史跡ハンター 臥龍

 ★戦国・幕末&中国に関する史跡を中心に紹介しています★

 ご意見・ご感想・ご質問など、気軽にメッセージください!

2019GW旅・大和国~最後の「日本武尊」史跡めぐり・前編~

2019年05月02日 | 日本武尊・源平・戦国史跡めぐり
5月2日(木)
今朝は3:15ごろ目が覚めました…コレだけ睡眠不足が溜まるとネットカフェでもよく眠れるわ。
起きてから昨晩買っておいたパンや、おにぎりを食べました…また日中は忙しくて、移動中の車内やホームでの待ち時間に同じようなモン食って夜まで持たすんだろうな。
俺は9連休での旅だから、もう後半戦に突入だね…ホント、28日以外ずっと傘使ってたもんな~
今日もブース(マット)内が広かったんで、折り畳み傘を乾かしたよ…もう今日以降に傘や自作のビニール靴下の出番が無いことを祈るよ。
ビニール靴下は毎日靴下の上から履いてたんだけど…雨水を靴下まで通さない分、通気性が悪くなって靴下を脱いだときのニオイがキツかったわぁ~

5:00にチェックアウトしました…どうやら雨の心配は要らなそうだな。
今日はココ「大阪」から「奈良」「三重」「静岡」経由で「山梨」まで行くからね…移動が長くなるな。

5:18「天王寺」発のJR大和路線に乗りました…そして「王寺」で5:51発のJR和歌山線に乗り換え…

6:18「玉手」で降りました…ココは奈良県御所市になります。

しばらく歩き、農道に入りました。

この ↓ 辺りなのかなぁ?

もしかして、この林?かも。

おぉ~「日本武尊」が俺を呼んでいるかのような光だね。

あ、標識が現れたぞ。

ココにも…こういうの無いと分からんぜ…助かるわ。

あと少し…だと思う。

路地の先に石段が見えるぞ。

上がって行くと…

6:40すぎ「日本武尊琴弾原白鳥陵」に着きました~

ココが白鳥となった「日本武尊」が能褒野から飛来したトコ…次に昨日ハントした河内古市(大阪府羽曳野市)に向けて飛び立ちました。

柵で囲まれた陵の周囲を歩いてみました。

昨日の「古市」と比べると大きくなさそうだったんでさ…陵の外側は竹やぶだね。

こんなベンチもあったけど…ほとんど人なんて来ないんだろうなぁ。

6:50くらいに「白鳥陵」を後にしました。

こんな農道に痴漢って…若い女子なんているんか?

さて…この後は「玉手」には戻らず、近鉄吉野線の「葛」駅まで歩きます…大体2.5Kmくらい?

7:17「葛」に着いたんだけど…

ちょうど着た列車が上りか下りか分からずスルーしてから時刻表見たら…乗っても良かったヤツだったわ。

7:47「葛」発は当初の予定通りだけど…29分待ちかよぉ、駅の周囲なんて何も無いからね。

昨晩買っておいたパンを食べたりして、7:47発の近鉄吉野線に乗りました。

そして、7:56「飛鳥」で降りました…チャゲじゃなくて飛鳥です。

レンタサイクルは早くても8:30~かな…と思ってたけど、駅近くのレンタサイクルが開いててさ。
1日¥900で借りたけどさ…俺、ココには2時間くらいしか滞在しないんだけどね。
でもタダでリュックを預かってもらえて助かっちゃった。

さぁ、まずは「石舞台古墳」に行きます…レンタサイクル店で聞いたら、そこが8:30~らしいんでさ。

自転車を走らせていると…何か古墳っぽいのが見えてきたぞ。

おぉ、ココは「天武天皇・持統天皇 檜隈大内陵」じゃないか…(無料なんで)一番最後に見て帰ろうと思ってたんだけどね。

「天武天皇」は一昨日(4月30日)「京都」でハントした「天智天皇(陵)」の弟です。

兄弟の確執もあり兄「天智天皇」の死後、皇位をめぐり甥「大友皇子(天智天皇の子)」と「大海人皇子(のちの天武天皇)」が争ったのが「壬申の乱」といいます。

「壬申の乱」に勝利した「大海人皇子」は飛鳥浄御原宮を造って「天武天皇」として即位しました。

↓ が陵の鳥居で…コレが全体だよ。

コレも遺跡?

