北山・京の鄙の里・田舎暮らし

北山、京の北に拡がる山々、その山里での生活を楽しんでいます。

黒田からの京道・トロー峠越え

2013-10-16 10:57:22 | 山・峠・街道

地図の記事が続きます。今回の京道は黒田からの京道と位置づけた<トロー峠>越えです。

まずは国土地理院の地図を見てください。


黒田の中心地、宮や下黒田の人が歩きの時代に京へと向かう際に利用されたと考えられます。車社会の現在は、477を上黒田から貴船方面への361に入り芹生峠を越えて貴船経由か、477で花脊~鞍馬へと抜ける道を利用する人が多いようです。離合のことを考えると鞍馬へのルートの方が走りやすいでしょう。

ゼミナールハウスの西の鯖街道講座での京道シリーズ、10月はこのトロー峠越えを歩きました。私自身はこのコースは初めてでしたが、京北トレイル部長の塔下守氏の案内で歩く事ができました。

京都一周トレイル京北コースの地図も載せておきます。


二つを比較すると、九十九折れの部分もきちんと表されていますし、またこの地図は航空写真での補正もされていて信頼度も高いものです。

当日はカメラを忘れてしまったので分かりづらいでしょうが、文章で簡単な報告とします。

黒田トンネルの上、京北トレイルのK16から東南に分岐する道をとります。
登り始めるとよく踏み込まれて昔はよく歩かれたことが分かるユリ道です。ただ、稜線歩きではないものの稜線に接近した道であり、そこから離れると九十九折れの道を取り入れて稜線に近づきます。倒木が多かったですね。木跨ぎ道と命名しようかなどと前を歩く参加者と冗談を言ってました。また昔斜面が滑って道が細くなっている所が幾つかありました。峠へ近づき始めると九十九折れの道になりますがこれを登り、稜線沿いに進むと峠に到着です。

途中2回の小休止を入れて1時間半を少し越えたのですが、60-70代の女性の足、しかも多くの木を跨がねばならなかったことを考えるとこんなものでしょうね。

峠はかなり切り込まれていますので、確かにこれは昔から利用された峠越えだというのが分かります。

戦時中はこの峠まで村の当番が上っ来て米軍機の来襲を見張っていたそうです。どの様にして麓と通信していたのかなという疑問を持っていたのですが、峠で休んでいる時、塔下氏がそこに碍子あるやろ、1941という数字が書いてあるので電線を引っ張っていたのと違うかなあ、と言ってました。

小休止の後、灰屋への下りです。こちらは谷沿いの基本的にはユリ道です。ただその道と下に流れる谷川との距離があり、この細い道で躓いて倒れたりすると谷へ真っ逆さま、その距離を考えるとなどと心配しつつ、しんがりを務めながら慎重に歩きました。最初は谷の左岸を谷を右下に見ながら下り、やがて谷川に下り、そこで右岸に渡ると、それまでの杉林がから自然林の中を歩きました。ここでも道が細く切れている箇所がありますが、自然林は逆光を浴びたまだ緑の葉がきれいでね。この下りは倒木はほとんどなかったと記憶しています。

途中から今までの谷筋を離れ、尾根を右に巻くような道になり、ここでも昔から歩かれた道だわいという雰囲気です。ただ少し進んで隣の谷川沿いへと出ますと先日の大雨の影響なのか谷へのルートがなくなっていました。仕方なく道無き斜面を下りますが、慣れない参加者はさすがにこの斜面下りは手こずっておられました。このブログでコメントを残して頂いている徘徊堂さんなどは、木から木へとそのショックを使いながら跳び下られるのでしょうが...。

谷に下りると道が出てきて、少し下るとようやく灰屋川に到着です。この川は深い渓谷美を見せてくれます。少し川沿いに進んで丸太橋を渡ると府道に出て、そこでお昼の弁当とあいなりました。

塔下氏が持って来ていた弁当がよかったっすね。当然彼の弁当も用意していたのですが、それでは足らじと大食漢の彼は日頃山仕事にもっていく弁当も準備していたのですが、これが凄い輪っぱ弁当箱です。何が凄いかといえば、親の代から使い込まれているのですが今だに現役です。少し色づんだのに歴史を感じさせてくれます。贅沢な弁当箱です。何千円するやろうかとも思いますが、今はこれを手に入れるのも難しいのでは。この弁当箱にご飯を目一杯、山盛りに詰めて上蓋でぎゅっとおせば何合はいるやろか、押し寿司が出来るね、なんて話しました。

一日の登山で消費するカロリーはフルマラソンを走るに匹敵するかそれ以上と聞きます。登山で歩くより山の斜面を歩きながらの山仕事をする人は更に多くのカロリーが必要でしょう。これだけの飯を食いながらも昔の人にメタボな男性がいなかったことは十分理解出来ますが、彼の弁当箱を見せて貰って山仕事の大変さに思いを馳せることが出来ました。

その後、車で芹生の里へ移動し、そこから芹生峠を越え、貴船へとだらだら道を下ったのですが、このルートが黒田の人達の京道だったのではないでしょうか。

途中、谷にアケビを見つけ、塔下氏が谷に下りて枝などを利用して採ってくれました。マタタビも。貴船神社の奥宮から京の奥座敷、川床で有名な料亭街を通り抜け、貴船口駅がゴールとなりました。

貴船神社付近は紅葉にはまだ早く観光客の人出はまだまだまばらでしたが...

