史跡ハンター 臥龍

 ★戦国・幕末&中国に関する史跡を中心に紹介しています★

 ご意見・ご感想・ご質問など、気軽にメッセージください!

「バガボンド」史跡めぐり~小倉編

2009年02月13日 | バガボンド史跡めぐり
2月13日(金)1/2
さて、旅も折り返し(後半)に入り、ついに「九州初上陸」でーす。
昨晩21:20「高知駅」を発車した「高速バス」は、5:45「小倉駅」に着きました。
ここ「小倉」での史跡ハントは『小倉城』と『手向山公園』のみ。
『小倉城』は9時開門なので、まず『手向山公園』に行こうにも、まだ真っ暗なんでね…「小倉駅」前のマックで日の出を待つことにしました。
そして6:30マックを出て『手向山公園』を目指しました。

7:00ごろ『手向山公園』に着きました。
「自転車」を置いて、これから園内の山道を上がって行きます。

これは「探照灯台座跡」です。

これは「手向山砲台跡」と、そこから『幕末の激戦地』が臨めます。
慶応2年(1866年)7月の「小倉・熊本」両藩と「長州軍(奇兵隊)」との激戦地です。

これは『宮本武蔵の碑』です。
これは『宮本武蔵』の養子『宮本伊織』が建立したものです。

これは『佐々木小次郎の碑』です。
これは作家「村上元三」が小説「佐々木小次郎」の完成を記念して寄贈したものです。

これは「吟心舞魂の碑」です。

近くの展望台からは「関門海峡」が望めますが…今日はちょっと霞んでますね。

これは「明治時代の火力発電所跡」です。

これは『宮本家代々の墓』です。
『宮本伊織』は『武蔵』の兄「田原甚兵衛」の次男として慶長17年(1612年)に生まれ、幼き頃から武蔵の養子になりました。
15歳の時、明石10万石の藩主「小笠原忠政」に仕え、わずか20歳で「家老」になりました。
そして寛永9年(1632年)藩主の移封に従って「小倉」に移ります。
寛永15年(1638年)には「島原の乱」に出陣して功を立てました。
この中に『宮本伊織墓』があるんだけど、入れないんで「どれ」か分かりませんでした。
7:30ごろ『手向山公園』を出て、「小倉駅」方面に戻りました。

7:50ごろ「小倉駅」に着きました。
その近くにある「森鴎外京町住居跡碑」です。

8:00ごろ『小倉城』に着きました。
でも…まだ開門まで1時間もあるよ…

ヒマなんで、近くの「八坂神社」を見てました。

この旅では『大阪城』『二条城』『姫路城』『岡山城』『高知城』に続いて6番目に見た城ですね。

これは「大手門跡」です。

まだまだ時間があるんで、城周辺を散策していました。
これは「大砲」ですね…(見たままじゃん

これは旧日本陸軍の「第12師団司令部正門跡」です。

これは「白洲燈台」です。

これは「松本清張記念館」です。
作家「松本清張」は明治42年(1909年)、現在の小倉北区で生まれました。

あと20分…城前のベンチに座って待っていると「剣士のオジさん」に話し掛けられ、剣術についての「豆知識?」を教えてもらいました。
そして、9:15ごろ入城しました。(入場料¥350)
『小倉城』は慶長7年(1602年)「細川忠興」が豊前藩32万石のシンボルとして築城した南蛮造りの名城でしたが、慶応2年(1866年)の『第二次長州征討戦』のおりに焼失しました。
現在の天守閣は昭和34年に復元されたものです。

これは「迎え虎」です。

これは「島原の乱」出陣前夜の作戦会議風景をリアルなからくり人形で再現しています。
一番左に居るのが『宮本伊織』です。

天守閣から見た「小倉城庭園」です。
『小倉城』と「松本清張記念館」と「小倉城庭園」のセット入場券だと¥700だったと思います。

『武蔵』に関する展示と「送り虎」です。
9:55『小倉城』を出て、10:00「西小倉駅」に着きました。
そして、10:15発の「JR鹿児島本線」で「博多」に向かいました。

もうそろそろ「雨」が降って来そうな感じだなぁ。
それじゃ、「博多編」は次のレポートにて…



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 幕末史跡めぐり・其之十七~... | トップ | ちょっと一息~博多編 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

バガボンド史跡めぐり」カテゴリの最新記事