2月7日(土)1/2
今日は「神戸」から、まず「姫路」に行きます。
昨晩もウマの部屋にお世話になってたんだけど、トリ先生は中国に一時帰国し、Q君とウマも昨晩はバイトでいませんでした。
俺は7時には出発しなきゃならないんだけど、ウマは8時までバイトなんです。
でもQ君が7時には帰って来る…って言ってたような気がしたんだけど帰って来なかったんで、鍵を掛けて出ました。
ウマがバイトしてる店は「神戸駅」に行く途中にあるんで、鍵を渡してから駅に行きました。
また「神戸駅」で自転車を収納し、7:38発の「山陽本線」に乗りました。
事前調査と時間が違うな…って思ってたら「姫路」まで1時間も掛かってしまいました。
俺の調査では30分ほどで着くんだったんだけどな…今日は土曜だから休日ダイヤだったのかも…
この後「姫路」から「佐用」に行く「姫新線」が10:12発なので「自転車」をしまう時間などを考慮しても、10時までに「姫路駅」に帰らないと。
…ってことは、あと1時間20分かよ…
とにかく急いで「自転車」を組み立てて、『お通公園』を目指しました。
9:15『お通公園』に着きました。
『お通』が『武蔵』と待ち合わせたのが、現在の「小川橋」です。
3年の歳月を経て再会しますが「ゆるしてたもれ」の言葉を残して『武蔵』は去ります。
『お通像』は「新小川橋」を渡った『お通公園』内にあります。
写真だけ撮って、また『姫路城』方面に引き返しました。
9:30ごろ『姫路城』に戻りました。
さて…あと30分しか無いんだけど『姫路城』は「バガボンド史跡」なので、ちゃんとハントしなければ…と思い、急いで見学することにしました。
『姫路城』は「世界遺産」ですよ。(入場料¥600)
写真左は「備前丸池田輝政居館跡」です。
五層七階の天守閣は「関ヶ原の合戦」後、「姫路」入りした「池田輝政」によって築かれた城で、その姿は「羽ばたく白鷺」に似て美しいというところから、別名「白鷺城」とも呼ばれています。
天守閣だけ見て、すぐ帰ろうと思ってたのに…広すぎる
「天守閣最上階」には『刑部神社』があります。
「姫路城」城主が「木下家定」であった頃『宮本武蔵』は名前を隠し、「姫路」で足軽奉公をしていました。
その頃城内では「天守に妖怪が出る」という噂が広まっており、城の見張り番の者たちも恐れをなして、まともに出番を勤めることが出来ない状態が続いていました。
しかし、ただ1人『武蔵』だけが平気で夜の番をしており、それを聞いた「家老」が、その足軽は高名な武芸者『宮本武蔵』であろうと、名を隠していた『武蔵』を見破り「妖怪退治」を命じました。
ある夜のこと、『武蔵』は手に灯り一つを持って不気味な暗闇の天守閣に上って行きました。
『武蔵』が3階の階段にさしかかった時、突然あたりを激しい炎が包み、地響きと轟音が起こり、『武蔵』に襲いかかろうとしました。
すぐさま『武蔵』は「妖怪」に斬りかかろうと腰の太刀に手を掛けました。
すると異変はピタリと止まり、辺りはまた何もない暗闇に戻りました。
何事もない3階から『武蔵』が4階に上がるとまた同じような炎と轟音の地響きが起こりました。
しかし『武蔵』が腰の太刀に手を回すと、また辺りが静けさを取り戻したのです。
そのまま天守閣まで上った『武蔵』は、「妖怪」が現れるのを待とうと明け方まで座り続けました。
やがて、眠気に誘われ、うつらうつらし始めた頃どこからともなく『武蔵』を呼ぶ声が聞こえて来ました。
目を開けると『武蔵』の前に美しい「姫」が現れ「わたしは姫路城の守り神、刑部明神です。今夜あなたがここに来てくれたおかげで、城に住む妖怪は恐れをなして逃げていきました。褒美としてこの剣を与えましょう。」
『武蔵』の前には、白木の箱に入った「郷義弘の名刀」が残されていたといいます。
この話は今後『バガボンド』では語られない気がするけどね…
もう、9:55じゃん…一目散に天守閣を駆け下り、「自転車」で「姫路駅」まで戻りました。
…が、あと一歩及ばず「姫新線」は出てしまっていました。
