ヨルダン6日目は、日帰りでザルカに出かけた。特に目的はなかった。
ザルカはアンマンの右斜め上(Az Zarqa'ってやつ)
ザルカはザルカ県の県都。アンマンに次いで人口の多いヨルダン第2の都市で、国内の工業の中心地だ。ヨルダン最古のパレスチナ難民キャンプがあり、西岸地区から避難してきた等のパレスチナ人の人口が多いことで知られている。
観光名所がほとんどない(ちょっとはあるらしいが見たことない)、ごく普通の街なので、ザルカを訪れる観光客はまずいないと思う。私のような、ヒマで物好きな人以外は…
ちなみにザルカは、ISの礎となるサラフィー・ジハード主義のイスラム過激派組織を創設した国際的に有名なテロリスト、アブー・ムスアブ・アッザルカ―ウィー(أبو مصعب الزرقاوي)の出身地だ。
この写真を見たことある人、けっこういるのではなかろうか。2004年のイラクでの邦人人質殺害事件の犯行声明を出した武装集団が彼の率いるグループだったから、当時ニュースによく出ていたのではないかと思う。私はその頃イタリアにいたので、日本のニュースは見てないのだが。
あ、でもザルカの街自体はごく平和で、住民がフレンドリーで良いところなのだと強調しておきたい。ほんとよ~
閑話休題…
私は以前ヨルダンに住んでいた頃にも、一度台湾人の友人とザルカを訪れたのだが(彼女が行こうと言い出した)、2人でスーク(市場)をウロウロして店を冷やかし、どこかの食堂でご飯を食べただけで終わったような気がする(もうよく覚えてない)。ただその時、市場が大きくて(というか細長くて)、人々がフレンドリーで楽しかった記憶があるので、今回また訪れてみようと思いついたのだ。
この日は比較的早起きしたが(と言っても9時)、出かけたのは12時近かった。洗濯してツイッターをしていただけなのに、時を駆けたのか?
まずラガダン・バスターミナルに出て、ザルカ行きのミニバス(الزرقاءと書いてある車体)を探す。
ラガダン・バスターミナルには、今回毎日通っている気がする。
敷地内のジューススタンドで、人参の生絞りジュースを飲んでからミニバスに乗った。生ジュースはビタミンが取れるので、旅行中は一日2杯ほど飲んでいる。私はヘルペス持ちで、ビタミンが不足すると口の周りに出るのでいつも気を付けているのだ。人参ジュースは0.55ディナール(約115円)、ザルカまでのバス代は0.5ディナール(約105円)と、ほぼ同じ値段だ。アンマンとザルカは約25㎞しか離れていないから、運賃も安い。
道中には特に何もなく、砂漠気候の埃っぽい土地が広がっているばかりだ。
30分くらいでザルカに着いたと思う(うろ覚え)。バスターミナルからスークの方に歩いている途中に、「新型コロナワクチン接種会場」という垂れ幕のある学校っぽい建物があった。ザルカ・パレスチナ難民キャンプの施設らしい。
ザルカのスーク(市場)へはバスターミナルから歩いて数分だ。
手作り感満載の質素なスークだが、店が多くて賑わっている。
ここはザルカ・パレスチナ難民キャンプの人達が運営しているスークらしい。知らずに歩いていたが、お店の人が教えてくれた。この地域一帯が難民キャンプで、スークはその中にあるのだ。難民キャンプと言っても、ここは年季が入っているのでテントなどはなく、ごく普通のアパートがや商店が立ち並んでいる住宅街で、一見難民キャンプだとは分からない。キャンプ外との境目もない。出来てからまだ十年余りしか経っていないシリア難民キャンプとは違う。
伝統的な装束でジュースを売るおじいさん
暑いので、冷たいジュースが飲みたくなる。
物欲しそうに見ていたら、通りすがりの人がタマルヒンディ(タマリンドのジュース)をおごってくれた。ザルカ、いい所だな…
婦人服店
山積みで売られているので、古着の店だろう。きっと激安だ。ぶら下がっているアバヤ(黒い上着)、お葬式や法事用に一着買っておけばよかったかな?でも、日本のお葬式にアバヤで現れたら、浮くかな…
生きた鶏を売る店
自分たちの運命を予感してそうな鶏さんたち…
インゲンと葡萄の葉 葡萄の葉巻き料理はみんな大好き
せんべいっぽいスナック
ひしゃげ桃(蟠桃)の屋台
デジカメを構えて写真を撮っていると、子供やお店の人たちに「僕を撮って!」「僕も!」「俺たちも!」と頼まれ、撮影大会になった。ヨルダンあるあるだ。(後で送った)
話しかけてくるのは大半が男性陣だったが、中には女の子もいた。微笑みかけてくれる主婦らしき買い物客の女性たちもいた。アンマンではそういうことはあまりない。全体的に、ザルカの女性はアンマンよりもフレンドリーな人が多い印象だった。
難民キャンプのスークを抜けて、周辺を散策する。日差しが強くて、溶けそうになりながら…
またも寄ってきた子供たちの「写真撮って」攻撃にあう。かわいい。
教会もあった。
ヨルダン国民はムスリム(大半がスンニー派)が9割以上で、キリスト教徒は2%程度。特にザルカの住民は殆どがムスリムのはずだが、キリスト教徒も少数派ながら存在しているらしい。
