Paradise for Stupids

愚者の楽園たるこの国周辺で起こる愉快なことをつぶやきます

高等教育での学位について思うこと

2013-05-27 21:04:18 | 教育
外資系企業で長年働いており、世界各国のビジネスマンと付き合いがある。ビジネスを離れランチやディナーでしばしば話題に上るのが学生時代の話であるが、私はこれが苦手だ。その理由は、私の大学時代の専攻と現在の職務の間に大きな乖離があることだ。

学位と現在の職務がマッチしないことは、日本では珍しいことではないが、日本以外では非常識的なことである(少なくともインテリジェンスを要求される職務では)。この日本の非常識を毎度説明するのが面倒くさいのだ。また、海外では、高等教育で学んでこそのプロフェッショナルという意識がある。高等教育として法学部で学んだからプロフェッショナルとして弁護士になりましたというのは通るのだが、法学士ですが今はマーケティングをやっています、というのは理解されにくいし、新卒であろうが中途採用であろうが書類選考で落とされる可能性が大きい。高等教育として専門的知識を備えていない者は、学位無しでも遂行できる(そして給与も低い)一般的な業務につかざるを得ない。大学名は関係ない。何を学んだかが大切なのだ。つまり、私が自分の大学時代の専攻を語ることは、すなわち、プロフェッショナルとして当然納めているべき高等教育の経験が無いと、自ら示していることになる。そこに大いなるコンプレックスを感じてしまうのだ。若き日の浅はかな自分を恥じ入るほかはない。

海外でどれだけ学位が重視されているか一つエピソードをご紹介しよう。私が米国の現地法人で働いていたころの話だ。製品開発部門の男が、近隣にある超有名私立大学のMBAプログラムに参加することになった。彼はVirginia Tech(学士)を卒業したエンジニアだったが、製造・開発部門の一部がアジア諸国に移管されることを見越して製品開発に見切りをつけ、製造・開発部門の中の製品計画担当に異動を希望したのだった。しかし、同じ製造・開発部門とはいえ、製品開発と製品計画は必要とする専門知識が異なる。そこで彼は、数百万円の学資と約二年間の変則勤務を代償に大学院に入ることを決めたのである。努力のかいあって、彼はMBAを取得し、現在は製品計画のマネジメントについている。

一方で、今年私の部署に新たに配属された新人約10名の履歴を聞いてみたのだが、揃いも揃って大学時代の専攻と職務が全くマッチしていない。何故なのか。

企業側の問題としては、学生に専門知識を求めていないという点がある。そこには、所詮学生ごときに何が分かる、我々企業側が教育してやる、という驕りがある。しかし企業が教育するということはそれだけコストがかかる。こんなことで新興国とのコスト競争に勝てるとは思えない。企業側もプロなのだから、新卒であってもプロに適した専門知識を有する学生を優先的に採用するべきである。

大学側の問題としては、最終的に大半がビジネスに携わることになる学生の将来からかけ離れたカリキュラムを営々と続けている点がある。その背景には、大学の運営側である教職員や事務員は社会経験が乏しく、ビジネス・センスが皆無であることが要因として考えられる。大学に求められるのは、2点。まずは、ビジネス指向に舵を切り、産学共同のプロジェクトなど増やす。そして教職員や事務員に、実際にビジネスに携わってきたエキスパートをこれまで以上に増員し、彼らとは期間限定の雇用契約とする。成果主義を導入するためだ。

そして学生側、これはやはり幼いと言わざるを得ない。大学を学校名で選んでいる側面もあるだろう。将来の職業、それが無理ならばより抽象的でよいので、人生のビジョンに費やす時間と労力を増やすべきだろう。サークル活動やバイトも良い。しかし前者は楽しみのための活動だし、後者は単なる小金かせぎでしかない。留学や語学学習、資格取得など、自身への投資に励むべきだ。

偉そうに書いては見たが、私が出来なかったことばかり。そして優秀な人は昔からやっていることである。