8月6日(土)1/2
今日は「西安市」の隣の「宝鶏市」に行きますよ~
この「宝鶏市」にも以前(2007年10月4日)来たことがあるんだけど、勉県の「諸葛亮墓」→漢中→甘粛省天水「諸葛軍塁」をハントした後、五丈原の「諸葛亮廟」に行く中継地点として来ただけだったんだよね~
今日は7:30発の「動車」で「宝鶏」に行くんで6:50ホテルを出て「西安站」に行きました。
動車の「キャビン・アテンダント?」ですね。
8:50「宝鶏站」に着きました。
ただ…今日ハントしようと計画してる史跡は3ヶ所あるんだけど、いずれも郊外なんだよね。
もう、こういう辺鄙な場所をハシゴする時はタクシーをチャーターしちゃうのが一番楽なんで、9:10ごろ站前に停まってたタクシーと相談です…
以前にもこういう事あったんだけど、まずドア越しに会話してて、その後乗ろうとすると大抵ドアで顔面を強打するんで注意しましょう…
運転手(オバちゃん)に行きたい3ヶ所の史跡を伝えて「周遊して戻って来ていくら?」って聞いたんだけど、分からないし、メーター倒さないとダメだから、その金額に従うしかないと…
とりあえず、最初の目的地に行ってもらって、後はその金額次第で次の場所もお願いするか決めようと車を出してもらいました。
でも、オバちゃんはそれらの観光地があるのは知ってても、所在地をよく知らないらしく誰かに電話して確認してました。
そして発車してからそう遠くない所で1人のオッさんを乗せました。
オバちゃんはそのオッさんの知り合いっぽくて、遠くまで行くんでついでに途中まで乗せて行くのかと思ったら“人間ナビゲーション”でした。
ヒマなオッさんなんだな…今日は土曜で休みだったのかなぁ?
そして、10:15最初の目的地「魚釣台」に着いたんだけど…けっこう時間も掛かったし、料金も既に100元超えちゃった…
ここでオバちゃんに「100元払って降りて」と言われ、払っちゃったら逃げないか心配だったんだけど、登録証の番号を控えさせてもらってタクシーを降りました。
俺だって、こんな所で100元ぽっち踏み倒しても帰りようが無いんだけど、彼らはちょっと足りないけど100元もらって帰っても別に大損とまではいかないでしょ。
この「宝鶏」に来たワケは、ここに来たかったからなんだよね~
「姜子牙魚釣台」です。(入場料50元)
入場するとこれらの像に迎えられます。
俺でも知ってた何人かをご紹介しましょう。
「諸葛亮」「孫武」「韓信」です。
中央には霊獣「四不象」に乗る「姜子牙(太公望)」像がありました。
ここは、ただの史跡じゃなく景区だね。
こっちにも「姜子牙」像がありました。
これは…普通の寺みたいでした。
ずっと下の方に釣りをする「姜子牙」像が見えるぞ。
これが「魚釣台」かな。
その近くにある「文王」像です。
この「魚釣台」の少し下に「姜子牙」像があります。
「文王(姫昌)」は7年の「羑里」幽閉後、西岐(宝鶏市岐山県)に帰国を許されますが、「紂王」に目を付けられないようにしながら仁政を行いました。
その後「朝歌」から身を隠し移り住んでいた「姜子牙」が磻渓で釣りをしていたところを「これぞわが太公(祖父)が待ち望んでいた人物である」と言って召し抱えるのです。
その「姜子牙」が針に餌も付けず(針も曲がってない)、天下を釣る…といつも釣り(水面の上に垂らしているだけ)をしていた所なのです。
俺も念願の地にやっと来ることが出来ました。
「魚釣台」と「文王」像です。
後方には滝があるんだね。
これは「文王廟」です。
中は写真が撮れず…
下には「太公廟」がありますが…ここにも道士がいて写真が撮れなかったよ。
オバちゃんと30分で帰って来る約束したんで、急いで入口に戻ることにしました。
これは廃人形?
10:50「魚釣台」を出て…行きに通り過ぎた門で一時停車してもらいました。
これは「周文王訪賢」像です。
「横山光輝」先生の「殷周伝説-太公望伝奇-」を引用し、その後をお話しましょう。
磻渓に賢人を求めて来た「文王」に請われて「姜子牙」は「文王」と共に「西岐城」へと向かいます。
初め「姜子牙」は「文王」に馬車を曳かせます…その馬車を曳いて歩いた歩数が729歩でした。
これが後に興す「周」が729年続くであろう…という「姜子牙」の占いだったのです。
そして、「君と臣が同じ馬車には乗れませぬ」と「姜子牙」は馬車には乗らないんだけど…この像は2人仲良く乗ってるね。
このゲートがあった場所から「魚釣台」入口までもけっこう距離あったよ。
次は「五丈原」の「諸葛亮廟」に行きます。
そこは2007年10月4日にも行ってるんだけどね…せっかく付近まで行くので旅程に入れたんです。
11:35「諸葛亮廟」に着きました。
今回は降りるとき追加料金請求されなかったな…お互い信用が出来たからかな?
