北山・京の鄙の里・田舎暮らし

北山、京の北に拡がる山々、その山里での生活を楽しんでいます。

京街道を行く・寸描

2013-06-20 19:34:51 | 山・峠・街道
徘徊堂さんとその師匠のコンビにお膳立てと案内をいただいての「京街道」歩きの第一回、大津~追分の東海道、追分から小野間の京街道歩きに参加させていただきました。梅雨とはいいながら晴天の夏日の旧街道歩きでございました。11km位の歩きだったようです。

私が興味を抱いた事を2、3書いてみます。詳しい報告は徘徊堂さんのブログ;花洛転合咄 http://blog.goo.ne.jp/gunkanatago/ に書かれるはずですのでそちらをお楽しみに。

逢坂山隧道の大津側入口。向かって右が上り線、左が下り線。


逢坂山隧道下り線の東口。煉瓦造りですよね。


実は私は6月の初めに篠山と柏原を結ぶ鐘ケ坂トンネルの「明治トンネル」と「昭和トンネル」の両方を歩いて通れるという幸せな機会がありました。今は「平成トンネル」が利用されていてこの二つは閉鎖されているのですが、瓶割峠を歩く企画があり特別に通る事が出来ました。この明治年16完成の鐘が坂トンネルが日本一古い煉瓦造りのトンネルだそうです。

ただ福知山線よりも東海道線のトンネルの方が早く開通したのではと普通は想像しますよね。この逢坂山隧道の説明板を読むと明治13年竣工と書いてありました。でも総煉瓦造りではないのでしょうか?

当日あちこちを案内して頂いた師匠が東海道この辺りを歩くと言えば何でしょう、「車石でしょう」。

車石跡


車石の庭石


この道端にある家の庭にある車石を使った庭石ですが、師匠がある家の前で歩みをふと止め、庭を覗き、これを見てニコッと振り返られたのが印象に残っています。「お、ちゃんと残っとるわい」と満足げな顔は忘れられません。師匠にかかれば、車石はあそことあそこに、と現存する車石の一を朗々とリストアップされることでしょう。そしてこういった発見というか検証というか、色々な過去の遺蹟などを求めてあちこち歩き廻られているT師匠の、その為か歩きの速いこと速いこと。元気なものでございます。こうして歩き廻られるその思想と成果は多くの人に共有して貰わないといけん、と、我が職場の友の会だよりにもその一部を連載して頂きます。乞うご期待。

黄色の矢印で車による凹みを示していますが、真ん中の石は面白いですね。両方が凹んでいます。ある程度凹んでくると石をひっくり返して利用したのでしょうか。

蝉丸神社の社殿の上の獅子の様子、鎌倉から参加されたMさんが、犬がおしっこしている様だと指摘され、まさにその姿を思い浮かべましたのでカメラに納めました。左の方のはジャンプから着地する様な姿勢に見えますね。こんな動きのあるのをみたのは初めてです。私にとっては珍しかったのですが、あちこちで見られるものなのでしょうか。この写真では分かりづらいかもしれません。興味のある方は、目を懲らしてみるか、画像をダウンロードして拡大して見てください(^_*)
この時も師匠はこの社殿右手前にある車石に誰か気付くかなと何か見えませんかと尋ねられたのですが、Mさんがその時指摘されたもので、私は思わずカメラを向けた次第です。

犬のおしっこ?


蝉丸神社ですが、これ以外にも関蝉丸神社の上社や下社(?)もあり、蝉丸さんも神様としてお忙しいことでございます。

大津はそろばん発祥の地なのですね。「大津算盤の始祖・片岡庄兵衛」の碑がありました。


旧山科駅跡の碑と説明板が名神高速道の脇、小野小学校の北側にあります。


東海道線の初期ルートは次の様なものだったんですね。


今や鉄道や高速道は出来るだけ真っ直ぐにとトンネルを穿ち、橋を架けて作られますが、当時の技術は地形を如何に利用するかがルートを決める大きな要素だったのでしょう。

この「ルート」という事は峠道を歩いていていろいろと感じることがあります。それを実感する歩きを瓶割峠や原峠を歩いて実感したのですが、これについては別に書こうと思っています。

東海道と京街道との追分道標と大宅の一里塚の写真がないのは何故だろうと自分で不思議がっていますが、変な話でございます。追分を少し南下すると牛尾観音への道標も散見しました。昔は巡礼も道を考える大きな要素だということでしょう。

この後、随心院まで歩き、小野小町関連の遺蹟を見て回りました。小町さんが使った井戸跡の水がきれいだったので片手で水をすくい顔につけてみましたが、塩辛かったことでございました。

おっと一つ忘れてました。大津市内の東海道でみた、「此付近露国皇太子遭難之地」の碑。

かの大津事件、司法権の独立で有名な事件ですが、日本はこうして近代化への道をきちんと歩んできたのだと感謝の気持ちを抱きます。一党独裁や法治国家とは言えない国に生まれなくて良かったと改めて感じさせてくれる石碑でございました。



最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
早いですね (鎌倉街道)
2013-06-20 20:30:16
徘徊の節はお世話になりました。「アレー、もう出ている」。早いですね。 
私は、3日間の徘徊が体力を消耗させたらしく、ぐうたらしてますが、本日は来客があり、昼ころからやっと「シャキッ」としてきましたが、もう8時を回ってきたのでグニャグニャです。

東海道と京街道との分岐までは、記憶していたところもあり、遠くへ飛んで行ってしまったところもありでしたが、懐かしいところを歩けました。

しかし師匠は、細かいところをよく調べておられるのですね。 好きなことに関しては、とことん調べる、面白いのでしょうね。
返信する
興味のあったことだけを書きました (mfujino)
2013-06-20 20:48:45
鎌倉街道さん、あれれ三日間も歩かれたのですか。お元気なことでございます。

