先週末(12/8・土)は、言わずと知れたアジジャパ…第15回 Asian Japanese Rugby Cup @BKK。
それに、今年も REFEREE として参加しました。
今大会もマッチオフィシャルを代表しての第一声からスタート。この時に着用している、青と紺の
縦ストライプのポロシャツは、前回 Vajiravudh Cullege の方からプレゼントして頂いたものです。
今回、会場の設営や大会運営にはこの Vajiravudh Cullege の多くの職員や生徒さん、そしてOBの
皆さんが、裏方として協力して下さいました。顔見知りの方々との再会も出来て、ハッピィな気分
に浸れました。
そしてマッチオフィシャルは、日本人が私を含めて4名。それにタイ協会からイギリス人(しかし、
在タイ暦は20年以上とか)のDavidさんに、タイ人がリーダー格のDanさんをはじめ4名の、総勢で
9名の大所帯となりました。今回 ちょっと無理して大人数に集まって頂いたのは、これまでの様に
TJを各チームから出して頂くのではなく ARとしてマッチオフィシャルで取り仕切ってみたかった
からで、少し早い目から、そんな"構想"である旨を、事務局の方にも伝えておいたのでした。
貴恵ちゃんから何か言われてる(?)の図。背中 丸っ!! (遠近法のいたずら? ホントは貴恵ちゃんの
方が大きいんですよー。
自身の担当は、全24試合中、レフリー×3試合とAR×5試合。
(←AR @上海A×シンガポール)
双龍のメンバーが「今年こそ優勝」の思いでこの大会に臨まれたのと同じく、私も勿論「カップの
決勝レフリー」を目指し、今大会に臨んだ訳です。因みにこの大会では、私が上海双龍の所属だっ
たとしても、上海双龍が絡む試合の笛を吹く事は許される文化に在り、勿論「やっぱりやり辛い」
と感じるレフリーも居られるので、その辺は自由な空気になっております。
●レフリー 第1試合: (予選リーグ) バンコク×台 湾;
何と言っても 自身にとってのレフリー初戦、バンコク×台北 でのパフォーマンスが悪過ぎました。
その試合はちょうど台北がバンコクに勝利するというアプセットでもあった訳で、勿論、ミスジャ
ッジをしたとか、それが結果に直結したとかいう事ではないし---だから台北が実力で勝利をモノ
にした事は疑いの余地も無いのですが、自分自身でもやっぱり(かなり動きがぎこちなかったかな)
という部分は有りました。
この試合を終えて、案の定 本部席のテント裏で大先輩氏から「もっと落ち着きなさいよ!」等々、
コッテリと搾られてしまいました(こりゃあ次の試合でベストを出さないとカップの決勝どころか、
他のカテゴリーの決勝にも進めないわ)と、今一度 褌を締め直した次第です。
●レフリー 第2試合: (決勝トーナメント) ジャカルタ×広 州;
最初にアサインされていた試合は、巡り合わせの悪戯なのか北京×上海Bでしたので (バンコク迄
来てそれはねぇ)というのも有って、後ろのレフリーと交代してもらいました。それがジャカルタ
×広州の試合なんですが、それはともかく 崖っぷちの気持ちで臨もうとしたこの試合。しかし…
時は既に遅し。裏話を申しますと、各カテゴリー決勝のレフリーアサインはその大先輩氏がされ
るのですが、その為の見極め対象となる試合は 各レフリーにとっての第1戦のみだったんですね。
(もう1試合有るから頑張ろう)との期待はもろくも崩れ…。
因みにアサインされたのはボウルの決勝。カップ/プレートは何れもタイ人のレフリーでしたが、
正直、ボウルの決勝を任されただけでも、(こりゃかなり温情込みだな)と思わずには居れません
でした。ここでどうこうしても決定が覆る訳ではないのですが、しかし、仮に温情であっても何
であっても、自分も双龍メンバーと同じ様に"AJRCのテッペン"を目指して1年間 頑張って来た
訳ですから、(何の為に菅平に登ってまで武者修行して来てん?)ってのも有りましたし、目の前
のジャカルタ×広州の試合を、何はともあれ必死でやろうと切り替えた訳です。
試合は広州ロックスの好い部分ばかりが出る結果となり、僕の方もそれに乗せられる様にリズム
好く笛を吹けたのでは…と、手応えを感じたものです。
が、しかし…!
試合後の大先輩氏からはまた別の部分でで叱咤の嵐。(正直、褒めんヒトやなぁ~)…なんて思い
乍らも恐縮してご指摘の数々を拝聴したものです。しかし、それは大先輩氏が正しかった。自分
では ジャカルタ×広州 のパフォーマンスがベストだと思っていましたので、若しもそこで100点
満点を頂戴していたら、恐らくボウルの決勝ではそれ以上のモノは出せていなかったでしょう。
●レフリー 第3試合: (ボウル決勝) クアラルンプール×北 京;
大先輩氏は私に対して「もうひと伸び出来るはず、いや、ひと伸びしなさい」という事で敢えて
厳しく接して頂いたのだと思います。実際、コンチクショー!というのも有りましたが、ボウル
の決勝は本当の本当に、この日のベストでした。言い換えれば、広州×ジャカルタ はベストでも
何でもなかったという事になります。そのレベルでベストだ何だと満足し掛かっていた自分が、
全く恥ずかしいです。
このブログに掲載している写真は、ARをやっている1枚を除いて全てこのボウル決勝の時の物で、
勿論カメラマン;ひなPの腕が好いのですが、自画自賛を許して頂きますと、腕がピンと伸びて
いますね。表情に余裕が感じられますね。カッコイイと思います。
さて、アフターマッチファンクションでは、バンコクの北原(大王)キャプテンが敗戦の弁として
「全ては初戦でした」と言っておられましたが、私にとっても全くその通りで、その大王の仰る
「初戦」と私の「初戦」とが同じであるのも皮肉な事です。そして双龍も、結果的に予選リーグ
の突破には影響しなかったというものの、イマイチ乗り切れない初戦のムードを引き摺ったまま、
たった1日の短い大会を終えざるを得なかったという意味で、やはり「全ては初戦でした」なの
かも知れません。一方、台湾にとっては真逆の意味で「全ては初戦でした」と言えるのでしょう。
(←事務局&マッチオフィシャルのメンバーと)
そんな訳で私もまた双龍のメンバーと同じ様に、来年に向けての長いチャレンジが始まりました。
ひなPに頂いた写真の数々を見ておりますと、悔しさの後にもポジティヴな気持ちが湧いて来る
気がします。ひなP、愛情てんこ盛りの写真 Thanks a lot !!!
(←ファンクションディナー後の反省&お疲れさん会)
この大会に関わった全ての皆さん、本当にお疲れ様でした!
【2012年12月8日 レフリー試合数】
・10人制/7分ハーフで前後半×2試合
・10人制/10分ハーフで前後半×1試合
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★2012年通算試合数(~12月8日):75.5試合
Michael.