【概要】
それは、何気ない一言からはじまった。
2004年の年末、中国にいる友人が「一段落したら、中国に遊びに来たら?」と言ってきたのである。
その頃多忙を極めていた僕にとって、それはほとんど現実味のない提案であった。
しかし、今後のことを考えると、行くならこの冬しかないと考えるようになった。
なぜなら、中国なんてその友人が働いている間でないと、行く機会などまずないと思えたからだ。
中国語も話せないし、まして杭州なんていう所は、ツアーでもあまり組まれていない地域。
旅行会社なら上海のツアーにオプションとして加わっている程度の、マイナーな場所である。
そんな所へ、友人のガイド兼通訳付きで地元人しか知らないような、スポットに行けるチャンスなど、まず考えられない。
それならば、この時期に中国に行くのもありかもしれない、そう思えたのである。
よって、この旅行計画は始動することになったのである。
旅行の目的地は、友人が住む、上海の南西にある杭州というところ。
旅の目的は、杭州の観光地を、現地人ガイド(通訳)と一緒に回ることだった。
そこで、この特別企画は、僕が杭州・上海へ旅行に行ったときの記録である。
おおむね全日程を網羅しているが、面白ネタがあるものを中心に書いている。
この文章を、公開しようと思った理由については、最後に書くことにしたい。
まずは、今の中国(少し前の中国)をツアーなどに頼らずに、実際に回ってきたナマの体験を読んでいただきたいと思う。
【準備】
旅行することは決まった。
しかしに、それ以外のことについては何一つ決まっていない。
これが一月半ばの段階であった。
僕は海外旅行なるものに行った事がなかった。
勿論、パスポートも作っていない。
当然、中国語もできない。習ったこともない。
英語も、受験英語程度で、単語はそこそこ知っているものの、発音も自信なく、リスニングに至ってはほぼ期待できないという程度の言語能力しかない。
これで、一人で中国へ入国して友人の住む杭州へ行くことは、無謀に近い。
そこで、僕は日本から友人マィク(日本人)を連れて行くことにした。
(ちなみに、昨年十二月から一月にかけての、僕の「中国に行きたい」度はかなり高く、誰一人日本からの友人がいなくても、一人で行くつもりだった。
今考えると、それはさすがに無謀だった気がする。)
さっそく日本にいる友人マィクにたずねてみた。
「この冬中国いこっか。向こうに友だちおるねん」
「中国? 面白そうやん」
ということで、友人マィクが仲間に加わった。
他に、もう一人加える予定だったが、諸事情により行けなくなってしまい、結局二人で行くことになった。
(なぜ名前が友人が「マィク」なのかは、後に説明する。)
だが、性格がおっとりした(いい加減な)僕とその友人マィク二人では、いつまで経っても計画が具体化されることはなかった…。
一月末、ようやく本格的に決めないと行けないと思い始めた僕らは、日程を考えることにした。
中国にいる友人Dの勧めで、サイトを紹介してもらい、激安チケットの入手方法を知った。
そのサイトによると、平日出発や、夕刻便なら、3万円代で往復チケットが買えることがわかった。
二人の都合を考えると、二月末あたりがベスト。
よって、二月の21日くらいから二月末くらいの間で、一週間ほど、という予定を立てた。
だが、なにぶん、初めての中国。
もしかしたら、旅行会社のツアーに参加した方が、「安全」で安くつくのではないかとも、考えた。
安くなくても、値段の参考のためにも、いちおう旅行代理店に向かった。
よく利用する旅行代理店で、中国の杭州に行きたいのだが、と話を切り出す。
しかし、そこで待っていたのは、「安心」とは正反対の「不安」であった。
思えば、この旅行が不安と恐怖に駆られるものとなったのは、この時からだった。
「中国ですか~。はじめてなんですよね~。
だったら、ツアーとかに参加した方がいいと思いますよ。
治安が日本のようにはあまりよくないですからね~」
「はあ、そうですか」
「それに、言葉も話せないんですよね~。
それはかなり無謀だと思いますよ。
もし私が行くなら、初めての中国でしたら、ツアーとかに参加して、二度目以降に、現地の友だちと回ると思いますよ」
「はあ、そうですよね~」
「しかも、ツアーのほうが、間違いなく安くなると思います。
航空券代、ホテル代あわせて○万円でおさまります。
でも個人で航空券を手配しようと思ったら、それだけで同じくらいになりますよ」
「はあ、そうですよね~。
でも、友だちがいつまで会社続けるかわからないんで、今行っときたいんですよね~」
といいながら、不安になってきた僕は、いちおうツアーの日程と値段、空きがあるか確認してもらう…。
ちなみに、旅行代理店に行ったのが、予定していた旅行の日程の三週間ほど前。
「ああ、もうぎりぎりですね~」という代理店のお姉さん。
「ですよね~。
とりあえず、もう一回友だちと相談してから来ます」
「あ、はい、わかりました、できるだけ早くお電話ください」と笑顔でサヨナラ。
その後、Dとマィクと相談した結論はこうだった。
「まあ、なんとかなるやろ」(え? ほんまに?!)
