アンカラ滞在2日目、現地在住の友人に連れられて旧市街ウルスで市場やその周辺地域を見物した後は、バスでシリア人街に出かけた。けっこう距離があって、30分くらいかかった気がする。
アンカラのシリア人街は、アルトゥンダー郡(Altındağ İlçesi)のオンデル地区(Önder Mahallesi)というところにあり、近くに有名な家具屋街(Siteler)がある。私たちはその中のセルチュク通り(Selçuk Caddesi )という商店街を散策した。埃っぽい道路の両側にシリア人経営の商店や飲食店が連なっているが、端から端まで歩いても大して時間がかからない長さだ。平日の午後の中途半端な時間だったせいか、人通りはさほど多くなかった。イスタンブールのシリア人街のような賑わいや、キラキラした感じの高級菓子店などはなく、一見普通のトルコの商店街と変わりはないが、よく見たらアラビア語の張り紙があったり、シリアの食材が並んでいたりするのでそれとわかる。
「Şam tatlıları」は「ダマスカスのお菓子」という意味
ダマスカスの職人が作るお菓子は、洗練されていて美味しいことで知られている。
お肉屋さん。「sakatat」は動物の内臓や頭や足のこと。
「特価 ラム肉 キロ75リラ 」と書いてある。
トルコの商店の看板は、文字の4分の3以上がトルコ語でなければならないと法律で決まっているので、シリア人の店でも看板はほぼトルコ語だが、こうやってアラビア語の張り紙があることが多い。
薬局
商店街のとっつきに、飲み物を売る屋台があり、人が集まっていた。子供が多い。
写真を撮っていたら、売っているおじいさんに次々とコップに入った飲み物を差し出された。シリアの道端の屋台などでよく売られていて、特にラマダンの日没後に飲むドリンクとして人気のある「アラクスース」(甘草エキスのドリンク)、「タマルヒンディ」(タマリンドジュース)、「トゥートゥ」(桑の実ジュース)の全部で3種類。アラクスースを飲んだのはシリア以来なので、ものすごく久しぶりだったが、甘さと苦みが混ざり合って、いつ飲んでも妙な味だ(苦手)。タマルヒンディとトゥートは美味しかったが、言われるままに全部飲んだら、お腹がタプタプになった。合計10リラ。
そばに立っていたお店の人かお客かよくわからない若者に、近所に良い食堂はないかと尋ねたら、知り合いのやっているサンドイッチの店に案内してくれた。ランチには遅い時間帯だったせいか、他に客はいなかった。
私は鶏レバーのサンドイッチ、友人はシャワルマサンドを食べた。味はまあ普通。ファラーフェルも取ってシェアしたが、これはインスタントのファラーフェルミックスのような味がして、あまり美味しくなかった。ヨルダンの美味しいファラーフェルを食べ慣れた後なので、余計そう感じたのかもしれない。あるいは、さっき甘い飲み物を飲みすぎて、あまりお腹が減っていなかったせいかも。
ここではアイランを飲んだ。ピクルスはセットで付いて来る。
アイランはシリアにもあり、トルコ語とほぼ同様に「アイラーン(عيران)」と呼ばれる。ヨルダンでは「シャニーネ(شنينة)」と名前が変わる。
さっきのジュース屋さんの辺りにいたシリア人の若者は、アラビア語で話しかけてもトルコ語で返してきたが、このサンドイッチ屋の人達は普通にアラビア語で会話してくれた。
一般に、アラブ人の若者は、こちらがアラビア語で話しかけても英語やその他の外国語で返してくる率が高い気がする。彼らは外国人にアラビア語で話しかけられた際、自分が外国語が出来ることを見せたくて、英語が出来る場合は英語、そうでない場合も、知っている外国語を話そうとする傾向があると思う。こっちもアラビア語にそれほど自信があるわけでもないので、相手に合わすことになる。まあ、英語でもアラビア語でもトルコ語でも別にいいしね~
食べ終わって店を出て、ゆっくり商店街を歩き、食料品店やケバブ屋などに入って、写真を撮らせてもらった。
食料品店の前に山積みの薄くて大きいシリアのピタパン
お店の人がザアタル(ドライタイム主体のスパイスミックス)を振るいにかけていた。
ザアタルって、ふるいにかけるものなんだ…
暑い日はソフトクリームが美味しいね~
紙おむつをばら売りする店があった。
