2月20日(金)2/2
さて、14:10『功山寺』を出てから、「国道9号線」を「下関」に向かいました。
しかし…今日は凄い「強風」ですよ…ここが海沿いだから?
やっと「関門橋」が見えて来たぞ…
そして14:45「みもすそ川公園」に着きました。
実は「長府」から「下関」もけっこうな距離あるのよね…
『長州砲』です。
ここは「壇の浦古戦場跡」です。
「源義経像」と大河ドラマ「義経」で義経を演じていた「タッキーの手形」です。
こっちは「平知盛」で、ドラマでは「小泉孝太郎」が演じてたそうな。
「安徳帝御入水之処」碑です。
1185年「壇の浦の合戦」にて敗退し、「安徳天皇」は「二位の尼」に抱かれ「馬関海峡」に身を投じました。
「もみすそ川公園」を出て少し行くと「立石稲荷神社」がありました。
そして「赤間神宮」前を通り…
『春帆楼(日清戦争講和記念館)』前を過ぎ…
「亀山八幡宮」で「世界最大のふくの銅像」を見て…って誰も競って大きな「ふぐの銅像」なんて造らないだろ…
15:05「カモンワーフ」に着きました。
これは「聖フランシスコ・ザビエル下関上陸の碑」です。
これは「唐戸市場」です。
それから「関門汽船(15:30巌流島行き)」の切符を購入しました。(往復¥1,000)
あまりの強風なんで運休だったらどうしよう…って心配してたんだけどね。
さっきスルーして来た「赤間神宮」や『春帆楼』など、「下関」は2006年5月20日のブログで詳しくレポートしています。
その時は『巌流島』に行って無いんでね…最後のバガボンド史跡ハントです。
この「PIER1」から『巌流島』行きの「フェリー」が出ています。
この「伊織号」で、15:30出発しました。
俺以外の乗客は、家族連れ(夫婦と小さな子供が2人)のみ。
15:40『巌流島』に着きました。
「関門海峡」に浮かぶ周囲約1.6Kmの小さな島です。
正式な名称は「船島」といいますが、『武蔵』に敗れた『小次郎』の流派「巌流」をとって『巌流島』と呼ばれるようになりました。
これは『巌流島文学碑』と『決闘の地木碑』です。
『宮本武蔵』と『佐々木小次郎』が闘ったのは、慶長17年(1612年)4月13日でした。
これは『武蔵・小次郎像』です。
三尺一寸の太刀を持つ『小次郎』と、船の櫂を削った「木刀」を振りかざす『武蔵』です。
一刻遅れてやってきた『武蔵』は、「擢の木刀」をひっさげ素足で浅瀬に降り立ちました。
いらだつ『小次郎』は「故意に約束の刻を違えて敵の虚をつくのは汝のよく用いる兵法だ」となじり、長刀を抜き放ち「鞘」を波間に投げ捨てました。
すかさず『武蔵』は「小次郎っ、負けたり」「勝つ身であれば、なぜ鞘を投げ捨てむ」と応じるのでした。
『武蔵』が乗って来た「小船」まで再現されている浜辺です。
「海峡ゆめタワー」と「ゆうとぴあ号」が見えますね。
これは『佐々木巌流之碑』と「船島神社」です。
そして、あまりの強風のため10分早い16:05「フェリー」が来ました。
もう俺しか「島」に居ないんだって…じゃあ、「あの家族連れは?」と訊くと、強風なんで乗って来た「フェリー」から降りずに引き返したんだと…
あんな「乳飲み子」連れて、しかも『巌流島』に行く家族なんて変だよな…
何も分からない「乳飲み子」と「2、3歳の子」を連れてだぜ…
16:15「カモンワーフ」に戻り、16:35「ホテル」にチェックインしました。
そして17:00再び出発し、「門司港」に行くことにしました。
さっきの「みもすそ川公園」前に「関門トンネル人道」があって、「自転車(¥20)」で「関門海峡」を渡れるんだって。
ちょっと行き過ぎて「平家の一杯水」に来ちゃった。
「壇之浦の戦い」で深手を負って岸に泳ぎ着いた「平家の武将」が水溜りを見つけ、飲んでみると「真水」でしたが、もう一口飲もうとしたら「塩水」になっていたという伝説があります。
17:30「関門トンネル人道」入口に着きました。
780mの「歩行者用海底トンネル」です。
「自転車」や「原付」は押して歩かねばなりません。
そして17:40すぎ「門司(福岡)」側に着きました。
ちょっと「門司港」の遺構を見てました。
18:50ごろ「門司港」を出て、「下関」に帰りました。
19:45「ホテル」に戻り、コンビニで買った「弁当」や「ラーメン」などを夕飯にしました。
長かった旅も明日で終わりです。
明日は午前中1ヶ所出掛けてから、12:00発の「フェリー」で「青島(中国)」に行きます。
では、また明日。
さて、14:10『功山寺』を出てから、「国道9号線」を「下関」に向かいました。
しかし…今日は凄い「強風」ですよ…ここが海沿いだから?
