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中国歴史紀行~陝西省西安市「曲江秦二世陵遺址公園」編

2011年08月04日 | 中国史跡めぐり(三国志・封神榜・史記)
8月4日(木)
おいおい…今日は朝から雨かよぉ…それとこのホテル、200元も宿泊料取る割には朝食無しかよぉ。

近くに「油条(揚げパン)」を売ってる店を見つけ、それを買って朝食にしました。
ここ「西安」は今日(4日)から7日の昼まで滞在出来るんで、昨晩スケジュールを立て直し…
4日(木)西安市内
5日(金)西安郊外
6日(土)宝鶏市周辺
7日(日)午前中、西安市内 に決定しました。
まず、今日は9:00部屋を出て2軒先くらいにある薬屋で風邪薬と絆創膏を買いました。

日本では普段(夜は)エアコン無しで生活してるんだけど…こっちでは暑いんでそれが出来ず、エアコン付けて寝てるから風邪が治らないや。
あとは靴擦れによるマメ部分を保護するために絆創膏が必要になりました。

薬を買って、9:20「西安站」に着きました。
今日は雨なんで站前で火車待ちしてる人民も大変だ…
旅程が決まったんで6日の「西安⇔宝鶏」の切符(往復)を「西安站」で買っておくことにしました。
相変わらず行列が出来てて…9:40切符が買えました。
そして今日最初の目的地に行くために調べておいたバス路線が站付近のどこから出てるのかサッパリ分からず…
特に站前は路線も多いから停留所が分散してて分かりづらいので、1つ先のバス停まで歩いて行きました。
そして10:20バス停を見つけ、10:25目的地まで行く路バスに乗り込みました。
やっぱこんな雨の日はショルダーバッグだけだと楽だなぁ…昨日とりあえず2日分の宿泊でチェックインしたんでさ。

11:20終点「二炮工程学院」で下車したんだけど、ここはもう市内から外れています。

昨晩ホテル近くの売店で買った西安市内地図で発見した「坑儒遺址」が近くにあるらしいんだけど…

地元人民に聞き込みするも「知らない」ってんじゃ、どうしようも無いよ…
「焚書・坑儒」は、中国を秦王朝(始皇帝)が統治していた時代に発生した思想弾圧事件です。
書を燃やし、儒者を坑する(儒者を生き埋めにする)という意味で、その碑があるらしいのに…まぁこの辺り一帯で大昔そういう事件があったということで納得するしか無いか。
12:00市内に戻る路バスに乗ったんだけど、間違えて違うバスに乗っちゃってたみたい。
その後バスを乗り継いで13:20「大雁塔」で下車しました。

ここは次の目的地に行くバスに乗り換える場所だったんだけど、ちょっと「大雁塔」の方まで行ってみました。

「大雁塔」は2007年5月4日に来てるんで入らなかったけど、付近には民芸品売場がいっぱいあるんでね。
「大雁塔」に向かう途中の地下街でちょっと三国志グッズがあったんで買っちゃったけど、ここは店は多いだけで品揃えがどの店も同じなんで全然意味が無いです。
何だかんだ1時間くらいブラブラし、14:25再び路バスに乗って…

14:55「曲江池」で下車し、少し歩くと…

「曲江秦二世陵遺址公園」に着きました。

ずいぶん整備されてるね…

これは「秦虎符」です。

中で20元の入場券を買い、

博物館?に入りました。

秦二世とは「始皇帝」の息子「胡亥」のことです。

この故事は「指鹿為馬」といいます。

これも出土品かな?

これも秦の時代の壁画?

こっちも…

この奥にあるのが…

「秦二世皇帝墓(胡亥墓)」です。

まぁ…コイツも可哀想な皇子でさ…「趙高」の企てで二代皇帝になったんだけど、さんざん利用された挙句に「趙高」の手によって自害に追い込まれるんです。
元は「始皇帝」の遺言で長子「扶蘇」が跡を継ぐはずだったのに、「趙高」は遺言を丞相「李斯」と共に改竄して「扶蘇」を自害に追い込み、後見だった将軍「蒙恬」をも落とし入れ自害させ、「胡亥」を皇帝にして秦の実権を握った後は「李斯」をも落とし入れ丞相の座に就きます。
この出世しか生きがいの無い「宦官」の野望は秦を滅ぼすことになり、「劉邦」や「項羽」が首都「咸陽」に迫ったころ、その責任を「胡亥」になすり付け殺害し、「扶蘇」の息子「子嬰」を新王に迎えることで群臣の動揺を抑えようとしますが、その「子嬰」に「趙高」も殺されます。
しかし時すでに遅く、先に「咸陽」に入った「劉邦」に「子嬰」が降伏して「秦」は滅びます。
俺が好きな中国ドラマ「神話」は、この頃の話です。
映画「MYTH/神話」で、ジャッキー・チェンが演じてたのが「蒙恬」の弟「蒙毅」です。