「五丈原」の古戦場が見渡せる展望台…ってことで上がってみました。
景色見てすぐ下りたんだけど、下りたらすぐオバちゃんが駆け寄って来て2元取られました…って有料だったんだね。
そういや前回来た時は天気が悪くて、下の方の景色も見えなかったんだよね…
ここもリミットは30分くらい…まず、前回入らなかった「三国城」から入りました。(入場料10元・門票無し)
このような人形で三国志のエピソードを紹介しています。
中央に「董卓」、右に「呂布」がいますね。
「貂蝉」と「王允」です。
これは2度目の「草廬三顧」の時の「関羽」「劉備」「張飛」です。
これは「当陽橋」の「張飛」です。
これは、赤壁の戦い後「華容道」での「関羽」です。
これは「空城の計」です。
これは「司馬懿」です。
その後はフツーのお化け屋敷になってました。
さて、2度目の「諸葛亮廟」に入りました。(入場料20元)
これは「馬岱」と「魏延」です。
今回はサッと見ただけだし、詳しく説明しません。
左側には(多分)「姜維」像がありました。
中央には…
金色の「諸葛亮」像があります。
「王平」と「関興」、「張苞」と「廖化」です。
右側には「楊儀」像がありました。
これは「諸葛亮衣冠塚」です。
これは「落星石」です。
これは「月英殿」で…
「諸葛亮」の妻「月英」の像があります。
これは「財神殿」で…
ミニ「関羽」像がありました。
ここは田舎の割にはお土産はけっこう売ってるんです。
今回も少し負けてもらって「関羽」と「諸葛亮」の人形を買い、恒例?のお土産屋のオネーちゃんの写真です。
姉妹かなぁ…?主導権は左のオネーちゃんが握ってたんで、負けてくれたお礼に日本から持って来ていた「諸葛亮ストラップ」(横浜中華街で買ったのがダブってたんで)をプレゼントしました。
また最後にここからのアングルの写真を撮って、12:15「諸葛亮廟」を出ました。
次は「岐山県」の「周公廟」に行きま~す。
その模様は続編にて
今日は「西安市」の隣の「宝鶏市」に行きますよ~
この「宝鶏市」にも以前(2007年10月4日)来たことがあるんだけど、勉県の「諸葛亮墓」→漢中→甘粛省天水「諸葛軍塁」をハントした後、五丈原の「諸葛亮廟」に行く中継地点として来ただけだったんだよね~
今日は7:30発の「動車」で「宝鶏」に行くんで6:50ホテルを出て「西安站」に行きました。
動車の「キャビン・アテンダント?」ですね。
8:50「宝鶏站」に着きました。
ただ…今日ハントしようと計画してる史跡は3ヶ所あるんだけど、いずれも郊外なんだよね。
もう、こういう辺鄙な場所をハシゴする時はタクシーをチャーターしちゃうのが一番楽なんで、9:10ごろ站前に停まってたタクシーと相談です…
以前にもこういう事あったんだけど、まずドア越しに会話してて、その後乗ろうとすると大抵ドアで顔面を強打するんで注意しましょう…
運転手(オバちゃん)に行きたい3ヶ所の史跡を伝えて「周遊して戻って来ていくら?」って聞いたんだけど、分からないし、メーター倒さないとダメだから、その金額に従うしかないと…
とりあえず、最初の目的地に行ってもらって、後はその金額次第で次の場所もお願いするか決めようと車を出してもらいました。
でも、オバちゃんはそれらの観光地があるのは知ってても、所在地をよく知らないらしく誰かに電話して確認してました。
そして発車してからそう遠くない所で1人のオッさんを乗せました。
オバちゃんはそのオッさんの知り合いっぽくて、遠くまで行くんでついでに途中まで乗せて行くのかと思ったら“人間ナビゲーション”でした。
ヒマなオッさんなんだな…今日は土曜で休みだったのかなぁ?
