アウル京北(=京都府立ゼミナールハウス)友の会だよりの28年春号に「ちょっと休憩」という小さなコラムが新しく登場しました。私たちの日常生活で案外知っているようで、知らないことが多いようです。チョット頭の休憩所へどうぞ、というコラムだそうです(^^)
友の会会長の東慧さんがその第一回目に「峠」について書いておられます。ちょっと引用させていただきます;
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山を登りつめ、下りにかかる境。つまり鞍部にあたる場所を「峠」といって尾根のくぼんだところを指します。峠とはうまい字を作ったものですね。これは日本で作った文字で、国字といいます。古来こうした場所は「◯◯坂」「○◯越」という漢字で表されてきました。
ところが、近年「◯◯坂峠」といった呼び方をする例もあります。しかしこの呼び方は正しくありません。不思議な事に、美山・京北には「坂」はあっても「越」はないようです。また美山には◯◯坂が多く京北では峠が多いのはなぜ?おヒマなら、一度地図を見て!
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そこでヒマな私は地図や本をペラペラとめくってみました。
北山や若狭への地図を見ていると確かに○◯坂がかなりあります。
鯖街道で有名な根来坂(ねごりざか)が出てきますし、少し南にはオグロ坂、
高浜を出発して最初の山越えは、福谷坂、続いて石山坂*
若丹国境尾根には西から、熊壁坂・棚野坂・知井坂・五波坂*・権蔵坂・杉尾坂
分水嶺には鏡坂*・肘谷坂*・海老坂・神楽坂・原坂*・九鬼ヶ坂
京北に入ると確かに少ない。思い浮かぶは縄野坂・衣掛坂・伏見坂くらいでしょうか。
たしかに○○越えは出てこないですね。思い浮かぶは、知井の西畑から棚野坂東の六体地蔵の辺りに合流して口坂本へのルートを「西畑越」と読んだ記憶があります。この名が残るのはそこに故小畑登さんが案内説明板を残されたお蔭でしょう。
京と近江を結ぶルートには山中越・如意越・小関越・逢坂越などが出てきますね。
◯◯坂という呼称、これは全国的なことなのか、北山方面に顕著な現象なのか検証してみようと愛用の地図閲覧ソフト、カシミールで坂を検索すると700件以上ヒットします。700件を一つ一つチェックするのにはちょっとビビります。現在頓挫中であります(*_*)
なお上に描いた坂の右に*印を付けて太字にしなかった坂は要検証であります。私は鏡坂や原峠には異論を挟んだのですが、東さんは、坂、だと言わはります。根拠は?と聞かれ、国土地理院、と答えると、地理院は知らへん、との返事(^_') 実はこれらのデータは東さんが夕食中なのにバンバンメールを送ってやりとりをしたのですが、食事中につき返答無用の返事をもらってしまいました(^^)
峠越えは確かにロマンがあり、あそこを超えるとどんな世界がと好奇心をくすぐります。昔の人は出来るだけ標高の低い鞍部を見つけて隣村と行き来されたのでしょう。また尾根を巧みに利用したのも特徴で、世が近世に進むと徐々に谷筋も利用されるようになってきたようですが、水に傷められたようです。藤村の夜明け前の中山道の書き出しは上手く描いてますね。峠を挟んだ隣村から嫁入りにという話はよく聞きます。美山の知井と名田庄の槙谷あたりは盆踊りの交流があったようですし、同じ地名が多いとも聞きます。昔の人にとっては峠越えなんて、ちょっと坂を越せばすぐ、という感覚だったのかもしれません。たしかに今の車道が傾斜をさけてぐる~と遠回りしているところもちょっと坂を、峠を超えたら距離的には短いものです。
も一つ余談です。Wikipediaによりますと;
>峠の片側にのみ大きな高低差があってもう一方の側が平坦に近いものを片峠という。 日本での片峠の代表的な事例としては碓氷峠がある。
とのことですが、私が思い出すのは木曽駒に上った時、千畳敷からの九十九折にはなっているが急な上りで行き着いたところが、浄土乗越でそこから木曽駒山頂までは広々とした平坦な歩きだったことでした。登山者には峠は「乗越 のっこい」とも言われますね。
○○峠・○○坂・・○○越え・○○乗越、で暇つぶしをさせていただきました。
友の会会長の東慧さんがその第一回目に「峠」について書いておられます。ちょっと引用させていただきます;
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山を登りつめ、下りにかかる境。つまり鞍部にあたる場所を「峠」といって尾根のくぼんだところを指します。峠とはうまい字を作ったものですね。これは日本で作った文字で、国字といいます。古来こうした場所は「◯◯坂」「○◯越」という漢字で表されてきました。
ところが、近年「◯◯坂峠」といった呼び方をする例もあります。しかしこの呼び方は正しくありません。不思議な事に、美山・京北には「坂」はあっても「越」はないようです。また美山には◯◯坂が多く京北では峠が多いのはなぜ?おヒマなら、一度地図を見て!
