台灣媽祖日記

海の女神・媽祖などの研究調査のための台湾滞在記 日本の媽祖・天妃信仰も紹介

往昔台南一帯是内海了 《台湾媽祖史3》

2005-02-13 | 媽祖と研究
台南は、オランダ人・鄭氏政権・清朝が統治の拠点とした台灣の古都ですが、かつては「台江」という内海に面し、砂洲によって外海と区切られていました。この湾口にあたる安平は、往時「大員」と呼ばれる島の一部でした。台南と安平は、ちょっと強引ですが博多と志賀島のような関係にあります。

ちなみに台湾の語源については、この「大員(タイオワン)」由来説と、外来者をさす原住民の言語「Tayouan(タイユアン)」由来説が有力です(写真の図は「荷蘭・西班牙在台灣」から借りました)。

1624年にオランダ人が安平にゼーランディア城を築いて貿易拠点にしました。その後、内海をはさんだ赤嵌にプロビンシャ城を築き台湾統治の拠点とします。オランダ船が碇泊するゼーランディア城に隣接して、ジャンク船や朱印船が碇泊する地区があり、中国人街も形成されていました。

「台江」にはもう一つ「鹿耳門」という湾口があります。安平に比べると水深が浅いようすが、潮時を読めばジャンク船は通れたといいます。鄭成功が1661年にオランダ軍を攻めるとき、守りの堅い安平でなはく鹿耳門から船団を進入させ、台江の制海権を握ったのが重要な勝因と伝えられています。

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