ココは「聖徳皇太子御誕生所」だって…「聖徳太子」が産まれたトコ?
この奥に「橘寺」ってのがあって、当時そこには「橘の宮」という欽明天皇の別宮があり、その第4皇子の「橘豊日命」(後の31代用明天皇)と「穴穂部間人皇女」を父母とされて、西暦572年に生まれ…幼名を「厩戸皇子」といいました。

8:30「石舞台古墳」に着きました。

入場料¥300で入りました…ずっと見てみたかった古墳だよ。

元々は墳丘の盛土があったけど、それが無くなって…横穴式石室を造っている石が露出しちゃったんだね。

コレが剥き出しになった石室ってことか。

ココが入口だね。

スゲェな…崩れてきたらペチャンコになるぞ、天井石は約77トンもあるらしいから。

でも…見るのたったコレだけなんだね…別に石室内に壁画があるワケでも無いしさ。

コレは石舞台古墳の復元石棺だって。

8:45「石舞台古墳」を出ました。
次は「高松塚古墳」に行く予定だったけど…途中、マップで見たあるトコに興味深い史跡があったんで、チト離れてるけど行ってみることにしました。

9:00ごろ「飛鳥寺」西門跡に着きました。

その近くにある小さな墓…?何も案内とか無いけど、多分コレが俺のハントしたかった「蘇我入鹿」首塚(五輪塔)です。
後に天智天皇となる「中大兄皇子」と、「中臣鎌足」によって討たれた「蘇我入鹿」の首塚だそうです…「乙巳の変」(大化の改新)で暗殺された「蘇我入鹿」の首がココまで飛んできたとか、襲ってきた首を供養するためにココに埋めたともいわれています。

「飛鳥寺」は推古4年(596年)仏教を保護した「蘇我馬子」の発願により日本初の本格的寺院として完成しました。

コレは「本堂」です。

コレは「思惟殿」だって。

コレは「鐘楼」かね?

コッチが正門かな。

境内には「蘇我入鹿」首塚の案内があるね。

9:10「飛鳥寺」周辺を出ました。

また「天武天皇・持統天皇 檜隈大内陵」前を通って…

「高松塚古墳」の区域内?で自転車を停めて…

9:30「高松塚壁画館」に着きました。(入館¥300)
中に展示されていた壁画は教科書で見たようなモノだったけど…全部複製のくせに写真撮影も不可。
何か「石舞台古墳」もココ「高松塚古墳」もガッカリだったなぁ…

自転車を置いて来た駐輪場だけど…何だよぉ「高松塚壁画館」まで自転車で行って良かったんじゃん。
途中に駐輪場があると「ココに停めて行け」って感じちゃうからね…だから注意書きがあるんだろうけど、気づかんかったわ。

近くの「飛鳥歴史公園館」をちょっと見て出ました。

まだ時間があったんで「吉備姫王墓」に行ってみました。

この先に「猿石」ってのがあるらしい…「猿岩石」じゃないよね。

コレが「吉備姫王墓」かな?

中にあるコレが「猿石」だね。

どういう意味があって作られたモノなんだろう?

近くには「欽明天皇」陵がありました…天皇だと墓とは言わず「陵」と言うんだね。

「○○天皇」と言われても…ほんの一部しか知らないよな~

第29代天皇だそう…ちなみに「天武天皇」は第40代です。
先日退位された天皇陛下は第125代天皇です。

さぁ「飛鳥」はコレで終わり…駅まで帰ります。

この穴は墳墓に通ずる秘密の通路かな?

10:05「飛鳥」駅に戻りました…もう観光客がかなり増えてきて、俺が返却した自転車が即貸し出しされてたよ。

まだ15分くらいあるんだけど…駅に入りました。

遠出すると、見慣れない列車が見れるのが楽しいよね。

10:26「飛鳥」発の近鉄吉野線に乗りました。

10:30「橿原神宮前」で降りました。

歩いて5分ほどで「橿原神宮」に着きました。

参道では「陶器市」やってたよ。

コレは「南神門」です。

境内に入ると…御朱印もらう列を作る通路はあるけど…ほぼ並んでないわ。
令和2日目だともう価値ナシですか?

コレが「外拝殿」だね。

日本最古の正史ともされる「日本書紀」において、日本建国の地と記されたのが「橿原」です。
「天照大神」の血を引く「神倭伊波禮毘古命」(後の神武天皇)が、豊かで平和な国づくりをめざして九州高千穂の宮から東に向かい、
想像を絶する苦難を乗り越え、畝傍山東南の麓に「橿原宮」を創建されました。
第一代天皇として即位されたのが紀元元年、今からおよそ2,600余年前のことです。

そして昨日、第126代天皇が即位した…ってトコに繋がってるんだね~

11:00すぎ「橿原神宮前」駅に戻りました…構内で近鉄の「天皇陛下即位記念乗車券」が販売されてて、思わず買ってしまった。
そしたらコレ…いろんな私鉄各社が限定で販売してたみたいだけど、けっこう即日完売してるトコもあったみたいね。

11:20「橿原神宮前」発の近鉄橿原線に乗り…「大和八木」から近鉄大阪線で、12:03「名張」に着きました。
ココで三重県に入ったんで一度〆て、続きは後編でレポートしますね。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2019GW旅・河内国~「日本武... | トップ | 2019GW旅・伊勢国~最後の「... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本武尊・源平・戦国史跡めぐり」カテゴリの最新記事