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十善戒

2014-10-22 | 生き方の哲学


これは仏教の経本にのっていますものですが、10の戒めです。

とっても大切なことが書かれているのでupしてみようと思います。

ウィキペディアによるとこう書かれてありました。

十善戒(じゅうぜんかい)とは、仏教における十悪(十不善業道)を否定形にして、戒律としたもの。江戸時代後期の徳僧、慈雲尊者によって広く宣揚された。

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人というのはなんでもすぐに悪い方向に流されてしまいます。

その意味を理解しなければすぐにです。

良い道徳観念があるからこそ、人は罪を犯すことを恐れるのです。

悪いことをしたときには悪いことをしたという反省ができるのも、人間の中に

善なる心があるためなのですが、それを理解しない人もいます。

平気で人の悪口を言います。人を殺したわけでもないからいいや。

平気で人の物を盗みます。人を殴って全治3ヶ月にしたわけじゃないし

軽い罪の場合は軽い考えで反省することもなくなります。

若い子たちも仏教の知恵というものを教えることはないと思いますから、親から教えられず分からないままで過ごしてきた人もいるかもしれません。

ただ漠然とは理解しているでしょう。

例えば◯ねという言葉をネットで書きまくっている人たち。
ウサ晴らしにもなりません。余計に腹が立つだけなのに

冷たくあしらえば冷たいものが返ってきます。

消えろなどの言葉は江原さんも申していましたが、自分が消えてしまいたいという思いから出てくる言葉かもしれません。

芸人さんたちもけっこうひどい言葉で笑いを誘いますからカ◯とか
それを自分の心をいぢめながら成長するSな人もいますが、基本的に優しい言葉で少しずつ成長していくほうが正しくのびのびと育つように思います。

敵という風にみて皆叩き潰そうとします。攻撃的な人ならば激しいマイナス口調で辛い批評を繰り返すことでしょう。言葉で倒れる人もいますから

そういうことをして上の立場から見下ろしていても解決しません。マイナスがまた自分に返ってくるだけです。自分が救われる方法はたったひとつ愛を出すより他に方法はありません。

それでも環境が悪い状態で改善することは簡単ではないし、自分が長いこと少しずつ時間をかけて改善するしか方法がありません。

私も少しずつ改善努力している途中です。

妄想が湧きやすく、すぐに何かに固執してしまう性質の人。些細なことに執着して頭のなかで悪い妄想を繰り返す癖があるひとなど。怒りに身を浸し体や心を蝕んでゆきます。

毎日、この言葉を宣言して今後一切において、これらを致しませんという誓いを毎朝立てることによって、少しずつそういう苦しみから離れていくことができるようになるのです。

初めはできなくても、一歩ずつ一歩ずつ言葉に出すことで、自分を戒め、善い行いが重なっていくわけです。

もしそういう環境に生まれることになって、惨めな状態をさらすような状況にあったならば、それを過去世においてしてしまった己の責任なわけですから、腹を立てるならば本来は自分の過去の行動ということになるのが正しい流れなのです。

報復による報復でまたそのカルマを増やし永遠に終わりがありません。
仏教による輪廻転生はそのことを言っていると思われます。

いいかげんに過ちに気づきなさい。いつまで同じことを繰り返すのですか?と生きている間ずっと魂に問いかけられるわけです。


ということで知って頂きたいと思います。



十地経(華厳経十地品)第二「菩薩住離垢地」で勧められる、菩薩としてなすべき十の良いことをすることの戒め。


  不殺生(ふせっしょう)
故意に生き物を殺さない。生き物すべては自然のものです。木であっても命が宿っているので、そこに自然霊などが宿ります。木をむやみに切ると祟を受ける話もあるぐらいです。殺したところで自分のストレスはなくなりません。それよりも命を育むことで愛が生まれて自分のストレスも完全に消え去ります。


  不偸盗(ふちゅうとう) 
与えられていないものを自分のものとしない。ジャイアンの言葉が参考になりますが、「俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの」あやまちを繰り返しながら人は成長していきますから大目にみてあげることも必要かもしれません。