そして、10:15最初の目的地「魚釣台」に着いたんだけど…けっこう時間も掛かったし、料金も既に100元超えちゃった…
ここでオバちゃんに「100元払って降りて」と言われ、払っちゃったら逃げないか心配だったんだけど、登録証の番号を控えさせてもらってタクシーを降りました。
俺だって、こんな所で100元ぽっち踏み倒しても帰りようが無いんだけど、彼らはちょっと足りないけど100元もらって帰っても別に大損とまではいかないでしょ。
この「宝鶏」に来たワケは、ここに来たかったからなんだよね~
「姜子牙魚釣台」です。(入場料50元)
入場するとこれらの像に迎えられます。
俺でも知ってた何人かをご紹介しましょう。
「諸葛亮」「孫武」「韓信」です。
中央には霊獣「四不象」に乗る「姜子牙(太公望)」像がありました。
ここは、ただの史跡じゃなく景区だね。
こっちにも「姜子牙」像がありました。
これは…普通の寺みたいでした。
ずっと下の方に釣りをする「姜子牙」像が見えるぞ。
これが「魚釣台」かな。
その近くにある「文王」像です。
この「魚釣台」の少し下に「姜子牙」像があります。
「文王(姫昌)」は7年の「羑里」幽閉後、西岐(宝鶏市岐山県)に帰国を許されますが、「紂王」に目を付けられないようにしながら仁政を行いました。
その後「朝歌」から身を隠し移り住んでいた「姜子牙」が磻渓で釣りをしていたところを「これぞわが太公(祖父)が待ち望んでいた人物である」と言って召し抱えるのです。
その「姜子牙」が針に餌も付けず(針も曲がってない)、天下を釣る…といつも釣り(水面の上に垂らしているだけ)をしていた所なのです。
俺も念願の地にやっと来ることが出来ました。
「魚釣台」と「文王」像です。
後方には滝があるんだね。
これは「文王廟」です。
中は写真が撮れず…
下には「太公廟」がありますが…ここにも道士がいて写真が撮れなかったよ。
オバちゃんと30分で帰って来る約束したんで、急いで入口に戻ることにしました。
これは廃人形?
10:50「魚釣台」を出て…行きに通り過ぎた門で一時停車してもらいました。
これは「周文王訪賢」像です。
「横山光輝」先生の「殷周伝説-太公望伝奇-」を引用し、その後をお話しましょう。
磻渓に賢人を求めて来た「文王」に請われて「姜子牙」は「文王」と共に「西岐城」へと向かいます。
初め「姜子牙」は「文王」に馬車を曳かせます…その馬車を曳いて歩いた歩数が729歩でした。
これが後に興す「周」が729年続くであろう…という「姜子牙」の占いだったのです。
そして、「君と臣が同じ馬車には乗れませぬ」と「姜子牙」は馬車には乗らないんだけど…この像は2人仲良く乗ってるね。
このゲートがあった場所から「魚釣台」入口までもけっこう距離あったよ。
次は「五丈原」の「諸葛亮廟」に行きます。
そこは2007年10月4日にも行ってるんだけどね…せっかく付近まで行くので旅程に入れたんです。
11:35「諸葛亮廟」に着きました。
今回は降りるとき追加料金請求されなかったな…お互い信用が出来たからかな?
「五丈原」の古戦場が見渡せる展望台…ってことで上がってみました。
景色見てすぐ下りたんだけど、下りたらすぐオバちゃんが駆け寄って来て2元取られました…って有料だったんだね。
そういや前回来た時は天気が悪くて、下の方の景色も見えなかったんだよね…
ここもリミットは30分くらい…まず、前回入らなかった「三国城」から入りました。(入場料10元・門票無し)
このような人形で三国志のエピソードを紹介しています。
中央に「董卓」、右に「呂布」がいますね。
「貂蝉」と「王允」です。
これは2度目の「草廬三顧」の時の「関羽」「劉備」「張飛」です。
これは「当陽橋」の「張飛」です。
これは、赤壁の戦い後「華容道」での「関羽」です。
これは「空城の計」です。
これは「司馬懿」です。
その後はフツーのお化け屋敷になってました。
さて、2度目の「諸葛亮廟」に入りました。(入場料20元)
これは「馬岱」と「魏延」です。
今回はサッと見ただけだし、詳しく説明しません。
左側には(多分)「姜維」像がありました。
中央には…
金色の「諸葛亮」像があります。
「王平」と「関興」、「張苞」と「廖化」です。
右側には「楊儀」像がありました。
これは「諸葛亮衣冠塚」です。
これは「落星石」です。
これは「月英殿」で…
「諸葛亮」の妻「月英」の像があります。
これは「財神殿」で…
ミニ「関羽」像がありました。
ここは田舎の割にはお土産はけっこう売ってるんです。
今回も少し負けてもらって「関羽」と「諸葛亮」の人形を買い、恒例?のお土産屋のオネーちゃんの写真です。
姉妹かなぁ…?主導権は左のオネーちゃんが握ってたんで、負けてくれたお礼に日本から持って来ていた「諸葛亮ストラップ」(横浜中華街で買ったのがダブってたんで)をプレゼントしました。
また最後にここからのアングルの写真を撮って、12:15「諸葛亮廟」を出ました。
次は「岐山県」の「周公廟」に行きま~す。
その模様は続編にて