形船、宴会、スポーツクラブ、卓球クラブなどで集団感染し、その場にいた人が一斉に感染者になった。

これらは明らかに最初の1か月を無為に過ごしたために中国人観光客から日本人に感染し、日本人同士で広がった。

安倍首相は2月末に全国の小中高校の休校を要請し、会社に出勤しないテレワークを呼び掛けた。
これは必要な措置だったがやはり1か月遅く、最初に断固たる措置を取っていたらまだ感染者ゼロだったかも知れません。

安倍首相の226事件? または大化の改新
安倍首相は2月28日まで国会で寝てばかりいたが、29日に突然記者会見を開き「全国の小中高校をすべて休校にしたい」と発言した。
外国メディアはこれを「電車の衝突のようだ」と表現したが、それまで寝ていたのが何故突然起き出したのか。

首相は続けて特措法を改正して緊急事態宣言を可能にする方針を打ち出し、3月前半にも成立させる構えです。

緊急事態宣言は休校や施設の徴用、マスクやトイレットペーパーの売り渡し命令などが可能で、戦時中の徴用を連想させる。
今回はコロナウイルスが敵だったが、中国軍やロシア軍や朝鮮軍が攻めて来た時にも緊急事態を宣言できる。
一度緊急事態宣言を出せるようにしておけば、それがどんな時に出せるのかの条件は、後で小さな改正をすれば良い。
野党はもちろん「戦争につながる」として反対だが、今回はコロナウイルス防止が公儀なので、表立って反対はしにくい

こうした事が日本史には何度かあり、例えば1923年(大正12年)関東大震災では東京が廃墟になり伝染病が蔓延した。この国難を利用して台頭したのが軍縮で絶滅寸前だった日本軍で、帝都再建に大活躍し政治の主導権を握った。

1923年(大正12年)関東大震災から回復しないうちに1929年NY大恐慌が起き、昭和大恐慌が発生していた。
重要な契機になったのが226事件で、青年将校らが農村の貧困に抗議して決起し、未遂に終わったが陸軍の政治支配のきっかけになった。
将校らの多くは貧農出身者で自分の妹が人買いに売られるのに激怒し、政府を倒して自分たちが直接政治を行うのを望んだ。
将校らの主張は「貧農の救済」だったので多くの国民は共感し、結局軍が主導して大陸を開発する事になり、これが米中と衝突し日中戦争から日米戦争に至った。


大化の改新と天智天皇の乱
226事件よりずっと前の皇極天皇4年(645年)に中大兄皇子が乙巳の変(いっしのへん)を起こし大化の改新を断行した。
その頃の日本は蘇我氏が権力を握り、天皇の任命すら蘇我一族が行い、蘇我氏に非ずは人に非ずといった権勢ぶりでした。
皇極天皇が母で中大兄皇子は長男で皇太子だったが、蘇我入鹿は蘇我氏から次の天皇を出すため中大兄皇子排除に動いた。

この頃朝鮮半島は日本の支配下にあり、三韓(新羅、百済、高句麗)の使者が朝廷に謁見する。
この儀式の最中に中大兄皇子は槍をもって蘇我入鹿を襲い、母の皇極天皇の面前で討ち取った。
中大兄皇子こと天智天皇は蘇我氏を排除すると大化の改新を断行したが、この大化の改新こそ実質的は日本国建国でした。

それまでの日本は日本列島を各地の豪族が収めていて、いわば戦国大名が自分の領地を治めているような状態だった。
大化の改新によってはじめて「天皇を中心とした国家」になり、実質的に天皇が日本列島の国家元首になったのはこの頃でした。
豪族が廃止され土地はすべて天皇の所領になり、後に土地を管理する者が武士になり幕府を作るようになる。

国家を建設した天智天皇は唐と対立し、唐は新羅と組んで朝鮮半島に攻め込み、半島全土を支配下に置いた。
朝鮮半島は神功皇后時代(西暦300年頃?)から日本の支配下にあったが、天智2年8月(663年10月)白村江の戦いに敗れて日本軍は半島の支配権を喪失した。
この時から半島は1400年間中国皇帝の植民地になり、日本はずっと中国と争って対立してきた。

226事件は乱れた世のなかを軍部がまとめようとしたクーデターで、大化の改新は蘇我氏の専横を終わらせ日本という国家をつくった。
うがった見方をすれば安倍首相はコロナ騒動を好機ととらえ、戦後政治を終わらせ「普通の国」を作ろうとしている。
安倍首相の緊急事態宣言や休校指示は、関東大震災後に自由放任から統制政治に変わっていった流れにも似ている。