マジかよ…その「姫新線」で「佐用」に出て、そこから「智頭急行」に乗り換えるんだったのに、1時間に1、2本くらいしか無い「姫新線」はほとんどが「佐用」まで行かないんだもん…
その降りた駅で「佐用」行きに接続があればいいんだけど、そこまで調査して無いしさ…接続があるか分からない30分後の「姫新線」に乗るより、他の手段で行こうと思い、「上郡」経由で「智頭急行」に乗ることにしました。
それでも接続がうまくいくか分からないんだけどね…しかも乗り込んだ「山陽本線」は「網干」までしか行かないし…
結局「網干」から「相生」に出て、「相生」から「上郡」に出ることに成功しました。
そして「上郡駅」から始発の「智頭急行」に乗りました。
11:48「智頭急行」は発車し、12:30『宮本武蔵』に着きました。
『宮本武蔵』の故郷だから『宮本武蔵(駅)』ですが…これって、乗りそびれた「姫新線」で計画してたのと同じ着時間ですよ~。
結局「智頭急行」で帳尻が合ったんですね。
駅を出ると『お通』『武蔵』『又八』の幼少時代の像がありました。
さて「自転車」を組み立てて、史跡ハントに出発じゃ~
これは「宮本武蔵顕彰 武蔵武道館」です。
これは『武蔵の里“五輪坊”』正門です。
これは「武蔵道場」です。
これは『青年期宮本武蔵像』です。
う~ん…やっぱ「和太鼓を叩く人」なんだよな~
これは『武蔵資料館』です。(入場料¥500)
またも隠し撮りです。
「五輪坊」正門前には『讃甘神社』があります。
この神社の神主が太鼓を叩く「バチ」をヒントに『武蔵』は「二天一流」を創始したと伝えられています。(やっぱ太鼓だったんかい…)
『五輪坊』と『讃甘神社』から『武蔵生家』方面を見たところです。
水車がありました。
これは『宮本武蔵誕生地記念碑』です。
これは「吉川英治先生文恩記念碑」です。
写真右が『宮本武蔵生家』です。
では続きは“Part.2”にて。
今日は「神戸」から、まず「姫路」に行きます。
昨晩もウマの部屋にお世話になってたんだけど、トリ先生は中国に一時帰国し、Q君とウマも昨晩はバイトでいませんでした。
俺は7時には出発しなきゃならないんだけど、ウマは8時までバイトなんです。
でもQ君が7時には帰って来る…って言ってたような気がしたんだけど帰って来なかったんで、鍵を掛けて出ました。
ウマがバイトしてる店は「神戸駅」に行く途中にあるんで、鍵を渡してから駅に行きました。
また「神戸駅」で自転車を収納し、7:38発の「山陽本線」に乗りました。
事前調査と時間が違うな…って思ってたら「姫路」まで1時間も掛かってしまいました。
俺の調査では30分ほどで着くんだったんだけどな…今日は土曜だから休日ダイヤだったのかも…
この後「姫路」から「佐用」に行く「姫新線」が10:12発なので「自転車」をしまう時間などを考慮しても、10時までに「姫路駅」に帰らないと。
…ってことは、あと1時間20分かよ…
とにかく急いで「自転車」を組み立てて、『お通公園』を目指しました。
9:15『お通公園』に着きました。
『お通』が『武蔵』と待ち合わせたのが、現在の「小川橋」です。
3年の歳月を経て再会しますが「ゆるしてたもれ」の言葉を残して『武蔵』は去ります。
『お通像』は「新小川橋」を渡った『お通公園』内にあります。
写真だけ撮って、また『姫路城』方面に引き返しました。
9:30ごろ『姫路城』に戻りました。
さて…あと30分しか無いんだけど『姫路城』は「バガボンド史跡」なので、ちゃんとハントしなければ…と思い、急いで見学することにしました。
『姫路城』は「世界遺産」ですよ。(入場料¥600)
写真左は「備前丸池田輝政居館跡」です。
五層七階の天守閣は「関ヶ原の合戦」後、「姫路」入りした「池田輝政」によって築かれた城で、その姿は「羽ばたく白鷺」に似て美しいというところから、別名「白鷺城」とも呼ばれています。
天守閣だけ見て、すぐ帰ろうと思ってたのに…広すぎる
