★好きなものとか日々のあれこれ★

好きなものは三本じゃない。。。。笑

納骨を終えて。

2012-08-01 11:13:35 | Weblog


ひとつの区切りだと思ったので改めてここでお話します。



中陰飾りっていうんですか、家の中で遺骨を安置している台
あれがいままでドーンと場所をとって置いてあったんですけれども
納骨終えてそれもなくなって。

無事お骨をお墓に納めてきたというホッとする気持ちと

仕事から帰って
「ただいまー」ってお線香あげて手を合わせに
部屋入ると

「あれっ。…あぁ…そうか、もう居ないんだ」

ガラーンとした和室を見て実はとても寂しい気持ちがあります。



昨日香典返しの手配を全て終えて
亡義父母が長年にわたってお友達であり、大変にお世話になっていたお宅に
お電話で報告しました。

ご主人は去年亡くなったばかりで
その時はうちのジジも元気でしたから、奥様に頼られて相談をうけたり
葬儀も二日間にわたって出席させていただいたんですが

今回、うちのジジが亡くなるのが急だったことと
奥様もご主人亡くなられてから気持も体も弱っているんではないかと
納骨すんでからの報告にしようと思ってて。(@お墓が斜向かい^^)


やっぱり最近ではめっきり弱ってらして、寝たり起きたりの生活とのこと
お話しながらお互いに泣いてしまいました。


それこそホントに何十年ものお付き合いだったのを知ってるし
私が嫁いでくる前に
義母が病気でいろいろ大変だったとき
いい精神科の病院を紹介してくださって最悪の状態を脱したりとか
ジジとお仕事仲間でもあったし、まさに公私にわたってお世話になった方。
きちんとご報告できてよかった…。




近隣の方はもちろんのこと
宅配によくきてくれる宅配業者のオジサンとか(部屋の遺影と遺骨みてびっくりしてた)
簡易保険の集金のオジサン
配置薬の営業の方

みんなに急だとビックリされます。


「急でしたけど、本人結構しんどかったんですよ~」と
そのつどお話してるんですが

でもあの入院から帰宅できないとは私も、そしてきっとジジ本人も
入院時には思っていなかったと思っています。







6月2日の土曜日の朝にかかりつけのクリニックにてCTを撮ってもらい
それを持って去年入院した脳外科のある総合病院に連れて行きました。

ここ数日とても苦しそうだったので
もちろん入院してもらうつもりで。

家ではそのときは酸素ボンベもないし、病院で入院して酸素吸ってもらってる間に
在宅酸素の態勢を整えようと思ってました。


入院になって、肺がんより間質性肺炎の増悪状態が深刻だというお話は
以前の日記に書いたと思います。

ステロイドパルス療法という大量のステロイドを使っての集中治療をするというお話も。


それで少し効果があったように話を聞いていたのですが
今となってはどの程度どう効果があったのかはもう…

毎日仕事帰りに見舞ってた感じでは
酸素濃度もある程度保てているようだったし

家にいるよりかは少なくとも呼吸自体は相当楽そうでした。
家では一日一箱使ってしまうんではないかと思うほどの痰もそう出ている感じではなく

私が行っても 今後帰宅後の介護ベッドの話だとか、酸素ボンベの話だとか
そんな話を一緒にしたり
5日はユウユウの誕生日だったので、その話をして笑ったり
とにかく全然普通でした。


でもどうなんでしょうね・・・
ステロイドの大量投入によって、糖尿病値がどうしてもあがってしまって
インシュリンを打ったりしなくちゃいけなかったり
ベッドの移動があったり、そういった少しずつの積み重ねが
一人で病院で過ごす時間が多い中で精神的に追い詰められていたのかもしれません。

毎日欠かさずお見舞いに行ってたのに
忘れもしない
6日水曜日は私が自分の持病の検診で病院に出かけたりしたもので
普段の生活スケジュールではなかったこともあり
その日初めてお見舞いを休みました。

入院が長くなると踏んでいたし
はじめっからこっちも飛ばしていては共倒れになると思ったりもしてたんです。


よりにもよって
その日の消灯後、22時過ぎですか

病院からジジが行方不明だと連絡をいただいたのです。



入院先から勝手に自宅に帰ってきちゃうってこと
若いころにやったことがあるそうで

もう完全にそれだなと。

お金も余分に持ってなかったので
きっとタクシーで帰ってくる気だと

本当に本当に思ってました。その時は。



私もお見舞いに行かなかったことで
寂しくなっちゃって帰ってくる気だなと。



旦那ととりあえず病院にかけつけたんですが
相変わらず病院内どこ探しても居ないとかで
看護婦さんたちてんやわんやでした。


捜索願いは家族からしか出せないのかどうだかわかんないんですが
病院側から「警察に捜索願を出してください」と言われ
警察に電話するも、なんかもう何が何だか…


まさにその時にジジが見つかりました。

病院の近くで。





見つかった時はすでに心肺停止状態





自殺でした。










きちんと書いて残しておくことで
色んなこと忘れまいと書いてます・・けど

でもやっぱり辛いですね。



普段は細かいこと忘れてるつもりでいても

ちっとも忘れてなんていないんだって、今思ってます。





義母の入院のきっかけもあんな感じでしたから
こんな去り方だけはしてほしくなかった。


蘇生処置をしてもらって
なんとか心臓だけが弱弱しく何時間か動いてくれたんですけれど
あきれるほどずっとずっとすがって泣いてました。





元気な時は
「美穂に死に水とってもらうんだ」と
公言していて

それを内心
「うへぇーーーー」と思ってました。


でもとにかく難しい人で
息子たちにも一切頼りたくない人だったので
頼るべきは私しか居ず

それも仕方ないのかなと
いやいやながらも(おい)覚悟はしていたんですが


ちょっと話しが違うじゃないのと。




長い期間にわたって私の手を煩わせる身の上になるのも
(私のためを思って)本意じゃなかったのかもしれません。
どうしようもなく苦しかったのかなとか
その最後のジジの心理は考えても考えてもどれが正解なのかはわからないです。


でも、消灯後に抜け出したにも関わらず
本人きちんと着替えていましたし、杖持ってたし
そして自らの命を絶つべく道具も持ち出してますから
覚悟の上のことだったのかなと思います。


無理してでもあの日、ちょっと顔を出してあげたら
何を会話できたのかなとか今でも思います。







































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