作品(4年前)

2009年08月08日 19時56分40秒 | 旧作
ここで2年越しの粉引き用の化粧泥が完成しました。胚土は鹿追粘土にシャモット等を混入し5パーセントの萩砂を混ぜ胚土としました。
この化粧泥は、生掛けでも、素焼き後でもしっかり圧掛け出来ます。
初めは前回の酒胚のような無地の物でしたが、画像の作品のようにたまに絵付けなどもしていました。
この作品はガス炉で1230度の還元~炭化で焼いています。ガス炉は薪の炭化焼成も可能な大築窯炉工業の窯です。
電気窯は東京陶芸です。どちらの炉も扱い易く良い窯だと思います。
御本と呼ばれる窯変を出すために試行錯誤したのを思い出します。中でも全体がピンク色に窯変させる焼き方については、昇温時間、キープ時間、キープ時間時のガス濃度、冷却時のガス濃度等の雰囲気の管理が極めて難しく、毎回色の出方が違っていました。
この経験も後にガス炉で炭化焼締を作れるようになった、きっかけとなりました。

作品(5年前)

2009年08月07日 22時11分41秒 | 旧作
この頃に、ようやく火襷用の新しい胚土が出来あがりました。記念すべき第1号の作品です。これを期に火襷用胚土として以前の胚土と切り替えることにしました。
この胚土の作り方が後に役立ちました。

画像の作品は、一度素焼きした後、電気炉で1230度の還元で焼きました。
低い温度域では、赤色調が強く、高くなるにつれて赤から金色調に変化していくようでした。また、赤色調をより強くするには素焼きせずに、なまで焼いた方が強く発色します。
還元濃度を変えて行くと藁目が白色にも変化しますが、この場合では一度素焼きした方が良いようでした。
作品の特徴は、酸化でも還元でも水がしむる事はありませんでした。又、触った感じでは表面が濡れていないけれども、しっとりした感じがします。

作品(6年前)

2009年08月06日 23時02分03秒 | 旧作
この作品は正確に言うと4年前に作った粉引きの作品の一つで、2年間の空白中では、胚土と化粧の調整でした。化粧に関しては約2年がかりで完成することが出来ました。これも後に役立つ物となっています。
画像の酒胚は粉引用粘土に萩砂を5パーセント混ぜ合せ化粧しています。釉薬は藁灰釉で土灰、藁灰、長石で合わせた簡単な物でした。またこの時に釉薬が足りなくなり、急いで薬を作った後、直ちに施釉して焼いて失敗した事を思い出します。
薬は寝かせてから使うという事を痛感させられました。

作品(7年前)

2009年08月06日 22時25分56秒 | 旧作
この頃の作品では、一時、結晶釉にハマってしまい夢中で薬のテストをしていた記憶があります。画像はチタン結晶釉に添加剤としてルチールを入れています。
微妙な温度変化で白がピンク色になったり時折、黄色い斑点が出てきたりしました。また、チタン釉では、胚土に含まれる鉄分の影響も大きかったので、この薬に関しては、半磁器粘土だけで作っていました。まるで使用しなくなっていきつつある鹿追粘土と、胚土として使用している鹿追調整粘土の限界のような事を感じたのか・・・この頃から疑問に想うようになりました。

ここから、粘土との格闘が始り胚土として使う粘土の新たな調整が始りました。
作り始めた胚土の種類は2種類で、もともと調整済の胚土(シャモット入り)を粉引用に作る事と、火襷用に初めから作りなおす研究がはじまりました。
ここから初めて、あちこちに点在する原料を探しはじめたようです。
そのおかげで今では、道産原料100パーセントで胚土を作る事も出来るようになりました。




作品(8年前)

2009年08月05日 20時53分46秒 | 旧作
これは墨うちに使用していた化粧泥を使った作品で、胚土は鹿追粘土にシャモットを加えた物に信楽白粘土を2対1の割合で合わせています。この頃は炉の棚板にすき間が出来ないように皿を少し小さめに作り始めていた時期でもあります。
焼成温度は1235度の酸化焼成で釉薬は前回使用していた藁灰釉に陶石を加えています。
この頃は、明けても暮れても、マグカップかコーヒー碗しか制作していなかった記憶があります。