超楽天家の僕たちは、二月の平日に出発して、土日を挟んで、また平日に帰ってくる、という計画を立てた。
平日に上海に到着して、杭州まで移動。
土日を杭州で働いている友人Dとともに過ごして、上海に帰ってきて、帰国、という計画に落ちついたのだった。
旅行は行く前が楽しい。
誰が言ったか知らないが、この中国旅行ではそれは当てはまらなかった。
中国旅行に際して、僕は近所の図書館で「地○の○き方」を借りて、「中国の常識」なるものを学ぼうと必死になった。
個人旅行で、しかも旅行代理店にあれだけ脅された僕は、怯えまくりで、旅行前の一週間を過ごしていたのだ。
少しでも中国という国の常識を学ばずにはいられなかったのだ。
勿論、それは安心するためだったのだが。
なになに、「中国の治安は悪化の一途」?
怖ぇ~!
「タクシーにぼったくられたという話は後を絶たない」?
怖ぇ~!!
「スリにご用心」
「パスポートを盗まれたらまず公安へ」
うわ~、パスポート盗まれたらどうしよう~!!
読めば読むほど、旅行が怖くなる。
不安が募る。
中国人が嫌いになる……。
こんなの「ガイド」ブックじゃない!
という不安を抱えながら、旅行の一週間前をすごした。
終いにはこう考えるようにさえなっていた。
「無事帰ってくることが、今回の旅行の目的だ」
そして、日本にいる家族・友人たちに、「がんばって帰ってくる」と言い残して、出国を迎えたのである。
(実際、飛行機が落ちるとか、中国で事件・事故に巻き込まれるとかを考えていると、遺言の一つでも書いておいたほうがいいのかもしれないと真剣に悩んだ。
航空チケットは「激安」だけがウリのもので、行き先は「魔都」上海。
この時点で、僕の不安バロメータはかつてないほど右に振れていたのだ。)
→その2へ
(2005/4/17執筆)
それは、何気ない一言からはじまった。
2004年の年末、中国にいる友人が「一段落したら、中国に遊びに来たら?」と言ってきたのである。
その頃多忙を極めていた僕にとって、それはほとんど現実味のない提案であった。
しかし、今後のことを考えると、行くならこの冬しかないと考えるようになった。
なぜなら、中国なんてその友人が働いている間でないと、行く機会などまずないと思えたからだ。
中国語も話せないし、まして杭州なんていう所は、ツアーでもあまり組まれていない地域。
旅行会社なら上海のツアーにオプションとして加わっている程度の、マイナーな場所である。
そんな所へ、友人のガイド兼通訳付きで地元人しか知らないような、スポットに行けるチャンスなど、まず考えられない。
それならば、この時期に中国に行くのもありかもしれない、そう思えたのである。
よって、この旅行計画は始動することになったのである。
旅行の目的地は、友人が住む、上海の南西にある杭州というところ。
旅の目的は、杭州の観光地を、現地人ガイド(通訳)と一緒に回ることだった。
そこで、この特別企画は、僕が杭州・上海へ旅行に行ったときの記録である。
おおむね全日程を網羅しているが、面白ネタがあるものを中心に書いている。
この文章を、公開しようと思った理由については、最後に書くことにしたい。
まずは、今の中国(少し前の中国)をツアーなどに頼らずに、実際に回ってきたナマの体験を読んでいただきたいと思う。
【準備】
旅行することは決まった。
しかしに、それ以外のことについては何一つ決まっていない。
これが一月半ばの段階であった。
僕は海外旅行なるものに行った事がなかった。
勿論、パスポートも作っていない。
当然、中国語もできない。習ったこともない。
英語も、受験英語程度で、単語はそこそこ知っているものの、発音も自信なく、リスニングに至ってはほぼ期待できないという程度の言語能力しかない。
これで、一人で中国へ入国して友人の住む杭州へ行くことは、無謀に近い。
そこで、僕は日本から友人マィク(日本人)を連れて行くことにした。
(ちなみに、昨年十二月から一月にかけての、僕の「中国に行きたい」度はかなり高く、誰一人日本からの友人がいなくても、一人で行くつもりだった。
今考えると、それはさすがに無謀だった気がする。)
さっそく日本にいる友人マィクにたずねてみた。
「この冬中国いこっか。向こうに友だちおるねん」
「中国? 面白そうやん」
ということで、友人マィクが仲間に加わった。
他に、もう一人加える予定だったが、諸事情により行けなくなってしまい、結局二人で行くことになった。