紙おむつは安くないから、まとめて買えない人がいるのかもしれない。
カアク(胡麻付きのカリッとした棒状のビスケット)
カアクは紅茶やホットミルクに浸して食べると美味しいし、歯に優しい(よぼよぼ)。
塩辛いチーズ
こういうチーズは塩抜きしてキュウリやスイカに合わせると美味しい。
シリア菓子店
シリアのバクラヴァ(アラビア語ではبقلاوة バクラーワと発音)はトルコのものよりシロップ少な目で長持ち
いい匂いに釣られて入ったケバブ屋さん
ここで夕食用にクッベ・マシュウィーエ(كبة مشوية 焼いたクッベ)をテイクアウトした。(友人が)
クッベが焼けるのを待つ間、お店のお兄さんと少し話した。彼はアレッポ出身だと言っていた。この界隈の住民は約9割がアレッポ出身のシリア人で、残りの1割はトルコ人だという。彼は約8年前、シリアの内戦から逃げてトルコにやって来たそうだ。滞在許可証(ikametイカーメット)はなくて、一時保護身分証(kimlik キムリッキ)しか持っていないが、子供は学校に行けるし、店を開いて働くこともでき、状況は悪くないということだった。トルコ全体でシリア人排斥ムードが年々高まっているが、アンカラのこの辺りでは大きな問題はないそうで、トルコ人の住民ともうまくいっているようだった。
このオンデル地区でも、前年の2021年にシリア人とトルコ人の衝突があったというニュースをネットで見かけたが、少なくとも私たちが行った界隈のシリア人は、それなりに満足して暮らしているようだった。イスタンブールやガジアンテプのシリア人は、トルコでの暮らしが大変だと言う人が多かったが、アンカラはまた違うのかもしれない。ほんの2,3人に質問しただけなので、よくわからないが。
ハーブなどの香油を売る店
片隅にいたすずめ
食料品店の店員に話しかけてみたら、彼もやはりアレッポ出身で、政府軍とロシア軍に東アレッポが封鎖されて激しい攻撃を受けた末、停戦合意が成立して(2016年12月)外に出られた時、トルコに逃げてきたと言っていた。この地域に住むシリア人には、同じ時期に避難してきた人が多いそうだ。シリアに残った家族もいるが、あちらは仕事もなく、物価も高くて生活が大変だから、トルコから送金しているという。経済制裁のため銀行は使えないから、アレッポを拠点とする送金システムを利用しているとのことだった。
シリアでは不景気や物価高に加え、停電や断水も多いというし、停戦中といっても地域によっては今も散発的に政府軍やロシア軍の攻撃があるので(クルド人勢力の支配地域にはトルコ軍の攻撃がある)、安全で安定した暮らしとは程遠いだろう。トルコも物価高だが、安全面や公共サービスなどの点で、内戦が終わっていないシリアとは比較にならない。
商店街を一通り歩いたので、またバスに乗って中心街まで戻り、そこからタクシーで友人宅まで行った。乗ったタクシーの運転手さんが話し好きで、色々質問に答えているうちに、いつの間にか宗教の話になり、彼がイスラムについて説明して、私が無神論者の立場からそれに反論して議論が白熱し、友人が引きながら黙ってその様子を見守るという状況になった。トルコ人(特に男性)と会話していると、宗教論争になることがよくある(私だけ?)。アラブ人はそうでもないが、トルコ人は人生論や宗教論が好きな人が多い気がする。論争になって、私がかなり突っ込んだことを言っても、気分を害する人はおらず、穏やかに粘り強く話し続ける人ばかりだった。めんどくさいと言えばめんどくさいが、トルコ語の練習にはなる。
その夜はまた友人宅で夕食(テイクアウトしたトルコ料理)をご馳走になった。結局2日間の滞在中、お世話になりっぱなしだった。しかも、手土産までいただいてしまった…
この小皿セット
イズニックタイルの有名な作家、メフメット・ギュルソイ氏(Mehmet Gürsoy)の作品だそうだ。素敵じゃないですか?? これは今、うちの玄関の靴箱(=食器棚)の上に飾ってあるが、壁紙が剥がれまくったボロアパートの中で、そこだけ異国情緒が醸し出されて、微妙な感じのインテリアになっている。
次回は、アンカラを離れてバスで東のシワスに向かった時の話。これについては11月中に書こうと思っていたのに、もう師走になっちゃったわね…(狙った訳じゃないです)
(続く)