最近は私は、時間があれば(誰よりもいっぱいある)アルジャジーラやぺけ(旧ツイッター)を見て、ガザの最新情勢をチェックして過ごしているのだが、先日ふと、かつてパレスチナに滞在した時に書いたブログを見直していて、書いてないことがいっぱいあることに気づいてしまった…当時すでにくたびれた無気力なおばちゃんだったので、大して活動していないのだが、やはりパレスチナという特別な場所で3か月生活していたのだから、向こうで経験したことや考えたことをもう少し記録に残すべきだったのではなかろうか。もうあんまり覚えてないけど、今からでもなんとか思い出して、ちょっとぐらい書けるかも…?
というわけで、去年の旅行記は後回しにして(いつ終わるねん)、今から何回かに分けてパレスチナブログを追記しようと思う。しかし、当時は日記もつけず、写真もろくに撮っておらず、わずかな写真も「…なんでこれ撮ったん?」と自問したくなるようなものが多い(しかも大体ボケている)ので、現在の私のアルコールにまみれた弱々しい脳では、正確な再現は困難だろう。それゆえ、おぼろげな記憶を繋ぎ合わせて、ぼんやりした回想録を書くことしかできないが、あしからず…
エルサレムの黒猫さん「言い訳はいいから早く書けにゃ~」
はい、すんません…
私がパレスチナに滞在したのは2010年9月末から12月下旬。約1年半過ごしたシリアのダマスカスを2010年1月末に出て、トルコのブルサで2か月、エジプトのカイロで6か月過ごし、エジプトから陸路でイスラエル(パレスチナ占領地)に入った。パレスチナの後はヨルダンに抜けてアンマンで1か月過ごし、さらにトルコに戻ってイスタンブールに3か月滞在した後、2011年5月に帰国した。シリアから帰国する前に、住んでみたかった国を全部回って、最低1か月滞在してみようと思ったら、けっこうな大移動をすることになったのだ。本当は一筆書きのルートで移動したかったのだが、トルコに未練が残って2回行くことにしたため、一筆書きではなくなってしまった。まあ、別にいいんだが…
パレスチナでは東エルサレムに下宿し、ビザなしで滞在できる約3か月の間に、西エルサレムのヘブライ語コースに通ったり、西岸地区で反入植地デモに参加したり、グリーンライン内のアラブ系住民の割合が多いハイファやナザレなどに短い旅をしたりした。ガザにも行きたかったのだが、当時はすでにイスラエル(とエジプト)に封鎖されていて一般の旅行者は入れなかった。「ハマスが掘ったトンネルでエジプト側からこっそり入れるかもしれない」という話もあったが(都市伝説的に)、さすがにそういうわけにもいかず、あきらめた。その後エジプトがガザとの境界に無数に掘られたトンネルを破壊して海水で満たし、使えなくしてしまった。
なお、パレスチナ滞在に関して書いた過去の記事は、このブログのパレスチナのカテゴリーの所に入っているので、興味がおありになればご覧下さい。次回からは、それ以外で覚えていることを書くことにする。なるべくサクサクっと書き進めようと思うが、サクサク詐欺になる気しかしない…まあ気長に見守ってやって下さいませ~
(続く)
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