史跡ハンター 臥龍

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山東省「沂南」プチ旅行~『諸葛亮故里記念館』編

2007年07月22日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
7月22日(日)
「史跡ハンター」の朝は早い。
…と言ってもホテルを出たのは、7:45ですがね。
今日の任務は、まずここ「臨沂」の「人民広場」に行って、「諸葛亮」の石像を見ること。
それから「沂南県磚埠鎮諸葛村」へ行き、「諸葛亮故里記念館」を見ること。
そして「青州」へは日暮れ前に帰ること。

まず「賓館」前から「人民広場」まで「輪タク」を拾います。
地図を持ってないんで、「賓館」から「人民広場」までの距離が分からない。
でも「輪タク」の「オヤジ」は3元と言うから、そんなに遠くは無いんだろう。

7:55「人民広場」に到着。
「済南」の「泉城広場」によく似ている。
中国では、よくある造りの広場なんだろうね。

中国の公園では、よく見かける風景です。
「社交ダンス」みたいの踊ってる人や、「太極拳」やってる人など様々です。
さぁ「石像」は何処や
広場の左右に5体ずつくらいの「石像」が見えました。
片側はちょっと人民がたくさん居たんで逆側から散策します。

見つけた「臥龍先生」の石像です。
この「人民広場」には「臨沂市」出身の著名人の石像があります。(10体くらい)
でも、俺は「諸葛亮」以外の人は全く知りませんよ。
逆側のエリアの石像も見に行ってみたけど、こっちは石像の前に人が座ってたりで写真も撮れず。
まぁ「諸葛亮」以外に興味無いからいいんだけど、もし「諸葛亮」の石像に座ってる奴がいたら、追っ払って写真を撮ってたに違いない。
「史跡ハンター」は史跡を見て、「写真」に収めることで任務が完了するんですから
「臨沂」で見るとこは、ここだけ。
「バス」が「青州」⇔「臨沂」間しか無いから、「臨沂」には、せめてこんな石像一つでも無きゃ困るけどね。
早々に「人民広場」を出て、「タクシー」を拾います。
「諸葛亮故里記念館」は「臨沂」と「沂南」の中間(住所は沂南県)にあり、「バス」で行く場合は「臨沂」⇔「沂南」に乗って途中下車して歩かなければなりません。
そして昨日「沂南」から「臨沂」に出て来たのも、このルートがどんな道を通るのか見るためでもあったんです。
でも、その通ってきた道を見て…「バス」での移動は断念しました。
だって恐らくこの辺りで途中下車だろうと思われる所は、周りは「畑」や「果樹園」ばかりで、降りた後どうやって「記念館」へ行くのか全く検討が付かなかったんです。
それで高く付くけど「タクシー」で行くしか無い…と。
「タクシー」を拾って「運チャン」に昨晩書いた中国語のメモを見せます。
大まかな内容は、ここから「諸葛亮故里記念館」へ行き、俺が見学中外で待ってて、それから「臨沂バスターミナル」まで行って、いくらくらい?というもの。
予算は「300元」くらい見ておいたが、「メーター倒すけど300元くらいだろう」と「運チャン」は言う。
まぁ予算一杯だな…でも行くしかない
8:15ごろ「タクシー」は出発 

市内を出てから、ずっとこんな道を走っています。
でも、どうやらこの「運チャン」も「諸葛亮故里記念館」を知らないっぽい。
途中で何度も路傍にいる人民に「聞き込み」してます。
結局かなり行き過ぎてて、俺が昨日行った「諸葛亮文化旅遊区」に行っちゃいそうな所まで来ちゃいやんの…。

何度も「聞き込み」を重ね、農道をひた走り、やっと近辺まで来れたよう?(もう10時過ぎ)

そして…やっと10:10ごろ「諸葛亮故里記念館」に着きました。
本来1時間くらいで着きそうなとこを、約2時間掛かりましたよ…

入館料は「10元」です。

「諸葛亮」はこの地で13歳まで暮らし、叔父「諸葛玄」を頼って、弟「諸葛均」らと共に「江東」へ向かう事になります。

「諸葛亮故里記念館」内の堂です。

堂の中の「諸葛亮像」と昨日「諸葛亮文化旅遊区」の「回音壁」で見たのと同じ?版画?ですか?

