本日は少し、重いボヤキです。
今日、職場で信頼の置ける上司(以下Aさん)から
「ここが嫌で、逃げるために辞めようと考えてる?」と言われました。
俺が昨今、離職を考えている理由は、
単に、人間関係が嫌だからとか、仕事がきついからだというわけではありません。
まず、話は俺が今の進路を決定した頃に遡る訳で・・・。
俺が看護師を目指したのは、何といっても家族のためだった。
専門学校でもなれたのにわざわざ大学に進学したのは、
我が家の誰も知らなかった医学部の事情、体系、私生活、就職状況など情報を得るため。(いわば諜報活動)
勉強するうちに「看護」というものに興味がわいてきたのも事実。
かけがえの無い友人や人脈を気付けたのも事実。
ただ、大学はやはり職業人としてのジェネラリストを求めてる。
そんななか、方向性の違いと、周囲との差を感じ、価値観の違いを苦悩したことを隠してきたことも事実。
就職先は、地元に戻して実家から通いながら、
休みの日は、実家の手伝いをして、たまに家事もしてという平穏な生活が待っていると信じていた。
大学4年の就活中におきた、母の急逝。
現実の厳しさと己の無力さを痛感させられた。
事が事であったため、己の意思を再び押し曲げた。
片翼をなくした父を精神面、金銭面で支え、
一定距離から学生の弟たちを支えるために、就職先を今の場所にした。
弟の進学やその後の生活を考えて、俺が臨機応変に対応して動ける体制を作った。
1年目は、仕事も覚えなければいけなかったし、休日は実家に帰り、専ら家事と手伝い。
その合間合間で、弟に対して人脈を繋ぎ止める為、息抜きをかねて部活に頻繁に顔を出していた。
無事、弟も医学科に進学。
父親が心配しないで良いように、俺の眼の届く範囲で監視し、
ときに叱責できるようにと居候という形をとらせた。
そして、2年目の今年、改めて
じっくりと我が家の現状と今後について考えてみた。
このまま、今の職場に居て、本当に家族は大丈夫かと。
実家にいる頑固親父は、一人で今まで以上の仕事量をこなしている。(兼業農家のため俺より多忙)
家事を今までしたこと無い人やし、業務量から考えて家事までさせるのは厳しい。
一人暮らしの次男は、まだ大学生。(就職するまであと1年半)
半居候、半実家通学の三男は、大学生になったばかり。
実家に居て唯一家事をしている祖母は、介護を要する一歩手前。(最近死相出てきた。)
ぶっちゃけ、みんな精神状態ぎりぎり。
考えた結果・・・
俺の行き着いた答え⇒「誰か、裏方に回らんと数年もしないうちに家族が崩壊する!!!」
大げさではない。事実である。
だからこそ、自問自答し、今の職で本当にいいのかと思った。
金銭ではない。誰かが、支えないと、みんな破綻してしまう。
で、時間に余裕があり、ある程度の給与体系が望める職に転職しようと強く思ったわけです。
そんなこと思っていた矢先、親戚からあるコネクションを打診されました。
だから、行動に移したわけです。
逃げではなく、自分たちの生活を守るため。そして、自分の夢をつかむため。
上記のことを云々と帰りがけ、Aさんに話してみました。
Aさんは俺の立場、心境、意思の堅さを十分に共感してくれました。
同時に、Aさんが今思っていることも言ってくれました。
今の職場の体質改善は必須だということ、
そしてそれを実行に移そうにも、人間関係、Aさんなりの思いや、職位が絡んで、
行動に移そうにも、複雑極まりなく、Aさんも自分の無力さに苦悩してました。
挙句に俺に「何もしてやれんくてゴメン。」の一言。
ぶっちゃけ、胸が引き裂かれそうでした。
組織の腐敗を、払拭するためには時間と労力、根気が要ることだと痛感した日でした。
世の中、大人気ない大人が多すぎる。
俺はそんな人間にだけはなりたくない。
鼠子式と言われそうですけど、
自分が守れる分だけ目いっぱい守って、それを良い意味で波及させていこうと思います。
