評価点:63点/2017年/アメリカ/103分
監督:ピーター・ランデズマン
邦題がひどい。
1972年、大統領の選挙戦が行われているさなか、長年FBI長官を務めていたフーバーば亡くなった。
副長官だったマーク・フェルト(リーアム・ニーソン)は、部下たちに指示を出し情報の隠蔽を行った。
そんなとき、大統領選挙にに関わって、盗聴疑惑が持ち上がる。
ニクソンと激しく選挙戦を戦っていた陣営のホテル、ウォーターゲートホテルに5人の工作員が盗聴しようとしていたところを発見され、逮捕される。
その1人はなんと元CIA工作員だった。
しかし、フーバーの後任に指名された長官代理から、フェルトに「48時間以内のみの捜査を行った後、捜査は打ち切る」と告げられる。
FBIの自律性を重要視するフェルトは、独自に捜査を指示し、それをマスコミへのリークによって世論を煽ろうとする……。
よく分からないまま、アマゾンプライムで見た。
主演がリーアム・ニーソンなので、わかりやすい勧善懲悪的なアクションを期待していた。
全く予備知識なしで見たので、ノンフィクション、それもウォーターゲート事件を題材としたものだとは全く知らなかった。
全然ドンパチが始まらないので、ちょっと期待外れな印象を受けたほどだ。
それはともかく、アメリカ大統領史上もっともスキャンダラスな政治汚職、その全貌を描いている。
ウオーターゲート事件がこのタイミングで映画化された、というところをむしろ注目すべきなのかもしれない。
▼以下はネタバレあり▼
ウォーターゲート事件をある程度知っている人なら、あるいは関心がある人なら、恐らくもっとのめり込んで楽しめたのかもしれない。
それほどこの事件に詳しくない人は、ちょっと面白さは減退したことだろう。
私はこの時代をリアルに生きていたわけでもないし、別段アメリカの政治史に詳しいわけでもないので、この映画がターゲットにしているような客層には入らないだろう。
この事件の「ディープ・スロート」と呼ばれた内通者は長らく公表されていなかった。
それが、2005年にマーク・フェルトという当時FBI副長官が自分である、と公表し、初めてアメリカ史上最大の内通者の身元が明らかになった。
それ以前までに噂はあったようだが、本人が認めたのはこのときが初めてだったようだ。
この事件は、この映画化以外にも様々な作品で登場する。
アメリカの内通者のことを、広く「ディープ・スロート」と呼ぶことさえある。
それだけ当時話題になった事件であり、アメリカ人にとっては忘れてはならない汚職事件なのだ。
この映画がまずこの時期に公開された点について確認しておこう。
内容は、選挙相手の陣営の動向を確認するために盗聴器を仕掛けた、ということだ。
そして、盗聴するために、国家権力を利用して行ったという点がまた衝撃的な点だった。
権力を私物化し、倫理的にも認められない方法で選挙に勝とうとしたわけだ。
それは独裁的な国家体制を実現するという、アメリカの建国の精神から考えても、犯してはならない禁忌だったわけだ。
そしてそれがこの2018年に公開されたのは、他でもない、トランプ大統領への批判があるからだろう。
ニクソンもトランプも共和党の党首である。
そしてトランプも様々な選挙に関する疑惑を抱えている。
この時期に制作、公開されたのは「共和党のすることを忘れるな」という強い政治的なメッセージに他ならない。
だが、この映画がそういう事情で制作されたとしても大きな影響力を持たないだろうと私は考える。
一つは、この事件自体が既に古い印象を拭えないからだ。
いくら違法行為だったとしても、すでにこういう盗聴や監視システムは構築されてしまい、「当たり前」になりつつある。
当然CIAもFBIも、NSA(国家安全保障局)も盗聴は日常茶飯事に行っている。
アメリカ国内だけではなく、日本の首相官邸さえ恐らくその対象になっている。
だから、今更この映画を見たところで、衝撃度は非常に小さい。
それを見越してのことだろう。
この映画がフォーカスするのは、事件そのものではなく、情報をリークするフェルト副長官である。
だから原題は「マーク・フェルト」という固有名詞になっている。
事件の全貌を、内通者の視点から描く、という点を貫いている。
(だからこそ、事件全容について知らない人にとってはわかりにくさが伴う)
もう一つの点は、そのマーク・フェルトについての描き方がいかにも曖昧だという点だ。
だからこそ、一つの物語として楽しむにも、少し物足りない。
