私は不思議というものが好きです。いつもそういうところばかり見ています。なぜか? ふしぎなものには「わくわく」が詰まっているからと思っています。奇跡という言葉に近いものを感じられる。そういうところをなんでもない日常の中にみつけていると、たのしいです。現実で冷めた世の中だからこそです
もし、子供時代から周囲の呪詛のような言葉に囲まれて生きてきた経験がある方がいるとしたら、いろんなトラブルや苦労があったと思います。しかし、その呪詛に勝つ勢いで、素晴らしい言葉をあなたから産みだしていって欲しいと願うばかりです。そして肯定した自分が本来の自分であると信じることです。
さいきんブログの読者が増えています。不安定な時代だからこそ、ひそかに開運する方法を知ろうと努力しているかもしれません。私も日々、開運する方法を自分なりに研究しています。どうしたら運が開けるのかということを毎日考えると楽しくなってしまいます。みなさんもそうであることを願います。
どうして年寄りの犯罪が増加しているのかを考えました。それはきっと戦争によって「押しつけ→我慢→抑圧」という式の中にはめこまれた人たち(犠牲者)だと思うのです。正しい道徳も嘘と消え、本音と建前を使い分けながら生きるように仕向けられたんだと思います。
今の人は逆にストレートに本音をぶつけながら生きている開放型が多いのではないでしょうか。そうやって少しずつ進化の階段を登っている。その都度問題は発生してもまた成長します。
最近の報道で学生が祖父と祖母を殺害したニュースを聞いて気になることがありました。それは殺害の動機です。まるで学生本人が殺人キラーのように聞こえました。人間関係でのむしゃくしゃというようだったが、本当はイジメが原因ではないだろうか。ニュースはいつも真実を言わない。わからないが
人間は厄年の時に、心のなかの汚れ(カルマ)を多く出していくようになっていますが、それは調整された話なのです。これからの世界ではもしかすると調整という役割がなく、一気に清算を求められるかもしれません。何かが起こり、借金を一括で請求されるようにです。
心の中を普段から清くしていくこと。常に清らかになるように元ある汚れを浄化させていくことを努めていかねばならない理由はそこにあるのです。汚れたままでいれば清算を求められた時に対処ができないからです。
人間は最初に肉体を神から借りて生まれてくる。最初から借金のような状態で生まれてきます。そしてその肉体を借りて、事を成すのですが、どのような人生にするのかというのは自由なのです。しかし、分かりますよね?
ということで、もし悪いことが起きたならば、逆に感謝しなければならないのです。悪いことが起きてくれて、これでひとつ自身の悪いものを流すことができました。ありがたいなあ。というようにです。
新約聖書には「人を傷つけることは自分を傷つけること」と書いてあるそうです。ネットでの書き込みにも注意して悪い言葉はなるべく使わないようにしましょうね。
どの魂も道を正すために生まれてくるのです。まっすぐな狭き道を歩く者だけが、自分が自分であり、かつ創造的力と一体であることを知るのです。2021-1 エドガーケーシー【自動】
人生とはその時々に自然に変化し、移りゆくものです。変化に抵抗してはなりません。それは悲しみを招くだけです。現実を現実として、あるがままに受け入れなさい。ものごとをそれが進みたいように、自然に前に流れさせてやりなさい。 老子
宇宙的なものを作るか、カルマ(宿命)を作るかは、魂が自分の知っていることをいかに行動に移してきたかにかかっています。蒔いた種は自分で刈り取らなければならないからです。267-7 エドガーケーシー【自動】
陰の強い場には陰の強いものがどんどんやってきやすいので、重くならないうちに掃除して清める必要があります。そうでないとその場にいるだけで体調を壊します。すぐに気付ける態勢でいること。気づいたらすぐに掃除して清めることが肝腎です。
必要以上の監視は必要ありませんが、邪気をまといやすい人や場所に関しては要注意していく必要があります。邪気製造マシーンのようになってしまっていると生きることそのものが大変です。躾とはそうならないように教育することです。強い人は大丈夫なんですけどね、問題は弱い人です。