  不邪淫(ふじゃいん) 
不倫関係、または激しい性を求めない。性というもののコントロールはひじょうに難しいのですが、そこをうまくコントロールすることができた人は本当に超能力者になれます。性的能力は人間においては絶大なのです。


 不妄語(ふもうご) 
人を傷つける悪い嘘をつかない。ウソを付くことが悪いわけでもないように私は思います。嘘も方便ということわざがあるように、言わないでいたことがいいこともあるし、知らないほうが幸せなこともありますし、軽いウソから始まる恋なんてのもロマンチックでいいような気がします。当然バレたときの責任は返ってくるでしょうけれども。


  不綺語(ふきご) 
きれいごと。中身の無いこと。私が思うにすごく軽い感覚で話してる人がいるように思うので、やはり心のこもった話というか、内容のある中身のある言葉を使ってほしいなと思います。重い言葉は嫌われる傾向がありますし、確かにエネルギーの消耗はあるでしょうけれども、そうやっていくとパワーが生まれてきます。


  不悪口(ふあっく) 
乱暴な言葉を使わない。悪口など魂を汚す言葉を使わない


  不両舌(ふりょうぜつ) 
他人を仲違いさせるようなことを言わない。
例えば悪い噂を流したり、二枚舌で表ではいい顔をして裏ではかなり憎むような言葉を使ったりする。


  不慳貪(ふけんどん) 
異常な欲を持たない。性も含めたあらゆる欲で、自分の持てる分量があるわけです。自分の分量を越えて人様のものまで手をつけることは異常です。


  不瞋恚(ふしんに) 
異常な怒りを持たない。この怒りを発散しようとネットで書き込んだり、弱いものをいじめ抜いたりして被害が大きくなります。怒りは怒りを呼び電線しますから。体で言うと肝臓を壊します。特に怒りはストレスにより、お酒やギャンブル、麻薬などの依存性を引き起こします。ストレスというものは正しく解消すべきです。


  不邪見(ふじゃけん) 
(善悪業報、輪廻等を否定する)誤った見解を持たない。
悪い風に見てしまうところを戒めるのです。何を見ても悪いやつだとか悪い社会だこの国は!という先入観念だけで見ると災いしか起こりません。
しかし、感謝感謝でたいへん有り難いです。あなたのお陰で今がありますと嫌なことをされた人にさえ言えるようになったらもう聖人クラスですはい。

大人として一方的に表面的に偏見な目で見るのではなく、客観的に一歩引いた視点を持ち、多角的にかつ穏やかに調和した世界を生み出すことに全力を尽くすことです。国と国との関係において、トラブルが起きたときも戦争のない平和的な解決法を望むほうが遥かに文明・文化がお互いに促進させるわけですから、人間関係でもそのほうがライバル関係としてさらに進化していくことができるわけです。

物事の追求をして善悪を決める法律やそれを守る警察は現実においては必要な存在ですが、個人がそれにこだわりだすと争いが勃発します。

愛のある目をもって、許しますと言い合うことで最高の関係になるのです。
そして、悪いところよりも良い部分を拡張してみると今度は良いものにかわります。さいとうひとりさんは「自分を許します」という言葉を何回でも言いなさいとおっしゃっていますし、許し合う世界はまさに天国界ですね。


最後にカルマという悪い行いによるもの(責任)ですが、自分が終わったと思うときがくればそれは本当に終わりだそうです。ただし、口で言ってるだけでは意味がなく、心と言葉と行動が一致した状態で感じられることです。善い結果がさらに生まれた時には完全にそのことの罪は消えている証拠にもなります。

この戒めをしっかりと守り、善い責任を創りだしてゆけば必ずそのときは訪れます。

そしてさらに「もう幸せになってもいいんだよ」と自分に問いかけることでそのような状態を作り出せるかもしれません。


ぜひ、この言葉を唱えてください。そして戒めましょう。
不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見!

そして子供にしっかりと教え、近くの人にもそれを教えましょう。

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