昔旧東海道を完歩されたとのこと。懐かしいところもあったことでしょう。

本文にも書きましたが、車石に出逢った時や大谷駅の斜めのベンチ、踏切を挟んだ京阪電車の上下線ホーム、などを説明される師匠の表情がなんともいえませんね。

しかしね、あの、犬のおしっこ、鎌倉街道三の指摘でカメラに納めることが出来ました。師匠が見てないことも見れまして幸せでございます。これぞ大勢で歩く醍醐味でもあります。

この場を借りますが、西の鯖街道のイラスト入りの案内、当然我が職場にも残っています。追加資料も添えて近日中に送りますので、関東の方々にも教えてあげて下さいませ。よろしくお願いいたします。

いろいろな京の楽しみ方を見つけ出して下さい。
返信する
お疲れ様です。 (徘徊堂)
2013-06-21 15:07:38
 逢坂山トンネル、車で前は何度も通っていますし、歩きで峠を越えたことも2回あるのに、全く知りませんでした。行き当たりばったり徘徊の限界を感じます。小生は、当日の思いつきでどこに行くか決めるところがあり、事前に調べるというか、そういうのが十分に出来ていません。反省です。
 所謂「鯖街道」、さらに「西の鯖街道」を含む若狭から京都への道々、一度「鯖街道」というものが有名になってしまうとなかなか概念を変えるのは難しいようですが、O先生の意識にも若干の変化があったかな等と思っています。ゼミの常連さんに引きずり込みましょう。「焼き鳥」で釣れそう(笑)。
 車石は山科地蔵辺りで見ていたときは甚だ珍しいものであると思っていましたが、今回で、ああやっぱり京都~大津間にビッシリと敷かれていたのだなあと実感しました。江戸時代に既に車幅が規格品のようになっていたことにも感心しています。車石、仁丹の住所表示、道標に続く、第4の目標もあるのですが、いざ探すとなかなか見つかりません。
返信する
いろんな楽しみ (mfujino)
2013-06-21 20:19:52
徘徊堂さん、逢坂山トンネルと旧山科駅跡に関連することは興味を抱きました。本文でちょっと触れましたが鐘ケ坂トンネルの話もここで書きたくなっています。

車で走っていると見えないものが、歩くと見えてくるのは実感出来ますね。でも同じ歩くといっても車的な歩くというのがありまして、これはウォーキングのみを目的とした歩きなのですが、ここからここまでを歩いた、何キロ歩いた、を目的にした歩きではなかなかものが見えないものです。我が熊野古道歩きや東海自然歩道歩きはその類に近かった様です。今回の歩きはこの対極にある歩きで色々な発見があり楽しませて貰えました。いろいろ準備やらサポート頂き感謝しております。

車石ですが、指摘されている様に車幅の規格があったということで私も感心しました。

石標ですが、出町柳の鯖街道口みたいな勝手な石標も年が経つと、後世の人はそれを見てあれこれ昔を語るのかもしれないなあと思うと、石標を見るときも単純に信用したらあかんのとちゃうん?きちんとその時代背景の知識を持って見ないと、ほんまにここに在ったもんやろうかという検証が必要だし、などと自分に言い聞かせています。第4の目標って何やろう?狛犬でもなさそうだし…。

O先生、焼き鳥にご満足でしたね。街道歩きに引っ張り込む一つの武器になりそうです(^_*)街道を歩いて貰ってそれを版画に仕上げて貰うというのも殺し文句になるかもしれませんし。
返信する
車石 (ささ舟)
2013-06-23 16:40:29
mfujinoさん、京街道徘徊楽しかったようですね。車石はこのようになっているのですね。線路と同じような。これは旧東海道とか主な街道に設けられたのでしょうか。
mfujino さんは最近の徘徊精勤賞のようですが、私はさっぱりダメでなかなかご一緒出来ないですね。また引力で引っ張ってくださいませ(笑) 
返信する
キョロキョロ歩きも楽しいですね (mfujino)
2013-06-23 23:59:13
ささ舟さん、はい、十分楽しませて頂きました。車石については2年前山科本願寺をテーマとした徘徊の時に旧東海道でT師匠に教えて貰うまで知りませんでした。徘徊堂さんも書かれていますが、大津~京都間にびっしりと敷かれていた様ですね。同じ旧東海道でも江戸近辺はどうだったのでしょうね。

舗装という意味では熊野古道などの峠越えに石畳の道が割とありました。トレッキングシューズではかえって歩きにくく感じたのですが、昔は草鞋だったのでやはり歩きやすかったのではと思います。

本文で触れましたけど、昔はここからここまで歩いたというだけの街道歩きをしていましたが、勿論その時随所を見てましたが、この徘徊の様にあちこち見て回る歩きも楽しいものだわい、と感じています。ささ舟さんも是非ご参加下さい。一つの目安として以前池田を徘徊出来たのですから問題はないのではと考えますけど。

今日は鉾杉塾の茅葺き東屋で竹天井作りの手伝いで過ごしました。池には蓮が生い茂ってましたし、睡蓮の花が咲いています。メダカも増えてきています。メダカが食べられない様ハイジャコを網の仕掛けで獲り隣に移すのは面白かったです。手作りの小川の縁を歩くと蛙がピョンピョンと小川に逃げて行き昔を思い出しました。まだ手入れが出来てない部分にはハルジオンが一面に咲いていまして、これを引っこ抜いてそこにミツバツツジなどを少し植えました。
返信する

コメントを投稿