一度、逃したカナブンがまたタケチンにつかまってしまいました。
甘いもの、アイスクリーム、ケーキ、饅頭はもうやめようと決めましたが、コーヒーゼリーとかプリン、フルーツゼリーとはいいでしょう。💓
これはユーハイムのコーヒーゼリー。
三層構造です。
刺繍できたわ。
次回の図柄を考えるのが楽しみ。
昨日は午後から雨は降らなかったけど雷が遠くでゴロゴロ、タケチンはベッドの下に篭ってしまう。
盆のため四天王寺へ参るつもりだったが、二度寝のために行けず。
昨夜はNジーのズームに参加していた。
ズーム参加自体は二回目。
いまだ、どう顔出ししていいのかよくわからないし、ライブ中に変なところクリックしたくないので、そのままにしておいた。
4時間の長丁場である。
一部は以前、参加させていただいていた講師の方と今、参加している講師の方が登場していた。
二部は砂子氏が登場で、話の展開が面白いと思う。
二部の後半ラストで睡魔が襲って来て、三部と四部は半分寝ながら聞いていた。終わりで目が覚めた。
メモ
超越論的とは、経験を超えた場所で、わたしを創っている場所だからわたしは入れない。だから、わたしが悟ったというのは変である。
超越的(ワンネス)
超越論的(ヌース)四次元認識
物を対象化しているということは支配ともいえる(神の目)、これはユダヤ・キリスト教的精神である。これ俯瞰して見る目である(客観的とか)。
あれだろうか、超越的ということがワンネスなら五次元認識なのだろうか。
哲学と物理学の接続を考える。
主観(哲学)でも客観(物理学)でもない、そこを超える。が、二つを繋ぐツールがない。
イマージュ、持続を自然哲学としてベルクソンの概念を引き継ぐ。
存在論
空間についての考え方
量子力学
虚軸と奥行き(知覚)と持続はイコールする。
存在することで、複素平面になっている。
差異を発見する。
無意識が回転運動している。反復。主客と客体が分離している。
それが同一化、それを壊さないといけない。
差異を崩すためには、差異を見つけなくてはいけない。
それは、奥行きであり持続である。
言葉になるまえの純粋経験に戻る(西田哲学)。
トポロジー
モノは共同体、永遠の我と汝における共同体としてモノがある。
我とそれではない。
Nジーに自我の確立は大切か。
それはそうでしょう。と、わたくしなどは思ってしまいます。
10年ほどまえにヌースを始めた頃は、何を話しているのかさっぱり意味不明だったが、三次元へ生まれて湧き上がって来ている創造性、独創性、感覚や意識がどこから発生しているのかのをつまりは闇としての光としての物質になるまえの四次元認識をこちらとあちらで繋げるツールのようなものを論理的に話されているのではないのだろうか。そこにトポロジーや幾何学や量子学や心理学などにも収まらない話も渾然一体として登場して来ているのが面白いと思う。
よく理解しようとして聞き耳を立てているのだけれど、何を話しているのかさっぱりわからなかったりもする。
スピ系のいう宇宙人、神様、精霊、妖精、守護動物、ハイヤーセルフなどの様々な存在たちもわたくしは気になってしまう。
今日はくもり、台風が関東に近づいている。
猛暑はあと一ヶ月は続きそう。
今日こそ御先祖参りも兼ねて四天王寺へ行こうと思っていたが、眠すぎる。