今回のトロー峠越えについてはネット上に殆ど情報はありませんので、画像データがなかったのですが敢えてアップしました。距離やルート取りなど、歩きの時代の道という視点で見ながら、また昔の人の知恵を体感しながら歩く良き教材になることでしょう。ぜひトライして頂きたい道の一つです。

ただしコンパスと地図は必ずご携帯ください。但し地図上の道は100%信用せず、出だけ新しい地図で、稜線や谷を見ながらの読図を心がけてください。当日も雲取山から貴船へと歩く予定の青年が間違って灰屋まで歩いて来てバスの時刻表をみて途方に暮れていました。以前、天童山から飯盛山方面を歩いていたときにも我々を追い越していった青年と再び遭ったことがあります。若さって羨ましいと思います。しかし反面危険な面も感じました。当日おーらい黒田屋で準備体操の後、駐在さんと話していたのですが、廃村八丁へ捜索に出動してたと言っておられました。昔、我が父親が道に迷った若き学生がふらふらになって歩いて来たとか話をしていた事も思い出します。北山恐るべし、しかしここで鍛えたらヒマラヤ歩きにも通ずるともよみました。

かく言う私もどうも道を間違ったと思っても、え~いもう少し上がれば稜線だわいと突っ切る性格なので、これは自戒の念を込めて書いております。



最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
知りませんでした。 (徘徊堂)
2013-10-16 14:57:43
 はい、木から木に跳び移っております(笑)。それでも、昔は迷っても少しもコワイとは思わなかったのが、最近は帰りのことを気にしたり、迷うことをビビルようになってきました。登りの時は、迷ってもいずれ稜線に辿り着くわいと強気ですが、下りで訳の解らぬ谷に入り込んだら苦労です。
 紹介して頂いたこの道は、全く知りませんでした。トロー峠の名前だけは聞いたことがありますが、ここにあったのかぁという気持ちです。
 灰屋川と言えば医王沢の美しい景色を思い出します。伐採と林道によってグチャグチャになりましたが、そろそろきれいになり始めているかも知れませんね。
 芹生峠からR761でしたか、そこに上がってしまい。二ノ瀬ユリを歩くと貴船の雑踏を避けることが出来ます。以前、ここでも迷いましたが(笑)。
 雲取から灰屋への道、以前府立大の山小屋に泊まっていた学生に聞くと随分荒れているとのこと。そのうち、西の鯖街道の候補にいかがでしょうか。整備して頂いて、小生が楽をすると言うことで(爆)。
返信する
山歩きの楽しみ (mfujino)
2013-10-16 20:00:49
徘徊堂さん、今カシミールでこの峠への道を見ているんですが、これだと黒田トンネルから少し行くと後は稜線歩きになっていますね。我々が歩いた良く踏み込まれた道は両線を左に見てのユリ道でした。これについて思い出すのは塔下氏と以前こんなやりとりをしましたことを思い出します。街道歩きの地図を作ろうと思うけど、やっぱしGPSで軌跡を記録してそれを地図に取り込まんといかんなあ、というと、でも取り込む地図が正確でないと、と答えられたことです。まあ地図上の山道は100%信用したらあかんということですね。道をみるのでなく地形を見ながら歩けということでしょう。

仰る様に稜線に上がればいいのですが、下りる谷を間違うととんでもないところに出てしまいますね。私は以前、余野坂を下見に行ったときに間違ってしまいました。この時はたどり着いたのが自分がデポした車の近くという幸運に恵まれましたけど(^_・)

山に良く入る猟師さんでも林に囲まれたところでは周囲の地形が分からない時は木に登って展望するとも言ってました。

自分の松茸山に入っていて帰ろうとして同じ所をぐるぐる回っていたという話も聞きますし、まあ山の中は考えたら恐いものです。まあ今回のルートは一箇所を覗いて道が残っていますしぜひ一度歩いて見て下さい。綺麗に整備され過ぎて公園を歩いている様では山歩きの楽しみがありませんもんね。そういう意味では北アルプスの有名な登山道なんかは険しい岩場などを除けば公園の道の類でしょう。

芹生峠からは魚谷やら滝谷など貴船方面への稜線歩きが楽しめそうですね。塔下氏が灰屋から芹生へ移動中に右を指してここから狼峠へ行けると言ってましたが、私はとある事情でしっかり見ることが出来ませんでした。
返信する
北山好きです。(空想の世界ですが) (ささ舟)
2013-10-17 19:58:26
mfujinoさん、こんばんは。

トロー峠を歩かれたのですか。この峠の名前は聞いたことがありましたので、ノートをめくったのですが見当たりません。灰屋は雲取山によく行ってたから結構通っていたようです。、立命大ワンゲル小屋や府大のりょうぶ小屋の話は時々聞いたことがありますが、今はどうなっているのか判りません。
わたしは僅かな坂道(山道でなくても)でも息が切れるようになりすっかりご無沙汰していますけれど、こうして山紀行のブログを見せていただく度に、少しはどきどきしてその気分に酔っています。やっぱり山に行きたいなぁ~♪

返信する
山がお好きなんですね (mfujino)
2013-10-17 23:51:55
ささ舟さん、ご主人は当然この峠界隈は歩かれていると思いますのでその時この峠の名前を聞かれたのでしょうね。ただ北山に詳しい人しか歩かれないとてもマイナーな峠ではあります。上にも書きましたけどネットで検索しても殆どヒットしません。

ささ舟さんもあちこち歩かれたのですね。色んな名前がポンポンと出てきますね^o^。雲取山は私は登ったことが無いんですが、いろんな大学の山小屋がある様ですね。彼らはここを拠点にあちこちの山を渡り歩くのでしょうか。

田舎へ帰ったらもっと山歩きが出来るわいと思っていたのですが、あにはからんや、かえって歩く回数が少なくなってしまいました。先日も歩いていてどうも足が鈍っているなあというのを実感してしまいました。それと人様を案内してると、ただただ事故がないようにばかりを考えてますので気分的に疲れるというのが正直なところです(*_*)
返信する

コメントを投稿