Paradise for Stupids

愚者の楽園たるこの国周辺で起こる愉快なことをつぶやきます

マドリッド出張で思う英語の重要性

2013-07-07 13:45:59 | カルチャー・ギャップ
勤務先の本体が米国なので、これまでの海外出張は、ほぼ北米地域に限られていた。一方で、昨年、複数の企業や各国代表から成る国際会議の評価委員に任命され、会議出席のため北米以外の国々を訪問する機会が増えそうだ。そのデビュー戦ということで、ちょっと前の話だが、スペインのマドリッドに10日ほど滞在した。

クラシック音楽が好きだったので若いころはヨーロッパに強い憧れを抱いていたのだが、気が付いたら20年ぶりのヨーロッパ訪問であり、スペインは初めての地である。出発前珍しく緊張してしまった。とは言え、到着してみるといつもの米国出張と変わることは無い。マドリッドは地下鉄網が発達しているのでレンタカーを借りることは無かったが、ホテルの従業員はもちろん、タクシーの運転手も英語を話すので、スムースにホテルにチェックイン出来た。

これまでの出張との違いを感じたのは、翌日地下鉄を利用した時のことである。まず地下鉄駅構内の案内板がことごとく意味不明である。全てスペイン語"だけ"で記されているのだ。日本では、今や公共の場に設置される案内板が英語、中国語、韓国語で記されることは珍しくはないが、スペインの首都マドリッドではスペイン語だけなのだ。券売機はどうかというと、モニター上のUnion Jackのアイコンをクリックすると最初の画面は英語表示に切り替わるのだが、画面を進むとスペイン語に戻ってしまい、訳が分からない。英語なんて外国語の一つでしかないということか・・・。流石、現在も中南米に多くの話者を持つスペイン語の故郷であり、かつての大帝国の首都、誇り高いなぁと妙に感心してしまった。

仕方なく、窓口に行って、どこそこに行きたいとゆっくりと英語で伝えたのだが、返ってきたのはスペイン語だ。イングレス(英語)がどうこうと聞こえたので、恐らく英語は分からない、と言っていたのだと思う。文章にして伝えているのが良くないと考え、行きたい場所のみをゆっくりと発音し、ウノ(=1)と付け加えた。今度はうまく意思疎通できて切符を手渡してくれたのだが、その際、何かスペイン語で付け加えられた。もちろんちんぷんかんぷんである。後で分かったことだが、どうやら、途中で乗換の際に、追加料金を払うようにということを言いたかったらしい。目的地の地下鉄駅自動改札で足止めをくらってしまい、駅員(やはり英語を理解してくれない)を呼び止め、身振り手振りで数分間コミュニケーションをして、ようやく彼の言いたかったことを理解したのである。

スペイン滞在中の10日間の経験から推測すると、マドリッドでは一般的に英語はまず通じないと考えたほうが良いと思う。もちろん、ホテルや空港、そこに出入りするタクシー等交通機関、そして博物館など文化施設では"ある程度は"通用する。また観光客も多く利用するレストラン等でも、英語を解するスタッフが居ることもあった。しかし、鉄道駅やバスターミナル、スーパーマーケット等地元民が普通に利用する場所では、英語でのコミュニケーションには無理があった。英語に対するリテラシーという観点では、我が日本国と同レベルと思われる。

外国で、コミュニケーションの問題が発生するのは当然である。"問題"ではあるけれども、プライベートの観光であれば、海外旅行で起こりうるの"非日常"の一つとして、楽しむことが出来る。しかし、ビジネスで訪問している身にはそれなりにストレスであった。

私のマドリッドに対する印象は、悪くは無い。食べ物は美味しいし、歴史に裏打ちされた文化を感じる。しかし、この地に住んでビジネスに従事するかと問われれば、躊躇するであろう。理由は、コミュニケーションの問題にある。この地で暮らすには、新たにスペイン語を学ばなければならないと知ったからだ。それなりに投資をして事実上の国際的標準語としての英語をマスターしたのに、新たにもう一つ言語を学ばなければならないと思うと、無力感にかられてしまう。私は、勤勉ではないし頭が良いわけでもない。なにより、スペイン文化圏に住む強い動機が無い。よって私にはスペイン語を学びたいという強い動機が無い。ビジネスをするなら、外国人にとって、より利便性の高い都市を選択するだろう。英語と片言の現地語の知識で普通に生活できる場所だ。同じヨーロッパであれば西欧や中欧の大都市になるだろうか。

さて、同じ視点でアジアを俯瞰してみると、どうだろう。日本は外国人にとってビジネスがしやすい場所か。そして住みやすい場所であろうか。そうではないことは、国際企業のアジアの拠点が、日本から他国にシフトしていることを見るにつけ、明らかである。国際企業にとってみれば、法人税一つとっても日本が魅力的ではない。では従業員の立場ではどうか。駐在員は一時的に海外に住むに過ぎない。日本に好意を持ったとしても、そのような異国に対する興味を満足させるには観光旅行で十分である。より重要なのは、国際的ビジネスを構成する各要素に対するリテラシーが高いかどうか、である。事実上の国際的標準語の英語はその一番基本的な要素である。英語を母国語としないドイツ人やイタリア人のビジネスマンでも、日本では流ちょうな英語を駆使して働いているではないか。そんな彼らが、この東京(日本)でプライベートでも英語で生活できるのか、これが重要である。

力強い成長と、激しい競争を続けるアジアの中で、日本が生き残るには、何はともあれ教育、そして初めて一歩として抜本的な外国語教育の改革が必須であると確信する次第である。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。