さ、勉強、勉強。
今日、職場で信頼の置ける上司(以下Aさん)から
「ここが嫌で、逃げるために辞めようと考えてる?」と言われました。
俺が昨今、離職を考えている理由は、
単に、人間関係が嫌だからとか、仕事がきついからだというわけではありません。
まず、話は俺が今の進路を決定した頃に遡る訳で・・・。
俺が看護師を目指したのは、何といっても家族のためだった。
専門学校でもなれたのにわざわざ大学に進学したのは、
我が家の誰も知らなかった医学部の事情、体系、私生活、就職状況など情報を得るため。(いわば諜報活動)
勉強するうちに「看護」というものに興味がわいてきたのも事実。
かけがえの無い友人や人脈を気付けたのも事実。
ただ、大学はやはり職業人としてのジェネラリストを求めてる。
そんななか、方向性の違いと、周囲との差を感じ、価値観の違いを苦悩したことを隠してきたことも事実。
就職先は、地元に戻して実家から通いながら、
休みの日は、実家の手伝いをして、たまに家事もしてという平穏な生活が待っていると信じていた。
大学4年の就活中におきた、母の急逝。
現実の厳しさと己の無力さを痛感させられた。
事が事であったため、己の意思を再び押し曲げた。
片翼をなくした父を精神面、金銭面で支え、
一定距離から学生の弟たちを支えるために、就職先を今の場所にした。
弟の進学やその後の生活を考えて、俺が臨機応変に対応して動ける体制を作った。
1年目は、仕事も覚えなければいけなかったし、休日は実家に帰り、専ら家事と手伝い。
その合間合間で、弟に対して人脈を繋ぎ止める為、息抜きをかねて部活に頻繁に顔を出していた。
無事、弟も医学科に進学。
父親が心配しないで良いように、俺の眼の届く範囲で監視し、
ときに叱責できるようにと居候という形をとらせた。
そして、2年目の今年、改めて
じっくりと我が家の現状と今後について考えてみた。
このまま、今の職場に居て、本当に家族は大丈夫かと。
実家にいる頑固親父は、一人で今まで以上の仕事量をこなしている。(兼業農家のため俺より多忙)
家事を今までしたこと無い人やし、業務量から考えて家事までさせるのは厳しい。
一人暮らしの次男は、まだ大学生。(就職するまであと1年半)
半居候、半実家通学の三男は、大学生になったばかり。
実家に居て唯一家事をしている祖母は、介護を要する一歩手前。(最近死相出てきた。)
ぶっちゃけ、みんな精神状態ぎりぎり。
考えた結果・・・
俺の行き着いた答え⇒「誰か、裏方に回らんと数年もしないうちに家族が崩壊する!!!」
大げさではない。事実である。
だからこそ、自問自答し、今の職で本当にいいのかと思った。
金銭ではない。誰かが、支えないと、みんな破綻してしまう。
で、時間に余裕があり、ある程度の給与体系が望める職に転職しようと強く思ったわけです。
そんなこと思っていた矢先、親戚からあるコネクションを打診されました。
だから、行動に移したわけです。
逃げではなく、自分たちの生活を守るため。そして、自分の夢をつかむため。
上記のことを云々と帰りがけ、Aさんに話してみました。
Aさんは俺の立場、心境、意思の堅さを十分に共感してくれました。
同時に、Aさんが今思っていることも言ってくれました。
今の職場の体質改善は必須だということ、
そしてそれを実行に移そうにも、人間関係、Aさんなりの思いや、職位が絡んで、
行動に移そうにも、複雑極まりなく、Aさんも自分の無力さに苦悩してました。
挙句に俺に「何もしてやれんくてゴメン。」の一言。
ぶっちゃけ、胸が引き裂かれそうでした。
組織の腐敗を、払拭するためには時間と労力、根気が要ることだと痛感した日でした。
世の中、大人気ない大人が多すぎる。
俺はそんな人間にだけはなりたくない。
鼠子式と言われそうですけど、
自分が守れる分だけ目いっぱい守って、それを良い意味で波及させていこうと思います。
さ、勉強、勉強。