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そこでヒマな私は地図や本をペラペラとめくってみました。
北山や若狭への地図を見ていると確かに○◯坂がかなりあります。
鯖街道で有名な根来坂(ねごりざか)が出てきますし、少し南にはオグロ坂、
高浜を出発して最初の山越えは、福谷坂、続いて石山坂*
若丹国境尾根には西から、熊壁坂・棚野坂・知井坂・五波坂*・権蔵坂・杉尾坂
分水嶺には鏡坂*・肘谷坂*・海老坂・神楽坂・原坂*・九鬼ヶ坂
京北に入ると確かに少ない。思い浮かぶは縄野坂・衣掛坂・伏見坂くらいでしょうか。
たしかに○○越えは出てこないですね。思い浮かぶは、知井の西畑から棚野坂東の六体地蔵の辺りに合流して口坂本へのルートを「西畑越」と読んだ記憶があります。この名が残るのはそこに故小畑登さんが案内説明板を残されたお蔭でしょう。
京と近江を結ぶルートには山中越・如意越・小関越・逢坂越などが出てきますね。
◯◯坂という呼称、これは全国的なことなのか、北山方面に顕著な現象なのか検証してみようと愛用の地図閲覧ソフト、カシミールで坂を検索すると700件以上ヒットします。700件を一つ一つチェックするのにはちょっとビビります。現在頓挫中であります(*_*)
なお上に描いた坂の右に*印を付けて太字にしなかった坂は要検証であります。私は鏡坂や原峠には異論を挟んだのですが、東さんは、坂、だと言わはります。根拠は?と聞かれ、国土地理院、と答えると、地理院は知らへん、との返事(^_') 実はこれらのデータは東さんが夕食中なのにバンバンメールを送ってやりとりをしたのですが、食事中につき返答無用の返事をもらってしまいました(^^)
峠越えは確かにロマンがあり、あそこを超えるとどんな世界がと好奇心をくすぐります。昔の人は出来るだけ標高の低い鞍部を見つけて隣村と行き来されたのでしょう。また尾根を巧みに利用したのも特徴で、世が近世に進むと徐々に谷筋も利用されるようになってきたようですが、水に傷められたようです。藤村の夜明け前の中山道の書き出しは上手く描いてますね。峠を挟んだ隣村から嫁入りにという話はよく聞きます。美山の知井と名田庄の槙谷あたりは盆踊りの交流があったようですし、同じ地名が多いとも聞きます。昔の人にとっては峠越えなんて、ちょっと坂を越せばすぐ、という感覚だったのかもしれません。たしかに今の車道が傾斜をさけてぐる~と遠回りしているところもちょっと坂を、峠を超えたら距離的には短いものです。
も一つ余談です。Wikipediaによりますと;
>峠の片側にのみ大きな高低差があってもう一方の側が平坦に近いものを片峠という。 日本での片峠の代表的な事例としては碓氷峠がある。
とのことですが、私が思い出すのは木曽駒に上った時、千畳敷からの九十九折にはなっているが急な上りで行き着いたところが、浄土乗越でそこから木曽駒山頂までは広々とした平坦な歩きだったことでした。登山者には峠は「乗越 のっこい」とも言われますね。
○○峠・○○坂・・○○越え・○○乗越、で暇つぶしをさせていただきました。
一昨年でしたか碓氷峠を(廃線跡を今は歩けますので)歩いてみました。が、確かに電車を通すために谷から谷に恐ろしいような橋が架かってました。
小畑さんお亡くなりになられたのですか。その位年数が経過したということなのですね。
乗越は「のっこし」でしょうね。木曽駒行きを計画しているとき、グループのお局さんが千畳敷を登ったら「のっこい」だと言われていたのでついついそう書いてしまいましたが...
碓氷峠ですが、地図で旧中仙道・今の国道などを見ますと、歩きの道、車の道、鉄道の道、其々のどうルートを選んでいるかがよく分かって面白いです。中山道は最初は傾斜がありますが、その後はなだらかな尾根を歩く極めて合理的な道作りですすね。それに反して車や鉄道の道は傾斜に弱い、従って谷のルートを選んでいます。まあ今はトンネルを掘ってしまいますが...
ある旅行を企画している会社から、北山の峠を楽しむ企画の相談を持ちかけられましたが、峠を歩いて、ではなくてバスで越えられるところ、という話でした。あれれ、そんなんあるかなと即答できませんでした。大きな峠はほとんどトンネルが通っています。花脊峠とか何点かを挙げておきましたけど。峠越えは歩かないとその風情は楽しめないのでしょう。あ、野麦峠は残っているか。安房峠はトンネルが出来たし...でも車で通れる期間もあるようなのでもう一度越えてみたい所です。
あ、小畑登さんは、あの小畑實さんの弟さんです。ご存知の小畑先生(實さん)はお元気ですよ~。