「天守閣最上階」には『刑部神社』があります。
「姫路城」城主が「木下家定」であった頃『宮本武蔵』は名前を隠し、「姫路」で足軽奉公をしていました。
その頃城内では「天守に妖怪が出る」という噂が広まっており、城の見張り番の者たちも恐れをなして、まともに出番を勤めることが出来ない状態が続いていました。
しかし、ただ1人『武蔵』だけが平気で夜の番をしており、それを聞いた「家老」が、その足軽は高名な武芸者『宮本武蔵』であろうと、名を隠していた『武蔵』を見破り「妖怪退治」を命じました。
ある夜のこと、『武蔵』は手に灯り一つを持って不気味な暗闇の天守閣に上って行きました。
『武蔵』が3階の階段にさしかかった時、突然あたりを激しい炎が包み、地響きと轟音が起こり、『武蔵』に襲いかかろうとしました。
すぐさま『武蔵』は「妖怪」に斬りかかろうと腰の太刀に手を掛けました。
すると異変はピタリと止まり、辺りはまた何もない暗闇に戻りました。
何事もない3階から『武蔵』が4階に上がるとまた同じような炎と轟音の地響きが起こりました。
しかし『武蔵』が腰の太刀に手を回すと、また辺りが静けさを取り戻したのです。
そのまま天守閣まで上った『武蔵』は、「妖怪」が現れるのを待とうと明け方まで座り続けました。
やがて、眠気に誘われ、うつらうつらし始めた頃どこからともなく『武蔵』を呼ぶ声が聞こえて来ました。
目を開けると『武蔵』の前に美しい「姫」が現れ「わたしは姫路城の守り神、刑部明神です。今夜あなたがここに来てくれたおかげで、城に住む妖怪は恐れをなして逃げていきました。褒美としてこの剣を与えましょう。」
『武蔵』の前には、白木の箱に入った「郷義弘の名刀」が残されていたといいます。
この話は今後『バガボンド』では語られない気がするけどね…
もう、9:55じゃん…一目散に天守閣を駆け下り、「自転車」で「姫路駅」まで戻りました。
…が、あと一歩及ばず「姫新線」は出てしまっていました。
マジかよ…その「姫新線」で「佐用」に出て、そこから「智頭急行」に乗り換えるんだったのに、1時間に1、2本くらいしか無い「姫新線」はほとんどが「佐用」まで行かないんだもん…
その降りた駅で「佐用」行きに接続があればいいんだけど、そこまで調査して無いしさ…接続があるか分からない30分後の「姫新線」に乗るより、他の手段で行こうと思い、「上郡」経由で「智頭急行」に乗ることにしました。
それでも接続がうまくいくか分からないんだけどね…しかも乗り込んだ「山陽本線」は「網干」までしか行かないし…
結局「網干」から「相生」に出て、「相生」から「上郡」に出ることに成功しました。
そして「上郡駅」から始発の「智頭急行」に乗りました。
11:48「智頭急行」は発車し、12:30『宮本武蔵』に着きました。
『宮本武蔵』の故郷だから『宮本武蔵(駅)』ですが…これって、乗りそびれた「姫新線」で計画してたのと同じ着時間ですよ~。
結局「智頭急行」で帳尻が合ったんですね。
駅を出ると『お通』『武蔵』『又八』の幼少時代の像がありました。
さて「自転車」を組み立てて、史跡ハントに出発じゃ~
これは「宮本武蔵顕彰 武蔵武道館」です。
これは『武蔵の里“五輪坊”』正門です。
これは「武蔵道場」です。
これは『青年期宮本武蔵像』です。
う~ん…やっぱ「和太鼓を叩く人」なんだよな~
これは『武蔵資料館』です。(入場料¥500)
またも隠し撮りです。
「五輪坊」正門前には『讃甘神社』があります。
この神社の神主が太鼓を叩く「バチ」をヒントに『武蔵』は「二天一流」を創始したと伝えられています。(やっぱ太鼓だったんかい…)
『五輪坊』と『讃甘神社』から『武蔵生家』方面を見たところです。
水車がありました。
これは『宮本武蔵誕生地記念碑』です。
これは「吉川英治先生文恩記念碑」です。
写真右が『宮本武蔵生家』です。
では続きは“Part.2”にて。
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