やっと「関門橋」が見えて来たぞ…
そして14:45「みもすそ川公園」に着きました。
実は「長府」から「下関」もけっこうな距離あるのよね…
『長州砲』です。
ここは「壇の浦古戦場跡」です。
「源義経像」と大河ドラマ「義経」で義経を演じていた「タッキーの手形」です。
こっちは「平知盛」で、ドラマでは「小泉孝太郎」が演じてたそうな。
「安徳帝御入水之処」碑です。
1185年「壇の浦の合戦」にて敗退し、「安徳天皇」は「二位の尼」に抱かれ「馬関海峡」に身を投じました。
「もみすそ川公園」を出て少し行くと「立石稲荷神社」がありました。
そして「赤間神宮」前を通り…
『春帆楼(日清戦争講和記念館)』前を過ぎ…
「亀山八幡宮」で「世界最大のふくの銅像」を見て…って誰も競って大きな「ふぐの銅像」なんて造らないだろ…
15:05「カモンワーフ」に着きました。
これは「聖フランシスコ・ザビエル下関上陸の碑」です。
これは「唐戸市場」です。
それから「関門汽船(15:30巌流島行き)」の切符を購入しました。(往復¥1,000)
あまりの強風なんで運休だったらどうしよう…って心配してたんだけどね。
さっきスルーして来た「赤間神宮」や『春帆楼』など、「下関」は2006年5月20日のブログで詳しくレポートしています。
その時は『巌流島』に行って無いんでね…最後のバガボンド史跡ハントです。
この「PIER1」から『巌流島』行きの「フェリー」が出ています。
この「伊織号」で、15:30出発しました。
俺以外の乗客は、家族連れ(夫婦と小さな子供が2人)のみ。
15:40『巌流島』に着きました。
「関門海峡」に浮かぶ周囲約1.6Kmの小さな島です。
正式な名称は「船島」といいますが、『武蔵』に敗れた『小次郎』の流派「巌流」をとって『巌流島』と呼ばれるようになりました。
これは『巌流島文学碑』と『決闘の地木碑』です。
『宮本武蔵』と『佐々木小次郎』が闘ったのは、慶長17年(1612年)4月13日でした。
これは『武蔵・小次郎像』です。
三尺一寸の太刀を持つ『小次郎』と、船の櫂を削った「木刀」を振りかざす『武蔵』です。
一刻遅れてやってきた『武蔵』は、「擢の木刀」をひっさげ素足で浅瀬に降り立ちました。
いらだつ『小次郎』は「故意に約束の刻を違えて敵の虚をつくのは汝のよく用いる兵法だ」となじり、長刀を抜き放ち「鞘」を波間に投げ捨てました。
すかさず『武蔵』は「小次郎っ、負けたり」「勝つ身であれば、なぜ鞘を投げ捨てむ」と応じるのでした。
『武蔵』が乗って来た「小船」まで再現されている浜辺です。
「海峡ゆめタワー」と「ゆうとぴあ号」が見えますね。
これは『佐々木巌流之碑』と「船島神社」です。
そして、あまりの強風のため10分早い16:05「フェリー」が来ました。
もう俺しか「島」に居ないんだって…じゃあ、「あの家族連れは?」と訊くと、強風なんで乗って来た「フェリー」から降りずに引き返したんだと…
あんな「乳飲み子」連れて、しかも『巌流島』に行く家族なんて変だよな…
何も分からない「乳飲み子」と「2、3歳の子」を連れてだぜ…
16:15「カモンワーフ」に戻り、16:35「ホテル」にチェックインしました。
そして17:00再び出発し、「門司港」に行くことにしました。
さっきの「みもすそ川公園」前に「関門トンネル人道」があって、「自転車(¥20)」で「関門海峡」を渡れるんだって。
ちょっと行き過ぎて「平家の一杯水」に来ちゃった。
「壇之浦の戦い」で深手を負って岸に泳ぎ着いた「平家の武将」が水溜りを見つけ、飲んでみると「真水」でしたが、もう一口飲もうとしたら「塩水」になっていたという伝説があります。
17:30「関門トンネル人道」入口に着きました。
780mの「歩行者用海底トンネル」です。
「自転車」や「原付」は押して歩かねばなりません。
そして17:40すぎ「門司(福岡)」側に着きました。
ちょっと「門司港」の遺構を見てました。
18:50ごろ「門司港」を出て、「下関」に帰りました。
19:45「ホテル」に戻り、コンビニで買った「弁当」や「ラーメン」などを夕飯にしました。
長かった旅も明日で終わりです。
明日は午前中1ヶ所出掛けてから、12:00発の「フェリー」で「青島(中国)」に行きます。
では、また明日。
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