線路の遺跡らしきもの
オスマン帝国時代に建設され、シリアのダマスカスからサウジアラビアのマディーナまで伸びていたヒジャーズ鉄道の遺構かもしれない。ヒジャーズ鉄道はたまに期間限定でアンマン・マフラク間を走っているらしい。ということは、この線路は現役なのか?とてもそうは見えないが…
建物が簡素で間隔が狭い。
本来のパレスチナの形がくっきり浮き出た壁
ドアのところも穴もパレスチナっぽい形だった。
(参考)イスラエル建国(1948年)前後のパレスチナの領土の変遷
存在感のある街角の壁画
こういった壁画はアンマンを中心にヨルダンで近年増えており、殺風景な街の風景の中で奇妙な輝きを放っている。
私を見てエサを催促した猫さん
影もかわいい。
行ったのが暑い昼間だったので、ザルカではあまり猫を見かけなかったが、この猫は日差しの中をエサを探して歩き回いていたようだったので、手持ちのカリカリをあげた。水もあげたかったが、入れ物がなかった。
歩いているうちに、ペットショップを発見。
入ってみたら、タイ製のちゅ~る類似品があった。
4本入り1袋で3JD(約600円)。ヨルダンでは、類似品であってもちゅ~るは高級品なのだ。ばら売りもあって、1本0.75JD(約150円)と袋入りの1本単価と同じだったので、ばらで色々なフレーバーのを買う。
商店街の方に向かって坂を登ったら、やっと食堂が見つかった。
2階に座って、ムタッバル(焼き茄子のペースト)とペプシを注文する。パンとピクルスがセットで付いて来るし、私は昼はあまり食べないので、この位でちょうどいい。時間が遅いので他に客はおらず、静かでクーラーの利いた室内でゆっくり休むことが出来てありがたかった。
ムタッバル、美味しかった。
食べ終わったら少し元気が出たので、またその辺の商店街などを見て回ったが、しばらく歩くとまた疲れてきたので(すぐ疲れる)、もうアンマンに帰ることにして、バスターミナルに向かった。
途中で「鳥スーク」と書かれた建物に遭遇。
覗いてみたら、各種の鳩が檻に入れられていた。観賞用?
ウサギもいた。そういえば、ウサギは「1羽、2羽」と数えるな…
これはモルモットかな?
鳥スークからバスターミナルはすぐだった。またミニバスに乗ってアンマンに帰る。
ヨルダンのこういう風景が好き
ラガダーン・バスターミナルからダウンタウンに出て、ホテルに帰って昼寝した。
昼寝したらちょっと体力が回復したので、夕方また出かけて、まず近所の商店で知人に頼まれたものを買う。
ズッキーニをほじくるための道具。
この道具で中身を空洞にしたズッキーニは、米やミンチなどの具を詰めてトマト風味で煮る「クーサーマハシー」(كوسا محشي)という料理になる。これが嫌いだという人(日本人含む)を私は知らない。
(ネットで拾った写真)
アラブの焼き菓子「マアムール」(معمول)の木型もあった。
マアムールは中にデーツ餡やピスタチオ、胡桃などを詰めた、サクサクしたクッキーで、イード(イスラムの祝祭)の時に欠かせない。これもみんな大好き。
ヨルダンの高級菓子店「ザラティモ・ブラザーズ」(創業はエルサレム、1860年)のマアムールは、フジツボタイプの仕上がり。
自宅用には高すぎるので、贈答用に買うやつ。(HPから取った写真)
頼まれた買い物を済ませてから、バスに乗って第6サークル(ロータリー)に出て、その付近にある昔よく通ったカルフールに行った。今も営業しているかどうか確かめたかっただけで、特に目当てがあったわけではなく、一通り見てからキンダーのチョコ菓子だけ買って帰ってきた。
そのカルフールはショッピングモールの地階に入っている。
入口付近は野菜コーナー
アジア食材コーナーで昆布(KONBU)発見。高かったけど。
パスタコーナーではバリッラの箱が目立つ。
カルフールに通っていた理由は、他のスーパーに比べて割安な商品が多かったことだ。置いている商品のジャンルが広くて品数も豊富。ただし、酒類は置いていない。ヨルダンのスーパーは酒類を扱っていないので、買いたければ酒屋に行くしかない。
行きのバスもそうだったが、帰りもバスがなかなかつかまらず、ダウンタウンに戻ったらもう9時を過ぎていた。靴屋に猫を見に行くつもりだったが、遅くなったのでやめて、いつもの酒屋でアラクとビールを買い、ホテルのそばの店でシャワルマサンドを買って帰った。
私のいきつけの酒屋の外観
この日は、お店の若者にバドワイザーを勧められたのだが、バドワイザーは薄くて美味しくないので(私見です)、ヨルダンのペトラビールにした。
翌日はヨルダン最終日なので、今まで見そびれていたダウンタウンの看板博物館を見て、あとは街中を少し散歩する程度にするつもりだった。翌々日はトルコに移動なので、体力を温存しなければならない。
…といいつつ、気が付けば、猫に導かれて階段を上り、猫おじさんの家に招かれたりしたのだが。その話は次回。
(続く)