ピンクのチャイナ服のお姉さまは研修を受けてるみたいでした。

これは「秦戦甲」です。

これは「李斯」です。

これ何だっけ?

これは将軍「蒙恬」です。
「扶蘇」が二世皇帝に就き、「蒙恬」が補佐していたら、秦が滅ぶことは無かったろうに…

ここがこんな立派な公園になってるなんて思わなかったなぁ。
外れの方だけど、一応「西安」市内にあると違うね。

秦を滅ぼした張本人の墓なのに破格の扱いだよね。

「趙高」と「李斯」が「胡亥」を説得し、遺言を改竄して「胡亥」は二世皇帝の座に就きます。
しかし「胡亥」は酒と女漬けにされ、政治は「趙高」と「李斯」が行っていました。

これも「指鹿為馬」ですね。

丞相となった「趙高」は自分の権威を試すために鹿を宮内に連れて来ました。
「胡亥」に馬を献上すると「趙高」は言いますが、周囲の群臣らは「趙高」の言うとおり馬という者もいれば、見たまま鹿と言う者もいました。
「趙高」が馬と言えば鹿でも馬になる…自分の言うことに従わなかった群臣は後に粛清されました。
「え…鹿じゃないの?」と困惑する「胡亥」です。

映画でジャッキーが被ってたのと同じだね。

これは…何だっけ?

2回目の「神話」鑑賞が途中で終わっちゃってたんで、また観たくなったね。
15:45「曲江秦二世陵遺址公園」を出ました。

次は「阿房宮」に行く予定だったんだけど、真逆の西南方向に行かなきゃならない(ここは市内の東南)ので明日以降に行くことにし、16:00再び路バスに乗って…

16:20下車して「鐘楼」に行きました。
少し周辺をブラブラし…

17:30「日本料理店」があるデパートに入りました。
「西安」に来るたびにここで食べてるね。

まだ夕飯には早いのか店内はガランとしてました…

俺が1人でビール飲むのってこんな時くらいだね。

久々に刺身(鉄火巻きだけど…)食べたね。
左のイクラ巻き?は、ホントはサーモンのにぎりを注文したつもりだったんだけどな…

から揚げは軟骨?じゃないなぁ…変な除去されてない部分があって、あまり美味しくないよ。

18:15「日本料理店」を出て、対面の「鼓楼」へ。
「日本料理店」の店員のオネーちゃんにも確認したんだけど、確か近くに工芸品とかお土産がたくさん売ってるストリートがあったよな…って。

それは「鼓楼」の裏側にあります。

俺は「北京」でもよく「潘家園旧貨市場」に行ってたけど、こういう所を見るのが大好きなんです。

ここ「西安」が俺の旅では最後の地なんでね…お土産を買って帰るにはちょうどいいや。

甥っ子と姪っ子に中国服を買い、俺はひたすら「三国志」や「封神榜」に関するグッズを探してました。
「戦利品」はまとめて最後に紹介するね。

こういう露店で価格交渉しながら買うのが面白いんだよね~

キレイなお姉さんの店は「餃子麺」って書いてありましたが、餃子なのか麺なのか…?

さすが「西安」だけあって欧米人の観光客も多いですよ。

その中で俺は見た目では気づかれないんで中国人のように路バスに乗り、あっちこっち行ってるんだから大したモンでしょ?

結局食べ物屋には入らず…って、その部分では中国人になり切れてないんだよね。

もう、20:30…「鐘楼」もライトアップされています。

帰り路バスに乗ったらバス停が「火車站東?」だったんで、少し歩いて途中でハンバーガーを買って21:30ホテルに戻りました。
さて…明日は「臨潼区」に行き、二度目だけど「兵馬俑」他を観に行きますよ。
明日は晴れないかなぁ…




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