(なぜ名前が友人が「マィク」なのかは、後に説明する。)
だが、性格がおっとりした(いい加減な)僕とその友人マィク二人では、いつまで経っても計画が具体化されることはなかった…。
一月末、ようやく本格的に決めないと行けないと思い始めた僕らは、日程を考えることにした。
中国にいる友人Dの勧めで、サイトを紹介してもらい、激安チケットの入手方法を知った。
そのサイトによると、平日出発や、夕刻便なら、3万円代で往復チケットが買えることがわかった。
二人の都合を考えると、二月末あたりがベスト。
よって、二月の21日くらいから二月末くらいの間で、一週間ほど、という予定を立てた。
だが、なにぶん、初めての中国。
もしかしたら、旅行会社のツアーに参加した方が、「安全」で安くつくのではないかとも、考えた。
安くなくても、値段の参考のためにも、いちおう旅行代理店に向かった。
よく利用する旅行代理店で、中国の杭州に行きたいのだが、と話を切り出す。
しかし、そこで待っていたのは、「安心」とは正反対の「不安」であった。
思えば、この旅行が不安と恐怖に駆られるものとなったのは、この時からだった。
「中国ですか~。はじめてなんですよね~。
だったら、ツアーとかに参加した方がいいと思いますよ。
治安が日本のようにはあまりよくないですからね~」
「はあ、そうですか」
「それに、言葉も話せないんですよね~。
それはかなり無謀だと思いますよ。
もし私が行くなら、初めての中国でしたら、ツアーとかに参加して、二度目以降に、現地の友だちと回ると思いますよ」
「はあ、そうですよね~」
「しかも、ツアーのほうが、間違いなく安くなると思います。
航空券代、ホテル代あわせて○万円でおさまります。
でも個人で航空券を手配しようと思ったら、それだけで同じくらいになりますよ」
「はあ、そうですよね~。
でも、友だちがいつまで会社続けるかわからないんで、今行っときたいんですよね~」
といいながら、不安になってきた僕は、いちおうツアーの日程と値段、空きがあるか確認してもらう…。
ちなみに、旅行代理店に行ったのが、予定していた旅行の日程の三週間ほど前。
「ああ、もうぎりぎりですね~」という代理店のお姉さん。
「ですよね~。
とりあえず、もう一回友だちと相談してから来ます」
「あ、はい、わかりました、できるだけ早くお電話ください」と笑顔でサヨナラ。
その後、Dとマィクと相談した結論はこうだった。
「まあ、なんとかなるやろ」(え? ほんまに?!)
超楽天家の僕たちは、二月の平日に出発して、土日を挟んで、また平日に帰ってくる、という計画を立てた。
平日に上海に到着して、杭州まで移動。
土日を杭州で働いている友人Dとともに過ごして、上海に帰ってきて、帰国、という計画に落ちついたのだった。
旅行は行く前が楽しい。
誰が言ったか知らないが、この中国旅行ではそれは当てはまらなかった。
中国旅行に際して、僕は近所の図書館で「地○の○き方」を借りて、「中国の常識」なるものを学ぼうと必死になった。
個人旅行で、しかも旅行代理店にあれだけ脅された僕は、怯えまくりで、旅行前の一週間を過ごしていたのだ。
少しでも中国という国の常識を学ばずにはいられなかったのだ。
勿論、それは安心するためだったのだが。
なになに、「中国の治安は悪化の一途」?
怖ぇ~!
「タクシーにぼったくられたという話は後を絶たない」?
怖ぇ~!!
「スリにご用心」
「パスポートを盗まれたらまず公安へ」
うわ~、パスポート盗まれたらどうしよう~!!
読めば読むほど、旅行が怖くなる。
不安が募る。
中国人が嫌いになる……。
こんなの「ガイド」ブックじゃない!
という不安を抱えながら、旅行の一週間前をすごした。
終いにはこう考えるようにさえなっていた。
「無事帰ってくることが、今回の旅行の目的だ」
そして、日本にいる家族・友人たちに、「がんばって帰ってくる」と言い残して、出国を迎えたのである。
(実際、飛行機が落ちるとか、中国で事件・事故に巻き込まれるとかを考えていると、遺言の一つでも書いておいたほうがいいのかもしれないと真剣に悩んだ。
航空チケットは「激安」だけがウリのもので、行き先は「魔都」上海。
この時点で、僕の不安バロメータはかつてないほど右に振れていたのだ。)
→その2へ
(2005/4/17執筆)
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