もっとおもしろく、ドラマティックに描かなければ、トランプ政権に対する(あるいは政治腐敗に対する)警鐘としては説得力がない。
彼はなぜ捜査官としての最も重要な倫理である、守秘義務を破り、マスコミにリークしたのだろう。
もちろん、そうすることでしか捜査の継続が実現できなかった、ということが劇中で示されてはいる。
けれども、一方で具体的な捜査の手順や内容が示されていない。
いよいよ捜査が打ち切りだと言うとき、チームにスピーチして捜査の続行を宣言する。
それならば、最初からリークなどせずに続行することは可能だったのはないのか。
具体的な捜査とはどのようなものだったのか。
そしてそれをどのように大統領府は圧力を掛けてきたのか。
いまいちわからない。
個人的な動機についても不明瞭だ。
FBIという組織やアメリカを守るため、個人的な使命感とするだけでは、チームを裏切る行為である内通は、やはり矛盾する。
長官になりたかったのに、という思いを妻が代弁してくれるが、そこにはやはり本人の意識とは乖離があるだろう。
フェルトというキャラクターに集約されるように物語を展開しているにもかかわらず、そこには説明不足であったり描写の不足があったりする。
だから物語を全部見終わっても、「納得感」が得られない。
物語としての説明が多い割にはそこにあるテーマ性が一向に浮き彫りにならない。
トランプを批判するのはかまわない。
アメリカを分断するような制作をしているトランプにとって、批判か賞賛かの二択が彼に向けられるのは予想されることだろうし。
だが、それが成功するのはやはり、映画がおもしろいかどうかなのだ。
だって、これは映画であってドキュメンタリーでも政見放送でもないのだから。
(もちろんトランプ批判の映画でなければなおさら)
その点で失敗した映画だと私には感じられる。
それにしても、邦題がひどい。
そのままタイトルを「マーク・フェルト」にしておいてよかった気がする。
もしくは、「ディープ・スロートと呼ばれた男」とか、「インサイダー」(昔そんな映画があった気がするけど)とかもっとあった気がする。
明らかにターゲットはウォーター・ゲート事件を知っている人間なのだから、それをもっと全面に出しても良かった。
「ザ・シークレットマン」てなんやねん。
監督:ピーター・ランデズマン
邦題がひどい。
1972年、大統領の選挙戦が行われているさなか、長年FBI長官を務めていたフーバーば亡くなった。
副長官だったマーク・フェルト(リーアム・ニーソン)は、部下たちに指示を出し情報の隠蔽を行った。
そんなとき、大統領選挙にに関わって、盗聴疑惑が持ち上がる。
ニクソンと激しく選挙戦を戦っていた陣営のホテル、ウォーターゲートホテルに5人の工作員が盗聴しようとしていたところを発見され、逮捕される。
その1人はなんと元CIA工作員だった。
しかし、フーバーの後任に指名された長官代理から、フェルトに「48時間以内のみの捜査を行った後、捜査は打ち切る」と告げられる。
FBIの自律性を重要視するフェルトは、独自に捜査を指示し、それをマスコミへのリークによって世論を煽ろうとする……。
よく分からないまま、アマゾンプライムで見た。
主演がリーアム・ニーソンなので、わかりやすい勧善懲悪的なアクションを期待していた。
全く予備知識なしで見たので、ノンフィクション、それもウォーターゲート事件を題材としたものだとは全く知らなかった。
全然ドンパチが始まらないので、ちょっと期待外れな印象を受けたほどだ。
それはともかく、アメリカ大統領史上もっともスキャンダラスな政治汚職、その全貌を描いている。
ウオーターゲート事件がこのタイミングで映画化された、というところをむしろ注目すべきなのかもしれない。
▼以下はネタバレあり▼
ウォーターゲート事件をある程度知っている人なら、あるいは関心がある人なら、恐らくもっとのめり込んで楽しめたのかもしれない。
それほどこの事件に詳しくない人は、ちょっと面白さは減退したことだろう。
私はこの時代をリアルに生きていたわけでもないし、別段アメリカの政治史に詳しいわけでもないので、この映画がターゲットにしているような客層には入らないだろう。
この事件の「ディープ・スロート」と呼ばれた内通者は長らく公表されていなかった。
それが、2005年にマーク・フェルトという当時FBI副長官が自分である、と公表し、初めてアメリカ史上最大の内通者の身元が明らかになった。
それ以前までに噂はあったようだが、本人が認めたのはこのときが初めてだったようだ。
この事件は、この映画化以外にも様々な作品で登場する。