俺を待ってる間、管理人らしきジイさん達と話してる「運チャン」。

「記念館」と言ってもお堂と庭の石碑くらいしか見るものが無く、10:40に「記念館」を出ました。
やっぱり観光客は俺だけ…。
よほどの「三国志マニア」か、「諸葛亮好き」か…しか来ないんだろうな。
ここは「記念館」の外です。
この辺りは民家が数軒ありますが、すぐ路地を曲がると…

こんな農道ですからね…。

「記念館」から数百メートルの所にある「諸葛亮故居碑」です。
ここがまさに「諸葛亮」が幼少時代に住んでいたとされる場所なんです。
「運チャン」は道を間違えまくったけど、「諸葛村」は「タクシー」で来て正解だったと思う。
そして「運チャン」が分からないのも無理は無いような場所でした。
さらに、この近辺には「曹嵩(曹操の父)」の墓もあるそうですが、そんな脇役の史跡まで巡るのは止めます。(キリが無いから)
この「曹嵩」ですが、「曹操」が出世を機に父を「兗州」に呼んだんだけど、その途中の「徐州(この辺りは昔は徐州に属していた)」の太守が護衛に付けた兵が「曹嵩」を殺し、財宝を奪って逃げてしまったんです。
そのせいで「徐州」は「曹操」の100万の兵に攻め込まれてしまいます。
「諸葛亮」たちは、その前の「黄巾賊」が各地で暴れているときに「江東」に逃げていましたが。

中国での「三国史跡ハント」は「河南省・関林」以来2度目で、「臨沂市」内だけで今回3箇所回ったけど、この「諸葛亮故里」は今後を含めても「最大の難所」になったんじゃないでしょうか

帰りはすんなり、12:00ごろ「臨沂バスターミナル」に着きました。
メーターの金額は「320元」。
あんだけ道を間違えられ、そのせいで「10元」の高速代も払っています。
でもね、この「運チャン」けっこうイイ奴で俺が「320元」払おうとしたら「道を間違えたのに、こんなに貰えない」と。
車内でも俺の下手な「中国語」で何とか会話したり、俺がほとんど聞き取れないのに話してきてくれたり、見えないけど俺より2歳下で…。
だから「いいよ」とメーター通り払って降りました。

「青州」までの切符は買ったが出発は、13:10です。
約1時間待ちかぁ…

これが「青州」行きの「小型バス」です。
予定通り、13:10出発したけど、また途中乗車の客を乗せたり、食品会社に立ち寄り荷物を積み込んだり…
「青州バスターミナル」に着いたのは、18:15でした。
「バスターミナル」前で「輪タク」を拾い、18:35学校に着きました。
陽がまだあるうちに「青州」に帰ることもでき、総出費も700元以下に抑えられました。

今回ハントした「三国史跡」は、①「諸葛亮文化旅遊区」 ②臨沂人民広場「諸葛亮石像」 ③「諸葛亮故里記念館&故居碑」 でーす。
そして「お土産」は「諸葛亮」愛用の「羽扇」です。
ちなみに月曜の授業で、この「羽扇」を持って登場したところ、なかなか受けが良かったですよ。
これから生徒たちには俺のことを「臥龍先生」と呼ばせようと思います。
「桃」は「諸葛亮文化旅遊区」で「羽扇」を買ったとき、店頭にあるのは「羽」が切れてたりしてたんで、店の「オッちゃん」の在庫置き場(そこも園内の店だった)に連れてってもらった時、「こっちだよ」と畑の中に入って行くので近道か?と思ったら、「これは、うちのだ」と桃の木から採ってくれたもの。
「桃」と言えば「桃園の誓い」を思い浮かべてしまうよね。
でも…天然すぎて「虫食い」が多くてさ…「臨沂」の賓館に置いてきた。

さて今回の「プチ旅行」ですが満足出来た、と言うか「臨機応変」に対応したルート変更が見事に功を奏しました。
もし最初のルート通りだったら、初日に「諸葛亮故里記念館&故居碑」に着くのは夕方で閉館時間の心配があったし、最後に「沂南」に着くのは陽が落ちてたと思う。
翌日も「青州」に帰ったときには陽が落ちてたと思います。
少し1人旅に自信がつきました。
実は「夏休み」に企画してた旅行は「済南」の「I 先生」が予算上の都合で行けなくなり、1人旅になる確率が高くなったんでね。
(いや、多分「1人旅」になるな…)
そんな訳で「夏休み」の旅行も計画を立て直しです。
まぁ、いくつかあるプランの中から1人でも行ける所に行くだけなんだけどさ。
また、月に1回くらい「プチ旅行」も続けたいと思っています。
次回「史跡ハンター」が動くのは、いつかな?

それでは、またの「旅行レポート」をお楽しみに 



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