Paradise for Stupids

愚者の楽園たるこの国周辺で起こる愉快なことをつぶやきます

身障者の傲慢:この国の弱者は、弱者ではない、特権階級である

2013-05-26 12:49:51 | 道徳・モラル
今朝YouTubeをランダムに見ていたら、このビデオに行き当たった。

混雑する新幹線自由席車内で、3人で6人分の席を占有している若者と、立っている乗客とのやりとりだ。若者達は聾唖と見られ、筆談を交わしている。コメントを読むと、荷物があるので6人分の席が必要とのこと。最終的には、席を譲ってもらったらしいが、なんとも後味の悪いエピソードだ。これを見る限り、聾唖であることを言いことに、周囲とのコミュニケーションを一方的に絶ち、自分勝手な我儘を押し通しているように見える。ただし、彼らが聾唖を装っているだけかもしれないし、このビデオをたてに、聾唖の人々は自分勝手と断罪するのは、早計であることは確かである。

しかしこのビデオを見て、先週の乙武氏の一件を思い出しだのは言うまでもない。以前明石家さんま氏との談笑の中で、身障者としての自身のビジネスに影響が出るため、義手や義足はつけない主義だとのたまったとか。手足がないことはビジネスの手段だということか。出世し特権階級に登り詰めるために自ら去勢して宦官の道を選んだ近世以前の中国人を思い起こしてしまった。

余談だが、レストラン予約に際して車椅子で伺うということを自身では一度も伝えたことが無いと断言していた乙武氏だが、彼が登壇する講演会では、車椅子での入場は事前通告が必要と、アナウンスしていたようだ。率直に言えば車椅子での入場は、スペースや補助のためのワークロードの上で負担が増えることは明らかで、事前通知は極めて妥当な行為である。講演会主催者は乙武氏ではなかったようだが、皮肉な話だ。

次長課長の河本準の一件で大分様相は変わってきたが、生活保護受給者に対する疑問を追及することをタブー視する空気が未だに蔓延しているこの国では、身障者も含め弱者の非常識・非道徳・不正を糺すことも何やら躊躇われるテーマとして取られていると思う。その根底にあるのは、弱者=清く貧しく美しい助けるべき人々という日本人の優しい心根に加えて、変に刺激してトラブルを起こしたくないという事なかれ主義があるのではないか。

優しい心根で助けるという麗しい相互共助の行為は、我々健常者に経済的かつ心情的に余裕があり、弱者が謙虚に感謝の念を示す条件下で成り立つのだ。経済的に厳しい中で、このような行為を繰り返されるのであれば、健常者と身障者の間の信頼関係は崩れてゆくであろう。