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北陸・東海の旅③~戦国・敦賀&関ヶ原編 Part.1

2010年08月28日 | 日本武尊・源平・戦国史跡めぐり
8月28日(金)2/4
さて、「敦賀」駅前からの「シンボルロード」にある松本零士作品のモニュメントをハントし終えた先にあるのが…

この「氣比神宮」です。
高さ11mの大鳥居(重要文化財)は「春日大社(奈良県)」「厳島神社(広島県)」と並ぶ日本三大木造大鳥居の一つなんだって。

元禄2年8月には「松尾芭蕉」が訪れ、境内には「松尾芭蕉の像」があります。

とりあえず、境内に入ってみました。

拝殿です。
まぁ特に関心も無いんで、すぐ出ちゃいました。

これは「本妙寺」です。

これは「本勝寺」です。

これは「長遠寺」です。
これら3つの寺には「水戸天狗党」823名が投降後に収容されました。
「本妙寺」には「武田耕雲斎」「山国兵部」「田丸稲之衛門」らが収容されたといいます。

これは「晴明神社」で、陰陽師「安倍晴明」が990~994年に境内に住み、研究に勤しんだといいます。

これは「永賞寺」で、1589年から1600年まで敦賀城主であった「大谷吉継」の菩提寺です。

本殿です。

次に向かったのは「金ヶ崎城跡」です。

これは「金ヶ崎宮」です。

この辺り一帯が「金ヶ崎城跡」になります。

この「金ヶ崎城」は「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」三英雄集合の地なんです。
1570年に朝倉氏の越前攻略のため京都を出た「織田信長」は、途中「徳川家康」と合流して越前敦賀に攻め入りました。
戦いは「前田利家」の先陣「木下藤吉郎(豊臣秀吉)」などの活躍で天筒山城・金ヶ崎城と相次いで落城、木の芽峠を越えて攻め入ろうとした時「お市の方(浅井長政の妻・信長の妹)」より袋の両方を縛り、小豆の入った袋が届けられました。
「袋の鼠」…義弟「浅井長政」が裏切り、退路を断とうとしている事を知った「信長」は浅井氏と朝倉氏の挟み撃ちを恐れ退却しました。
「信長」は「藤吉郎」に殿を、「利家」には供を申し付けて撤退を命じました。
このとき、激しい退却戦で窮地に陥った「秀吉」を救ったのが「家康」でした。
「秀吉」は後ほど上洛した「家康」に改めて謝意を示したといいます。

高台からの景色です。
8:00ごろ「金ヶ崎城跡」を出ました。

これは「旧敦賀港駅舎」です。

あとは「松原神社」や「武田耕雲斎」らの墓という「水戸天狗党」に関する史跡もピックアップしてたんだけど、8:30にはホテルに戻りたいんで行くのをやめました。
予定通り8:30にホテルに戻り、シャワーを浴びて、ちょっと早めの8:45にチェックアウトして敦賀駅に行きました。

事前計画では、9:12の特急に乗って「米原」で降りて、普通に乗り換えて「関ヶ原」まで行くつもりでした。
そしたら9:04発の普通「米原」行きがあったんで、乗っちゃったんだけど…乗ってから何で自分がわざわざ特急に乗る予定で計画を立ててたのか、に気付きました…
普通列車はすぐに特急に抜かれる上に各駅停車だから、「米原」に着くのが10:03で、特急よりも20分近くも遅いんじゃん。
やべぇ~当初の計画では、次に「米原」から9:55発の普通に乗って、10:14に「関ヶ原」着、10:35発のバスで「伊吹山」に行くつもりだったのに…
これじゃ、絶対「関ヶ原」10:35発のバスに乗るのは無理で、次のバスは11:05発。
遅くてもそれに乗るためには、「米原」を10:40発までの電車に乗らないと11:00までに「関ヶ原」に着かないや…
「米原」に着いてから、すぐ時刻表を確認すると…何とか10:30発の新快速「豊橋」行きが「関ヶ原」にも停まるって

10:52「関ヶ原駅」に着き、荷物をコインロッカーに預けました。
地名は有名だけど…小さな駅だったんだね。

「伊吹山」行きのバスは、駅すぐ脇に停まってました。

バスは11:05出発し、「伊吹山ドライブウェイ」を通って、約40分で「山頂駐車場(標高約1,260m地点)」に着きました。(乗車料金¥1,000)

山頂(標高約1,377m)まで残り約120m(実際は直線じゃ無いから、もっと長いけど)ですが、登山コースが2つあります。
1つは「西遊歩道コース」で山頂まで約1,000m/約40分か、もう1つは「中央遊歩道コース」で山頂まで約500m/約20分(急勾配でほぼ階段)になります。
帰りのバスは12:30(次は13:30)にあるので、40分で往復すれば間に合うぞ…
とりあえず、上りは「中央遊歩道コース」で行って、その時間によって12:30の帰りのバスに間に合いそうになかったら、下りは「西遊歩道コース」をゆっくり下りて来るつもりでした。

11:50登山開始しました。

今日も天気がいいなぁ~

もう「山頂駐車場」があんな小さく見えます。

12:00…何と10分で「山頂」に着いちゃった…
ハッキリ言って、俺にとっては山とは呼べないな…「山頂駐車場」から残りちょっと登ったくらいだしさ。
「伊吹山」に着いてから飲料を切らしてたけど、脱水症状になる隙も与えないほどのスピードで着いちゃったからね~

今回なぜこの「伊吹山」に登ったのか?と言うと…東征から大和に戻る途中の「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」が、この「伊吹山」の神を征伐するために訪れているからなんです。
「日本武尊」は素手で戦うからと「草薙の剣」を「美夜受比売」に預けて出陣しました。
「伊吹山」を登り始めてしばらくすると、白い大きなイノシシが現れましたが、山の神の使い(下っ端)が変身しているに違いないから大したことはないと先に進んで行きました。
ところがこのイノシシが山の神自身が変身していたのでした。
山の神は「日本武尊」に大氷雨を降らせたため、大きな痛手を被い、やがて病にかかり「伊吹山」を下りたのでした。
それが原因で「日本武尊」は死んでしまうのです…
この旅では「兼六園」に続いて「日本武尊」像をハントしましたね。
(俺の郷里「横須賀」に残る「日本武尊」伝説は2010年3月25日のブログを参照してね)
余裕で上っちゃったんで、また「中央遊歩道コース」を下りれば、12:30のバスに乗れるぞ…ってことで、急いで下りました。
そしたらさ…10分も掛からないで「山頂駐車場」に戻って来ちゃった。
やっぱ「旅バカのアドレナリン」がまた出ちゃってるのかなぁ?
滞在時間約50分…12:30発のバスに乗って、また「関ヶ原駅」に戻りました。
続く「関ヶ原古戦場」のレポートはPart.2にて。



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