アメリカの内通者のことを、広く「ディープ・スロート」と呼ぶことさえある。
それだけ当時話題になった事件であり、アメリカ人にとっては忘れてはならない汚職事件なのだ。
この映画がまずこの時期に公開された点について確認しておこう。
内容は、選挙相手の陣営の動向を確認するために盗聴器を仕掛けた、ということだ。
そして、盗聴するために、国家権力を利用して行ったという点がまた衝撃的な点だった。
権力を私物化し、倫理的にも認められない方法で選挙に勝とうとしたわけだ。
それは独裁的な国家体制を実現するという、アメリカの建国の精神から考えても、犯してはならない禁忌だったわけだ。
そしてそれがこの2018年に公開されたのは、他でもない、トランプ大統領への批判があるからだろう。
ニクソンもトランプも共和党の党首である。
そしてトランプも様々な選挙に関する疑惑を抱えている。
この時期に制作、公開されたのは「共和党のすることを忘れるな」という強い政治的なメッセージに他ならない。
だが、この映画がそういう事情で制作されたとしても大きな影響力を持たないだろうと私は考える。
一つは、この事件自体が既に古い印象を拭えないからだ。
いくら違法行為だったとしても、すでにこういう盗聴や監視システムは構築されてしまい、「当たり前」になりつつある。
当然CIAもFBIも、NSA(国家安全保障局)も盗聴は日常茶飯事に行っている。
アメリカ国内だけではなく、日本の首相官邸さえ恐らくその対象になっている。
だから、今更この映画を見たところで、衝撃度は非常に小さい。
それを見越してのことだろう。
この映画がフォーカスするのは、事件そのものではなく、情報をリークするフェルト副長官である。
だから原題は「マーク・フェルト」という固有名詞になっている。
事件の全貌を、内通者の視点から描く、という点を貫いている。
(だからこそ、事件全容について知らない人にとってはわかりにくさが伴う)
もう一つの点は、そのマーク・フェルトについての描き方がいかにも曖昧だという点だ。
だからこそ、一つの物語として楽しむにも、少し物足りない。
もっとおもしろく、ドラマティックに描かなければ、トランプ政権に対する(あるいは政治腐敗に対する)警鐘としては説得力がない。
彼はなぜ捜査官としての最も重要な倫理である、守秘義務を破り、マスコミにリークしたのだろう。
もちろん、そうすることでしか捜査の継続が実現できなかった、ということが劇中で示されてはいる。
けれども、一方で具体的な捜査の手順や内容が示されていない。
いよいよ捜査が打ち切りだと言うとき、チームにスピーチして捜査の続行を宣言する。
それならば、最初からリークなどせずに続行することは可能だったのはないのか。
具体的な捜査とはどのようなものだったのか。
そしてそれをどのように大統領府は圧力を掛けてきたのか。
いまいちわからない。
個人的な動機についても不明瞭だ。
FBIという組織やアメリカを守るため、個人的な使命感とするだけでは、チームを裏切る行為である内通は、やはり矛盾する。
長官になりたかったのに、という思いを妻が代弁してくれるが、そこにはやはり本人の意識とは乖離があるだろう。
フェルトというキャラクターに集約されるように物語を展開しているにもかかわらず、そこには説明不足であったり描写の不足があったりする。
だから物語を全部見終わっても、「納得感」が得られない。
物語としての説明が多い割にはそこにあるテーマ性が一向に浮き彫りにならない。
トランプを批判するのはかまわない。
アメリカを分断するような制作をしているトランプにとって、批判か賞賛かの二択が彼に向けられるのは予想されることだろうし。
だが、それが成功するのはやはり、映画がおもしろいかどうかなのだ。
だって、これは映画であってドキュメンタリーでも政見放送でもないのだから。
(もちろんトランプ批判の映画でなければなおさら)
その点で失敗した映画だと私には感じられる。
それにしても、邦題がひどい。
そのままタイトルを「マーク・フェルト」にしておいてよかった気がする。
もしくは、「ディープ・スロートと呼ばれた男」とか、「インサイダー」(昔そんな映画があった気がするけど)とかもっとあった気がする。
明らかにターゲットはウォーター・ゲート事件を知っている人間なのだから、それをもっと全面に出しても良かった。
「ザ・シークレットマン」てなんやねん。
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